※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2016年6月22日

#1610 感謝の初夏 ~終わり、そしてはじまりへ。~

 いよいよ週末には組み合わせ抽選会を迎える長野県の高校球児たち。
 我が廣やんも全県で3,600人をこえるであろうその中の1人として、小谷中学校を卒業した後すでにチームの一員として頑張っている兄の後を追い、この長野商業高校野球部へと進みました。
 里島グラウンドで毎年新入部員を迎えてくれる、桜並木。
厳しい冬を越える多くの部員を見守ってきた、この三気寮。
そしてそこに自分の名札を提げ、彼は彼なりに決意を固めて日々取り組みをはじめました。
そう。最後まで諦めない姿を、その精神を日々学びながら。

 小学三年になった兄はまず地元の学童に入団。が、週1回しかも冬場は休眠となる団の活動ではなく、年中無休の少年野球チームを希望したため、友人が監督を務める大町リトルリーグに体験入団に伺いました。
 兄にくっついていった廣やん。団員不足で困っていた選手の保護者が彼を見逃すはずもなく、わけもわからないまま体験入団をし、兄同様すぐさま野球の楽しさに引きこまれて、翌週から通常練習に加わることになりました。
6月下旬に入団してからの初期の練習。
暑い中、それでもボールを追うことをたのしんでたあの頃。
経験を積み、試合にも出られるようになりました。

指導者の皆様から厳しくも丁寧に野球を教えて頂き、
いつしか誰よりも元気に声を出すように。
宇宙人だったマイナーの頃、一番迷惑をかけた寺尾監督。ほんとうにありがとうございました。
そして迎えた5年生、最後の信越マイナー大会。
試合にも出させて頂きました。惜しくもボールを追いきれなかった場面などもあり、
残念ながら初戦敗退。
そしてリトルに昇格し、日々練習を積み重ねて行きました。


冬場も市営の屋内練習場での練習。

親の都合がつかない時は、電車で大町へ。そこから練習会場までは、仲間の保護者の方々に乗せていただくなど、大変お世話を掛けました。
徐々に自覚が出てきたリトルでの中期。
が、怪我をした選手がその怪我の回復をしないうちにまた起用しようとする指導者の、選手の安全面に対する意識の低さを心配して、廣を退団させました。
 廣が試合に出れるわけではないので我が子の心配をしたのではなく、そのような状態でチームを運営することにより有望な選手が将来の活躍の芽を潰されてしまうのでは、ということへの自分なりの決断でした。
退団当初は兄のいるシニアでお手伝いなどをさせていただきましたが、
いろいろな問題があり、やがて1年間の浪人へ。
翌年からリトルを終えた元の仲間たちとシニアでの野球を頑張りました。が、廣やんの公式戦よりも兄の練習試合を優先したため、シニア期の廣やんの写真は殆どありません。
 最後となった山形での林和男杯も、そのような状態を心配した義父が泊まりがけで応援に駆けつけてくれました。

 やがてシニアを卒団。
前期選抜で不合格となり、後期選抜で拾って頂きました。
晴れて兄のいる長野商業高校へ入学。あっちゃんと太輔が、共に長商に進学しました。
シニアを終えてもなお、才能のかけらも見せない廣やんが、長野商業高校で野球を続けていけるのかどうか、その進路選択の際には両親とも心配しました。
 が、そんな心配を他所に兄と同じ下宿部屋に入った廣やんは、
「裕貴が最後の年だから、精一杯支えてほしい」
という私達両親の願いをしっかりと受け止め、
グラウンドでの練習でも、

学校生活でも、
下宿での生活でも兄を支えつつ、自分の練習も手を抜くことなく積み重ねながら、

兄、最後の夏の大会。スタンドで応援する誰よりも高く大きくジャンプしている姿を、いつも見ていました。
決勝で敗退、甲子園の夢を果たせなかった兄が下宿を去り、ひとりきりの生活が始まりましたが、1人の下宿部屋は兄と同居の時以上に綺麗で片付いていました。

 そしてグラウンドの練習試合では下積み続き。
ボールボーイが主でした。
が、時間があるとバットを持って素振りをする姿を、よくみてたよ。
秋が来ても、練習試合ではB隊の遠征に付いていくことなくA隊の補助で審判に。
それはそれで、任された役割をしっかりやり切るその姿を見るのも、
お手伝いのちょっとした拍子に時折見せる笑顔を見るのも、僕ら夫婦にとっては大きな楽しみでした。
練習は誰よりもストイックに。
リズムは悪くも一生懸命に。
そして、初めての秋が深まりました。
やがて冬を超え春になりましたが、彼の仕事は相変わらず。
SBO、そして審判。
ボールボーイ。
B隊のお手伝いという日々が果てしなく続くのではないかと思え、
夕方までそんな姿を見守りながら、溢れそうな涙を堪えて僕はいつも空を見上げてた。
でも、僕らよりもっと辛い時を送っていただろう廣やんの、その廣やんが触れるすべてのものが本当に愛おしかったよ。
でもそれはあくまで父の思い。母は自分のお腹を痛めた子だから、もっと思いは強かった。そして、僕よりもよりその姿を見て心を痛める女房の姿に、
時として相手の立場もわきまえず、篠原コーチに
「ウチの子、どうやったら良いですか?」
って喉から出掛かった言葉をどうにか飲み込んだ事が、何度もありました。
 それでも時折家に帰ってきた廣やんに女房が
「野球、楽しい?」
って聞くと、
「楽しいよ!」
と笑顔で答えてくる。

 その言葉通り、君は出来る事を日々重ねて、
ランナー役などで走力を高めながら、
通常練習でのノックも徐々に力を付け、
その夢を掴むため頑張り続けてきました。
やがて2年目の夏が終え、冬が近づくと、
それまで以上に野球部での日々を楽しんでいる君の姿を実感出来るようになりました。
それもこれも、チームが一丸となって頑張りぬき、全国でも屈指のチーム力をつけるその一員としての自覚だったんだと、思います。
春になっての練習試合、見違えるほどに成長した君の姿を見て、両親ともびっくりしました。

同行できるはずが無い。そう踏んでいた年度末恒例の三重遠征にも、
松本第一との練習試合でもそこそこ結果を出して、どうにか連れて行っていただくことが出来ました。
そして春。田中が怪我をしたためにベンチ入り出来た我が廣やん。北信予選から県大会へと背番号を頂き、チームの一員として出来るだけの事をやったんだと思います。
19番。
「背番号が縫えないから、お願い」
 そう言われて仕事を休みそれだけのために長野まで車を走らせた女房の嬉しい気持ち。分かち合うには余りありました。

 ほしゃ標題。

 本日午後9時30分ころ、本人から「大切な話をしなければなりません」と、電話がありましたのでご報告致します。

「頑張ってきたんだけど、今日の段階でメンバーの候補から外れてしまいました。
 両親の期待に応えられなくて、本当に申し訳ありません」

 池田監督が指揮を執った初年、低迷していた長商を県ベスト4に持ち上げたさまを中学3年の時に見たこの世代。
 北信各地から力のある選手が多数集まる中で、硬式経験者とはいえ決して野球が上手ではなかった君。
 それでも、その長商で野球を楽しんでいる兄を追い同じ道を歩むことを決めた君に、僕ら両親は心から喜んだんだ。
 野球だけではなく、長い歴史に育まれた素晴らしい伝統と地域の皆様からの期待の下で君がその青春を過ごす道を選んだことを。
 そして始まった高校生活では、家畜の棲家みたいだった兄の下宿部屋を劇的に綺麗にして、兄が心置きなく野球に専念できるよう一切のことをよくやってくれたね。
 時には喧嘩したり、同じ部屋に居づらかったりしたこともあったんだろうけど、僕らが期待した以上に君は僕らが求めた総てを、よくやりぬいてくれた。

 そして、君自身の選手としての日々も、よく頑張りぬいた。君が僕達に申し訳ないと思う理由なんて、どこにも無いよ。
 兄の野球を優先する余り、君のそれまでを見守れなかったことが本当に申し訳なくて、兄の野球が終わったその時から、君がどんな立場でどんなふうに頑張っていようとも、可能な限り君の姿を見続け応援し続けよう。そう女房と約束して、ここまで2年近くやってきたんだよ。

 出口の見えないトンネルの中にいるように見えた君に、でも「野球が楽しい」って言ってくれている事に安心して、必要以上に君の心配をすることはやめた。

 君のことを産まれた時から知っている石井くんが、「廣やんは後で化けるタイプ」って言ったのを心の励みに、ずっと応援してきたんだ。

 ここで今日、君は君にとって残念な現実を受け入れなければならないのかもしれないけど、でも僕ら夫婦は、君にとても大きくてたくさんの夢と感動と喜びの日々を貰ってたんだ。まずはそのことに、心から感謝します。
 そして、もうこの先何があろうとも僕らに申し訳ない、なんて思わなくて良いんだよ。君は君のために、君のための日々を送る準備をしてやがて来るだろう日々に意気揚々と帆を拡げられるよう備えれば良いんだ。
 これまで応援してきたように、これからも変わりなく君のことを応援し続けていくから、君は後ろを振り返ることなく、前を向き、一歩一歩を確実にすすめていくんだよ。

 さて、ここまでこのブログを通して我が廣やんのことを知り、あるいは裕貴の頃から知ったうえで日々気にかけ、応援してくださったたくさんの皆様。
 以上のような訳で、この厳しい競争のなかでここまで頑張りぬいてきた我が次男、廣やんの最後の夏を目指しての日々が終わりました。

 3年生の選手だけでも40名、全部員では今年度86名という大所帯のなかで日々切磋琢磨し、自分の出来る努力を常にやりぬくという毎日をこの長商で過ごさせて頂けましたこと、そしてこれまで関わってくださった仲間はもちろん指導者、スタッフの皆様、土手ファンの方々はじめ応援してくださるすべての皆様に応援してくださり、また多くのアドバイスを頂きました事に、心から感謝申し上げます。

 我が次男のプレーヤーとしての夏への挑戦はここで終わりましたが、33年ぶりの甲子園出場を目指すという長商野球部の一員としての立場になんら変わりがあるものではありません。
 また、それを応援する一保護者という立場も、もちろん揺るがないものであります。
 ここまで積み重ねてきた日々の経験と蓄積を武器に、ここからさらにそれに磨きをかけて県の頂点、そして聖地での邁進を誓い、重ねてこれまでのご支援ご声援に感謝申し上げて、ご報告とさせていただきます。

 ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿