※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2018年12月31日

#1754 総括2018。

とうとう今年も大晦日。なかなか思うように日々が進まないなかで、でも眠れない夜を幾度も越えつつ今年もまたこの日を迎えられたことに、支えてくれる女房と家族にまずは感謝しながら、今年の総括をして来る来年への決意をここで再確認したいと思います。

 昨年に続きまずは仕事から。
 今年こそ、全体に思うように行かなかった年は無かったか。工事のダメ廻りはお施主様のご厚意によってどうにか形になったと思えるものであって、自社、特に代表である自分の能力によってかたちになったものでは無かったと考えます。
 工事の受注にしてもなかなか思うようにいかず、結果工事の出来高は前年までの実績を大きく割り込み今日を迎えてしまいました。
 木材販売も昨年同様、いやもっとして不振でした。市場が縮小する中で、地場のみで販売している我が社としては売上高の上昇は望めませんが、今後についても上昇が望めない中では、もっとはっきりとしたビジョンをもってして今後の運営に当たる必要に迫られていると感じます。
 製材については、同業他社が廃業していく中で、やはり生き残っていても要するに需要が減少する中では独占企業になりえるはずもなく、これまた厳しい状況にあるものと考えますが、しかし
「先代から受け継いだ森、林を利活用したい」
「土木工事の支障木となり伐採が決まった木々を、どうにか活用したい」
といった需要があるのも明らかであり、設備を維持しながら後継を育てつつ、こういった需要にこたえていくのもここでずっと事業をさせて頂いてきた企業としての責任でもあると考えてていますので、技術者を育成しつつ継続していくべき必要があると考えています。

 さて。家族においては昨年同様、自立した長男次男はそれぞれの道で自分に課せられた責任を自分たちなりにしっかりと果たしながら、日々を積み重ねてくれているようです。
 長男は単調ともいえるかもしれない毎日を、それでも比較的順調に送れているようです。春のGWには、珍しく自分が乗る電車の番号を喋ったので、母まで連れ立って松本発新宿行きのスーパーあずさに乗り込み、その仕事っぷりを間近で拝見させてもらえました。大動脈を支える部品の一つとして、全てのお客様の安全な移動に持てる総てを出し切った毎日を送り続けられますように、心から願っています。
 次男は仕事が仕事なので、日々の業務に対しての遣り甲斐を見つけにくく、それなりに悩んでいるようです。が、それでも自分が決めて進んだ道。無意味に感じる日々の中で、しかしその無意味と思われる積み重ねによって多くの人々に安心と安全を提供できる仕事に繋がっている事を想像し、けっして表舞台に立つことが無いことを願いながら邁進してくれることを願うばかりです。

 長女はいよいよ春には中学3年生。やりたいことを精一杯やり抜き、感じるままにそれらの多くを吸収しながら送っている日々に眉を細めつつも、しかし半島文化に過剰に影響を受けながら、その文化をより深めようとしているその姿に若干心配しながら、残り1年の中学校生活でどのような選択をし、どのような高校生活を目指すのかをある意味楽しみに見守っています。
 小学校卒業の折、当時の担任だった小山先生から贈られた「挑」という文字通り、残りの10代をすべてに挑みつつ駆け抜けてくれる事を、両親とも楽しみにしています。

 ヒナマナもいよいよ小学校を卒業します。
 この一年間はクラスの状態も決して良いとは言えず、PTA会長という立場を超えて自分が出来る関わりのなかでは精一杯にこの子たちのために尽くしてきたつもりではいますが、それでも思いのほかその道は厳しく、中学進学に対して若干心配を残して春を迎えます。
 しかしながら、保育園から中学卒業までほぼ固定されたメンバーで過ごす小谷村ならではの成長期を過ごしながら、3年後のそれぞれの選択からの人生の広がりを期待できる時間が中学校では過ごせるよう、これからも自分なりに関わっていきたいと思います。

 母は、年が明け4月が来ると82歳になります。多くの病を乗り越え、自分なりに日々のQOLを上げることに勤めながら私たち家族を色々な面から支えてくれている事に感謝しながら、次の1年も相変わらず健康で一年を終え、またその次の83歳へと繋がっていけるように、母を支えていきたいと思います。
 先日の12月23日は言わずと知れた天皇陛下の85歳の誕生日でした。また、今上天皇がこの天皇誕生日に一般参賀を行えるのは、この日の他は明後日の新年一般参賀を残すのみですので、日頃から天皇万歳な自分は家族全員で天皇誕生日の一般参賀に参加させて頂く事に。
 残念ながら、前日遅番の裕貴は朝イチのあずさでも第一回目のお出ましに間に合わないので、その後合流する事になりましたが、廣やんは22日から休暇が頂けたという事で一足先に小牧基地から上京。当日未明に小谷を出発し、始発のあさまで上京した私たち家族と東京駅で合流し、裕貴を除いた全員で最後の天皇陛下の誕生日を大いに祝いました。
 その後合流した裕貴と家族全員で過ごせた2日間は、母にとっても家族全員で過ごせた至福の時間だったようです。

 女房はまたひとつ歳を減らしてとうとう31歳に。いつも見る顔はとても可愛いのでそのたびその旨を伝えているのですが、撮った写真はどれも疲れた顔をしている(本人談)ようで、その責任は連れ合いである自分に全ての責任があるものと自覚しています。
 しかしよく考えて見ると、撮る写真のほぼすべてが笑顔の写真ではなく、それゆえ疲れた顔に見えるに違いない、と本人に言い聞かせたので、来る新しい年にFBにアップされる写真は撮ってもプリティなりちちの写真をお見せできる毎日であることを、期待していない皆様にここで堅くお誓いいたしますキリッ。
 そんな女房とは、昨年の総括で公言した通り、春まだ浅い4月の良き日に、消防団の退職金を充てに前倒ししての四国松山の石手寺へとお礼参りの旅に。
 3月末の好天から一転、雨予報となっていた旅行週間でしたが、ヲレら夫婦の熱々ぶりに雲まで吹っ飛んで行ったかのような、良い天気に恵まれたその旅は、清水寺観光からの神戸、鳴門渦潮、うどん県、松山お礼参りからの平和公園祈念、そしてタイムリーな脱獄犯遠望を経て、天橋立、そして私たちの菩提寺である源長寺の総本山にあたる曹洞宗永平寺での拝観という、4泊5日の旅を楽しむことができました。
 長く苦労を掛けて来た女房に少しでも楽しい時間を過ごしてほしかった。その貴重な時間を過ごすために留守の家を守ってくれた娘たちにも、心から感謝です。

 まだ積雪のあった時期から始めた新聞配達と合わせての朝散歩。休日は朝から5キロ弱のコースを巡り、平日は往復2キロのコースで早朝から身体を動かすサイクルがようやく定着しました。
 人が人として生きている時間なんてほんのわずかな時間。しかも自分が愛する我が女房と一緒に過ごせる時間なんて、そのうちのごく僅かでしかない。だとしたら、せっかく惚れて結婚した我が女房となるべく多くの時間を、手を繋ぎ気持ちを添わして歩きたい。
 と、まるで公開処刑のような絵面で毎朝国道わきの歩道を歩いていると、最初は本当に嫌がっていた女房もあきらめ半分慣れ半分で、今はごく普通に手を繋ぎ歩いてくれるようになりました。早朝から見苦しい場面に出くわして苦笑いしている多くの皆様に、心からお詫びいたします( *´艸`)
 そんな私たちも、1994年6月17日に結婚して以来ですので、この6月には銀婚式を迎えます。
 今のところは夫婦ともに不調なく生活できているので、順調にこの日を迎えられたなら何かしら記念に遺るものを贈りたいと思います。そういえば先日、退団して感謝状を頂いた消防団の記念品が銀杯でした。流用できそうで一安心です(^-^)

 さて、自分事。
 秋に女房、そして母に話をして散々バカにされましたが決めるのは自分のみ。いまだその志を立てるには自分の中の様々な条件が折り合いを魅せないので、果たしてどのような方向性になるのかも自分自身が読めない部分ではありますが、50歳の誕生日を前に始めた禊。迷惑を掛けてきた多くの皆様に、取り返すのつかない自分の行いを詫び、その中で自分と向き合っていよいよ新しい春がきます。
 自分は自分。他人は他人。そして、家族は家族ですがそれでもその家族の絆を信じ、信じられるように。
 ここからの日々じっくり考えながら春を迎えたいと思います。

 何はともあれ大晦日。今年もまた私が家族から享受した多くの幸せに感謝し、家族がたくさんの皆さんから支えられた毎日に感謝して、新しい年をむかえたいと思います。
 来る年がまた、皆様にとって大いなる喜びにあふれる新しい年になりますよう、心から祈念しながら今年の総括といたします。

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