さらに早いもので...まぁ今年も大晦日を迎えました。ハイ。
ってか、去年はなかなかその気にならず総括したの自体が新年を迎えて半年過ぎた6月末。今年はなんとか大晦日のうちに更新できるかも。という予感。
さて備忘録。2021を総括するにあたり、家族が多い分色々とはありましたが、そうはいっても我が家としてアタマに書くべき2021メインイベントは、我が長男の結婚でしょうか。
去年あたりから職場の松本駅近に借りた貸家でほぼ同棲暮らしをしていた様子でしたが、去年2月に初めて顔を合わせたのち、順調にお互いの思いのベクトルを合わせつつ今年10月の入籍を迎える運びとなりました。
まずは喧嘩をしても寝るときは一緒の布団で眠り、喧嘩もお互いの愛への情熱へと変えられる「ヲレらのような」熱い夫婦を目指して精進してもらいたいと思います。
次男は海自3年→民間に移ったとたんコロナの洗礼→半年で空自、と職歴を重ねてきましたが、秋に採用試験を受けた海上保安庁にどうにか採用していただける運びとなり、12月いっぱいをほぼ有給消化にあてつつ女房に母親孝行の日々を送ってきました。
出勤する女房の遠回りコースに付き添いながらの朝活から、会社でマターリとコーヒーを飲み、悠々自適という自堕落な生活を送ってきたそのツケが爆発しないことを心から願っています。
まぁ、親に心配をかけてきた以上に今親に安心を与えてくれていることにも感謝しながら、某国の領海侵犯に毅然と立ち向かう日本国を土台下で支えられる人材に育つことを願っています。
長女みづきはいよいよ野球部生活もあと1年を切りました。年が明けたらあと7か月。いまだ公式戦での勝ちゲームを経験していないため、ベンチ記録員としてうれし涙を流したこともない日々を過ごしてはきましたが、この夏は少なくとも一つは勝って、ともに尽くしているマネ仲間と互いに良い経験と良い瞬間を共有できる夏になることを願いながら、多くのことを支えていきたい、と思います。
歯切れが悪いのはヒナマナの進学の件。
命を授かったその瞬間からともにほぼ同じ時間を過ごしてきた二人が、高校進学を機にいよいよ違う道へとそれぞれの一歩踏み出そうとしています。
ヒナは「いろいろな人たちとかかわる、接客業に就きたい」という思いを胸に兄たちが学んだ長商へと進学を希望し、マナは「英語を活かした仕事に就くために」と希望をもちつつもう少し偏差値の高い学校を目指して、受験に向けた最後の時間を過ごしています。
まぁ、今の様子を見るに、ともにその高校生活への思いに対して日々の努力が足りないように思えてなりませんので、今後のヤシらの毎日に注視しつつ見守りたいと思います。
母は再三の手術を乗り越えて、ここにきてようやく状況が安定してきました。84にして食欲旺盛、興味津々。これからも”よく言えば”天真爛漫と言えなくもない、テキトーな毎日を一日も永く過ごしてくれること、願ってます。
女房は相変わらず可愛くて、今年はこと時間を作ってはたくさんのところに歩きに行きました。ハイキングから史跡、古墳、そして公園。たくさん歩き、たくさん話し、そしてたくさん笑って時間を共有できました。
行きたいところ、いけなかったところ。まだまだたくさんあるので、来年はもっともっと出掛けて歩きたい。というところですが、ヒナがめでたく長商への入学を決め付けた際は必ずや野球部のジャーマネになるように躾ているので、願いかなったなら6年ぶりに長商の追っかけをすること間違いなく、休日のウォーキングは長商グラウンド近隣となること間違いなく、3年間は我慢の年となりそうです。
さて仕事。新型コロナの影響によるものとはある意味で別ですが、アメリカからの木材が日本に来ないことに端を発したウッドショックによって、国内の木材市況も大きく変化を遂げました。
よく言えばチャンス。しかし私たちのように小規模かつ設備の整っていない事業者においては、これだけのチャンスも活かしきることは大変難しく、米国からの木材輸入がある程度目途が立ちつつある現況の中では今後の明るい展望材料を見つけることも難しいのが実情です。
しかし、確かにこのウッドショックを経て「この地域の木材で」という引き合いがあったのも事実であり、こういったニーズに自分たちができる最大最高の品質での製品提供を精一杯こなしていくことのほかには、私たちが行えることも行うべきこともないのだろうな、と思います。
また、年々高齢化する従業員の方たちとともに、来る年も労働災害は決して起こさないよう細心の注意を払いながら、充実した一年にしていきたいと思います。
自分事。子供たちが成長してくれていることが最高の喜びであり、そして女房が可愛いことが最高の生き甲斐であることに間違いありません。
若いころに無駄に頑張り怪我をしたことで、歳を重ねる中その古傷が痛むことが多くなりました。これからはさらにもっと痛みが増していくことも理解できるので、しっかりと自分と向き合いながら、それでも家族の平穏と幸せを最優先に願い営む日々を繰り返して、次の一年も頑張っていきたいと思います。
今日は未明から夕方まで除雪で出動でした。さっさと寝て、明日の除雪を片付けたら、また黒川神社での初詣を川霧に一年のスタートを切りたいと思います。
新しい年も、我が家族をどうかよろしくお願いいたしますm(__)m
2021年12月31日
#1761 総括2021。
Posted at
21:11
Written by
Morito D-David Nishizawa
2021年6月30日
#1760 総括2020.
Posted at
19:19
早いもので…ってか放置し過ぎでログインの仕方すら忘れたわ!
ってことで、いよいよ明日は2021年も下半期に凸入しようかという6月30日。今頃になって2020年を総括しておきまする…
ってことで、いよいよ明日は2021年も下半期に凸入しようかという6月30日。今頃になって2020年を総括しておきまする…
世界は武漢のウィルス研究所を発生源とするといわれる、いわゆる「武漢ウィルス」の爆発的な感染が発生する中で1年間を乗り越えました。
ありとあらゆる物事に大きな影響を与え、そして人類のすべてがこれまでのあり方から新しい生活様式による生き方へと変化を求められ、そして生きてきました。
我が家的には、高校進学にあたり比較的近間の大町岳陽高校へとその進路を決め、合格し、入学を果たしはしましたが、感染拡大に伴う予防対策の一環として国が求める休校措置により、高校生活は1か月以上も遅れてのスタートとなりました。
それでもスタートを切ることができたのはうれしいことで、部活動は私たち夫婦の希望を汲み野球部のマネージャーとしての活動を選択してくれました。
日々仲間たちに尽くし、そして仲間たちとともに歩む中で「人のために費やす時間」の大切さに気付くのはたぶんまだ時間がかかるかと思いますが、必ずや高校生活を振り返ったときにその時間の輝きに気付いてくれるだろうことを願いながら、日々お弁当を作りみづきを支援していきたいと思います。
双子は中学2年生になり、学校行事の大きなものとしては唐松岳への登山がありますが、これも武漢ウィルスの影響を色濃く受け、中止となってしまいました。これにて1学年時の雨飾山キャンプ場でのキャンプが悪天候により中止になったのに加えて2年連続の大型行事中止になったうえ、例年秋に行われていた小谷中2年生による台湾交流研修も、当然中止となりました。
そうはいってもまだまだ子供の領域の中で、これらの結果を受け入れるには乗り越えなければならない気持ちの面も大きかったと思いますが、ここは甘んじて受け入れ、この局面を振り返ったときに「これも経験として大きな糧になった」と思える人生を歩み続けてほしいと願っています。
次男の廣やんは年末に決めた自分の道を歩むための日々を送り、3月末には海上自衛隊を退役して民間企業に転職しました。
が、羽田での空港業務に就きながら将来を見据えての経験を積み、目指す職種に向かって進むという彼の予定もまた、武漢ウィルスの蔓延により思わぬ方向へと転がってしまいました。
就職した企業が展開する関連事業である警備関連の部署に回され、日々の仕事に困ることはないもののそれまで描いていた未来には、遠回りしてもその道でたどり着けるかどうかすら雲行きが怪しい状況の中で、自分が選択した道の正誤に悩みながら3か月ほどは苦悩の日々を過ごしてきました。
帰省した際にも思い悩むその様子を見かねた女房が「もう一度自衛隊に戻るっていう道もあるんじゃないの?」と提案したところ、すぐさま上京して採用試験の申し込みとその準備に取り掛かり、試験合格を経て8月末に航空自衛隊に入隊することができました。
山口県にある基地での教育隊を終え、福岡県の基地へと着任して再び航空管制官への道を進むべく精進しているところです。
長男裕貴は年が明け2月の中頃 「結婚を前提にお付き合いさせていただいている」という彼女を連れてあいさつに来ました。
彼もまた武漢ウィルスの影響をまともに受け、会社の業績が大きく下がるという真っただ中にありながら、それでも石にかじりつきその道を進んでいく覚悟を決めているようで、一昔前なら業績の良い大企業でさぞかし彼女も安心して付き合っていられただろうことを思えば、このような状態でも息子と結婚を前提とした付き合いをしてくださっていることに安どするとともに、日々神経をすり減らしながら業務に当たっている裕貴の私生活に潤いと安らぎ、そして癒しを与えてくれていることに心から感謝です。
母はいよいよ83歳になりはしたものの、術後の経過も悪くなく、ウィルスの影響により制約を受けている以外は良い状態で春を迎えることができたと思っていたのもつかの間、なんとなく姉と一緒に受けた大腸がん検診でその再発の兆候が見つかったことで精密検査を受けたところ、確かにがん細胞が腸で再び活発に活動しているのが見つかり、摘出のための手術を受けることになりました。
が、院内感染予防のための徹底した対策により、家族との面会は完全にシャットアウトされたなかでの長期入院は、体の負担よりも精神的な負担が非常に大きく、退院のスケジュールは当初予定されていた日程を大きく超えて秋も深まるころまでかかってしまいました。
隊員と同時に始める予定だった放射線治療も血液検査の結果が思わしくなく、なかなか進めることができずにより母の精神を苦しめ、肉体的な回復も遅らせる結果となってしまいましたが、生来の粘り強さでもうひと頑張り。ここから始まる新しい毎日を楽しんでほしいと思います。
女房は30歳からまた一つ若返り、ますますかわいい盛りになってまいりました。武漢ウィルスによる新しい施活用式に合わせるように、自分の家事の時間は圧倒的に増えてきたその見返りは、キッチンから見る「夕食マダー?」」の女房の笑顔。
自分と付き合うようになってから始めたお酒もいよいよ板にのり、お通しからいくつかのおつまみを出すごと「おいしー!」と言ってくれるそのかわいい笑顔が、明日生きていくためのモチベーションになってきています。
仕事は相変わらず厳しい中にありますが、秋口から冬の入りまでは縁のある方たちからやりがいのある仕事を頂きながら、どうにか会社として繋ぎ繋ぎにこなしつつ、安全な中でいただいた仕事を完工することができました。
急に入った仕事であり、長期にわたり家を空けることにもなりましたが、その間家を守ってくれた女房と、父のいない日々でも何の変りもなく(泣)過ごし続けてくれた娘たちに感謝です。
この年、1994年以降から初めて、女房と一緒に迎えることができない女房の誕生日を過ごしました。
その大切な日を別々に迎えたことは非常に残念でしたが、でもその別々の日を過ごしたからこそ、その日の大切さを痛感し、これからはたとえ仕事にあろうとも女房の誕生日だけは一緒に過ごしたい、そう強く思いました。
年が明け半年。もうすでにいろいろなことが大きく動いていますが、まずは2020の総括。そしてそれ以降の日々の中で大切に過ごすことができなかった時間を反省しつつ、残りの半年をこれまで以上に大切に過ごすことを肝に銘じながら、ブログの再開と頻繁な後進に努めてまいりたい決意を新たに記しておきます。
Written by
Morito D-David Nishizawa
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