※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2021年6月30日

#1760 総括2020.

早いもので…ってか放置し過ぎでログインの仕方すら忘れたわ!
  ってことで、いよいよ明日は2021年も下半期に凸入しようかという6月30日。今頃になって2020年を総括しておきまする…

 世界は武漢のウィルス研究所を発生源とするといわれる、いわゆる「武漢ウィルス」の爆発的な感染が発生する中で1年間を乗り越えました。

 ありとあらゆる物事に大きな影響を与え、そして人類のすべてがこれまでのあり方から新しい生活様式による生き方へと変化を求められ、そして生きてきました。

 我が家的には、高校進学にあたり比較的近間の大町岳陽高校へとその進路を決め、合格し、入学を果たしはしましたが、感染拡大に伴う予防対策の一環として国が求める休校措置により、高校生活は1か月以上も遅れてのスタートとなりました。
 それでもスタートを切ることができたのはうれしいことで、部活動は私たち夫婦の希望を汲み野球部のマネージャーとしての活動を選択してくれました。
 日々仲間たちに尽くし、そして仲間たちとともに歩む中で「人のために費やす時間」の大切さに気付くのはたぶんまだ時間がかかるかと思いますが、必ずや高校生活を振り返ったときにその時間の輝きに気付いてくれるだろうことを願いながら、日々お弁当を作りみづきを支援していきたいと思います。

 双子は中学2年生になり、学校行事の大きなものとしては唐松岳への登山がありますが、これも武漢ウィルスの影響を色濃く受け、中止となってしまいました。これにて1学年時の雨飾山キャンプ場でのキャンプが悪天候により中止になったのに加えて2年連続の大型行事中止になったうえ、例年秋に行われていた小谷中2年生による台湾交流研修も、当然中止となりました。
 そうはいってもまだまだ子供の領域の中で、これらの結果を受け入れるには乗り越えなければならない気持ちの面も大きかったと思いますが、ここは甘んじて受け入れ、この局面を振り返ったときに「これも経験として大きな糧になった」と思える人生を歩み続けてほしいと願っています。

 次男の廣やんは年末に決めた自分の道を歩むための日々を送り、3月末には海上自衛隊を退役して民間企業に転職しました。
 が、羽田での空港業務に就きながら将来を見据えての経験を積み、目指す職種に向かって進むという彼の予定もまた、武漢ウィルスの蔓延により思わぬ方向へと転がってしまいました。
 就職した企業が展開する関連事業である警備関連の部署に回され、日々の仕事に困ることはないもののそれまで描いていた未来には、遠回りしてもその道でたどり着けるかどうかすら雲行きが怪しい状況の中で、自分が選択した道の正誤に悩みながら3か月ほどは苦悩の日々を過ごしてきました。
 帰省した際にも思い悩むその様子を見かねた女房が「もう一度自衛隊に戻るっていう道もあるんじゃないの?」と提案したところ、すぐさま上京して採用試験の申し込みとその準備に取り掛かり、試験合格を経て8月末に航空自衛隊に入隊することができました。
 山口県にある基地での教育隊を終え、福岡県の基地へと着任して再び航空管制官への道を進むべく精進しているところです。

 長男裕貴は年が明け2月の中頃 「結婚を前提にお付き合いさせていただいている」という彼女を連れてあいさつに来ました。
 彼もまた武漢ウィルスの影響をまともに受け、会社の業績が大きく下がるという真っただ中にありながら、それでも石にかじりつきその道を進んでいく覚悟を決めているようで、一昔前なら業績の良い大企業でさぞかし彼女も安心して付き合っていられただろうことを思えば、このような状態でも息子と結婚を前提とした付き合いをしてくださっていることに安どするとともに、日々神経をすり減らしながら業務に当たっている裕貴の私生活に潤いと安らぎ、そして癒しを与えてくれていることに心から感謝です。

 母はいよいよ83歳になりはしたものの、術後の経過も悪くなく、ウィルスの影響により制約を受けている以外は良い状態で春を迎えることができたと思っていたのもつかの間、なんとなく姉と一緒に受けた大腸がん検診でその再発の兆候が見つかったことで精密検査を受けたところ、確かにがん細胞が腸で再び活発に活動しているのが見つかり、摘出のための手術を受けることになりました。
 が、院内感染予防のための徹底した対策により、家族との面会は完全にシャットアウトされたなかでの長期入院は、体の負担よりも精神的な負担が非常に大きく、退院のスケジュールは当初予定されていた日程を大きく超えて秋も深まるころまでかかってしまいました。  隊員と同時に始める予定だった放射線治療も血液検査の結果が思わしくなく、なかなか進めることができずにより母の精神を苦しめ、肉体的な回復も遅らせる結果となってしまいましたが、生来の粘り強さでもうひと頑張り。ここから始まる新しい毎日を楽しんでほしいと思います。

 女房は30歳からまた一つ若返り、ますますかわいい盛りになってまいりました。武漢ウィルスによる新しい施活用式に合わせるように、自分の家事の時間は圧倒的に増えてきたその見返りは、キッチンから見る「夕食マダー?」」の女房の笑顔。
 自分と付き合うようになってから始めたお酒もいよいよ板にのり、お通しからいくつかのおつまみを出すごと「おいしー!」と言ってくれるそのかわいい笑顔が、明日生きていくためのモチベーションになってきています。

 仕事は相変わらず厳しい中にありますが、秋口から冬の入りまでは縁のある方たちからやりがいのある仕事を頂きながら、どうにか会社として繋ぎ繋ぎにこなしつつ、安全な中でいただいた仕事を完工することができました。  急に入った仕事であり、長期にわたり家を空けることにもなりましたが、その間家を守ってくれた女房と、父のいない日々でも何の変りもなく(泣)過ごし続けてくれた娘たちに感謝です。
 この年、1994年以降から初めて、女房と一緒に迎えることができない女房の誕生日を過ごしました。
 その大切な日を別々に迎えたことは非常に残念でしたが、でもその別々の日を過ごしたからこそ、その日の大切さを痛感し、これからはたとえ仕事にあろうとも女房の誕生日だけは一緒に過ごしたい、そう強く思いました。

 年が明け半年。もうすでにいろいろなことが大きく動いていますが、まずは2020の総括。そしてそれ以降の日々の中で大切に過ごすことができなかった時間を反省しつつ、残りの半年をこれまで以上に大切に過ごすことを肝に銘じながら、ブログの再開と頻繁な後進に努めてまいりたい決意を新たに記しておきます。