2011年11月6日
#0712 Restarting Now!
Posted at
10:56
さぁ!再起動するぜ♪ポチッとな(´_`)σ
ツーかまぁ、ここでの再起動は無いと思いつつ別天地でコソーリと日記だけ書いてましたが、気分を変えてまた復帰することにしました。通し番号が飛んでるのは気にしないでください(誰も気にしてない)。ひっそりとやってた証を自分に立てておかないといけないので(自滅)。
最近のたいがいなボヤキはFaceBookでしてますが、きちんと書き留めていきたい子供たちのこととかも、やっぱりありますからねぇ。はい。
昨日の信濃毎日新聞に掲載されてしまいましたが、我が息子たちが大変お世話になった(もちろん今もなっているんですけど)大町リトルリーグがいろいろな問題を抱える中で、中学生の部になってからあまりよく事情も知りませんが、このたび新聞に取り上げられるほどの事態に発展してしまったようです。
「指導者による暴力的行為」、と。
裕貴と廣が6年前からお世話になる中で、本人たちも私たち両親も、大変たくさんのことを学ばせていただき、ともども成長させていただきました。こと裕貴にとってはこれからの高校生活3年間においても「野球をやりたい」という強い意志を持ってそれなりの高校に進学しようと(多少)努力を始めており、仲間とともにまだまだ輝ける青春の時を送るその姿を見られるこの大きな喜びに(ぬか喜びにならないようぜひとも頑張って志望校に入ってほしいんですが)、夫婦ともどもいままで辛抱強くご指導いただいた寺尾監督、倉科監督、宮田監督はじめ多くの指導者の方々、連盟関係者の皆様に心から感謝しています。たとえぬか喜びに終わり裕貴が高校入試に失敗したとしても、今迄の6年間に体験させていただいた数々の感動と喜びを決して忘れることはありません。
リトルやリトルシニアを卒団してもなお、指導者の皆様に元気な様子を伝えにグラウンドに来ては練習の手伝いをしてくれる多くの卒団生を見て、裕貴も廣もそんな成人になってほしいと思っています。
スポーツである以上、一つ間違えば大きな事故などが起こりかねません。指導している選手たちに万が一のことが発生すれば、かならずその時は指導者の責任が問われます。そのようなことがないように、選手も指導者も、また保護者であってもお互いにその事実と向き合って、グラウンドに立つ以上真剣に勝負しなければなりません。
それぞれがそれぞれの立場の中で、最優先しなければならない「子供たちの健全なる成長」を遂げるための努力の過程の中で、指導者の方々は、私たちがそうしているようにするべき「自分の子供たちと過ごす時間」を捨て去り、野球をやりたいと願い、グラウンドに集まってくる子供たちのために、自分の子供たちへの接するのと同様以上に、野球をする子供たちに指導してくださっています。
そんな中で、見方によっては暴力的とも取れるかもしれない指導もあったのかもしれません。
しかし、私は今回問題となった倉科監督の指導に暴力を感じたことはありませんでした。ほかの指導者の方々も同様、それが暴力かと聞かれれば「そうではないでしょう」と答えるに違いありません。
もちろんそこに我が子がいたわけでもなく見たわけでもないので、私のそれまでの見方がその何らかの行為に対してあてはまるのかどうかはわかりませんが、その時の行為が見方によっては暴力行為であったとするなら、それは仕方ない。その考えに同調し、決断する選手や保護者がいても仕方ない。
一番可愛そうなのは、野球がやりたい子供たちがそれをできない環境下におかれることであり、その事態を回避するために対談した保護者の皆さんが新しい野球団体を立ち上げて、子供たちの環境を作り上げていく努力をされたことは大変素晴らしく、その決意と行動力に心から敬意を表します。いろいろ大変なこともあろうとは思いますが、子供たちのために最善を尽くされ、発展していくことをお祈りします。
ただ残念なのは、抗議行動による上部団体や自治体などへの情報流布により、大町リトルリーグに残って野球をしている選手たちが、それらの活動をできなくなってしまったことです。
暴力であったとするなら(あるいはとり方によって暴力ととられる行為であったとするなら)大町リトルリーグが懲罰を受け、活動に制約を受けることは仕方ないことですが、それが(あるいはそれまでの指導の中で)確かに懲罰を受けるに値する行為であったのかどうか、残される選手たちのためにすべての関係者によって話し合い、結論付けていくことが最優先だったのではないでしょうか。
しかしまた逆にそうするためには、そういった場が容易に取れるだけの組織でなければならならないのですが、それに必要な自浄作用も機能できないほど、組織が萎縮硬化していたのかもしれません。
やはり組織には(どんな組織であっても、企業であってもそうだと思いますが)新陳代謝、新旧交代が必要です。
Apple社はならざるを得ない事情によって経営者が交代しました。スティーブ氏の功績とこれから彼が生きていたなら果たしていたであろう更なるIT業界の発展を思うと、彼を失うと同時に人類が失ったものの大きさを嘆く声が聞こえてきそうですが、しかし彼の遺志を引き継いでこれからも事業を進めていくApple社に対して、多くの人間がこれからも更にIT環境の最先端を加速してほしいと願っているはずです。
我が大町リトルリーグも、これから先に進むためにはなくてはならない数多くの選手や保護者を失い、活動を制限されています。しかし、ここで野球をやりたい選手がいる以上、立ち止まって後ろを振り返るわけにはいきません。多くの方の尽力により、40周年を迎える大町リトルリーグは、これからも、この地で野球をやりたい子供たちがいる限り、みんなで共に支え発展してかなければなりません。
失ったものが大きいほど、見える希望は大きく輝くはずです。ここからまた立て直していくために、シニアの選手の保護者としてできる協力をしていきますので、春には選手たちの輝く笑顔と倉科監督はじめ指導者の皆様の大きな声がグラウンドではじける事を、強く願っています。
ほぼすべての自分をリトルリーグの子供たちのためにあてる。
グラウンドの中でも外でも、いつも自分の子供たちと同様に選手たちのことを思い行動する。
時には熱く激しく、時には暖かく柔らかに。
自分のためでなく、選手のためのみに。
倉科監督、あなたしかいませんよ。出来ることからコツコツと。来た時よりも美しく(意味不)。頑張っていきましょう。 私はとりあえず、このブログの復帰から始めます。
あぁそうそう。吉澤K長の代わりはちゃーんといるらしいんで(って、いるんすよね?→番長殿)
ツーかまぁ、ここでの再起動は無いと思いつつ別天地でコソーリと日記だけ書いてましたが、気分を変えてまた復帰することにしました。通し番号が飛んでるのは気にしないでください(誰も気にしてない)。ひっそりとやってた証を自分に立てておかないといけないので(自滅)。
最近のたいがいなボヤキはFaceBookでしてますが、きちんと書き留めていきたい子供たちのこととかも、やっぱりありますからねぇ。はい。
昨日の信濃毎日新聞に掲載されてしまいましたが、我が息子たちが大変お世話になった(もちろん今もなっているんですけど)大町リトルリーグがいろいろな問題を抱える中で、中学生の部になってからあまりよく事情も知りませんが、このたび新聞に取り上げられるほどの事態に発展してしまったようです。
「指導者による暴力的行為」、と。
裕貴と廣が6年前からお世話になる中で、本人たちも私たち両親も、大変たくさんのことを学ばせていただき、ともども成長させていただきました。こと裕貴にとってはこれからの高校生活3年間においても「野球をやりたい」という強い意志を持ってそれなりの高校に進学しようと(多少)努力を始めており、仲間とともにまだまだ輝ける青春の時を送るその姿を見られるこの大きな喜びに(ぬか喜びにならないようぜひとも頑張って志望校に入ってほしいんですが)、夫婦ともどもいままで辛抱強くご指導いただいた寺尾監督、倉科監督、宮田監督はじめ多くの指導者の方々、連盟関係者の皆様に心から感謝しています。たとえぬか喜びに終わり裕貴が高校入試に失敗したとしても、今迄の6年間に体験させていただいた数々の感動と喜びを決して忘れることはありません。
リトルやリトルシニアを卒団してもなお、指導者の皆様に元気な様子を伝えにグラウンドに来ては練習の手伝いをしてくれる多くの卒団生を見て、裕貴も廣もそんな成人になってほしいと思っています。
スポーツである以上、一つ間違えば大きな事故などが起こりかねません。指導している選手たちに万が一のことが発生すれば、かならずその時は指導者の責任が問われます。そのようなことがないように、選手も指導者も、また保護者であってもお互いにその事実と向き合って、グラウンドに立つ以上真剣に勝負しなければなりません。
それぞれがそれぞれの立場の中で、最優先しなければならない「子供たちの健全なる成長」を遂げるための努力の過程の中で、指導者の方々は、私たちがそうしているようにするべき「自分の子供たちと過ごす時間」を捨て去り、野球をやりたいと願い、グラウンドに集まってくる子供たちのために、自分の子供たちへの接するのと同様以上に、野球をする子供たちに指導してくださっています。
そんな中で、見方によっては暴力的とも取れるかもしれない指導もあったのかもしれません。
しかし、私は今回問題となった倉科監督の指導に暴力を感じたことはありませんでした。ほかの指導者の方々も同様、それが暴力かと聞かれれば「そうではないでしょう」と答えるに違いありません。
もちろんそこに我が子がいたわけでもなく見たわけでもないので、私のそれまでの見方がその何らかの行為に対してあてはまるのかどうかはわかりませんが、その時の行為が見方によっては暴力行為であったとするなら、それは仕方ない。その考えに同調し、決断する選手や保護者がいても仕方ない。
一番可愛そうなのは、野球がやりたい子供たちがそれをできない環境下におかれることであり、その事態を回避するために対談した保護者の皆さんが新しい野球団体を立ち上げて、子供たちの環境を作り上げていく努力をされたことは大変素晴らしく、その決意と行動力に心から敬意を表します。いろいろ大変なこともあろうとは思いますが、子供たちのために最善を尽くされ、発展していくことをお祈りします。
ただ残念なのは、抗議行動による上部団体や自治体などへの情報流布により、大町リトルリーグに残って野球をしている選手たちが、それらの活動をできなくなってしまったことです。
暴力であったとするなら(あるいはとり方によって暴力ととられる行為であったとするなら)大町リトルリーグが懲罰を受け、活動に制約を受けることは仕方ないことですが、それが(あるいはそれまでの指導の中で)確かに懲罰を受けるに値する行為であったのかどうか、残される選手たちのためにすべての関係者によって話し合い、結論付けていくことが最優先だったのではないでしょうか。
しかしまた逆にそうするためには、そういった場が容易に取れるだけの組織でなければならならないのですが、それに必要な自浄作用も機能できないほど、組織が萎縮硬化していたのかもしれません。
やはり組織には(どんな組織であっても、企業であってもそうだと思いますが)新陳代謝、新旧交代が必要です。
Apple社はならざるを得ない事情によって経営者が交代しました。スティーブ氏の功績とこれから彼が生きていたなら果たしていたであろう更なるIT業界の発展を思うと、彼を失うと同時に人類が失ったものの大きさを嘆く声が聞こえてきそうですが、しかし彼の遺志を引き継いでこれからも事業を進めていくApple社に対して、多くの人間がこれからも更にIT環境の最先端を加速してほしいと願っているはずです。
我が大町リトルリーグも、これから先に進むためにはなくてはならない数多くの選手や保護者を失い、活動を制限されています。しかし、ここで野球をやりたい選手がいる以上、立ち止まって後ろを振り返るわけにはいきません。多くの方の尽力により、40周年を迎える大町リトルリーグは、これからも、この地で野球をやりたい子供たちがいる限り、みんなで共に支え発展してかなければなりません。
失ったものが大きいほど、見える希望は大きく輝くはずです。ここからまた立て直していくために、シニアの選手の保護者としてできる協力をしていきますので、春には選手たちの輝く笑顔と倉科監督はじめ指導者の皆様の大きな声がグラウンドではじける事を、強く願っています。
ほぼすべての自分をリトルリーグの子供たちのためにあてる。
グラウンドの中でも外でも、いつも自分の子供たちと同様に選手たちのことを思い行動する。
時には熱く激しく、時には暖かく柔らかに。
自分のためでなく、選手のためのみに。
倉科監督、あなたしかいませんよ。出来ることからコツコツと。来た時よりも美しく(意味不)。頑張っていきましょう。 私はとりあえず、このブログの復帰から始めます。
あぁそうそう。吉澤K長の代わりはちゃーんといるらしいんで(って、いるんすよね?→番長殿)
Written by
Morito D-David Nishizawa
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お帰りなさい!
返信削除大町リーグの一件は外部から見ている限り信じられません。
只、子供を最優先で考えて欲しいです。
退団した保護者で新団体を立ち上げたと聞きますが、ボーイズ小学部は県内になく試合には県外遠征が必須になります。これはこれで大変だと思いますが継続できるように頑張って欲しいです。
あー早速のコメント、ありがとうございます!リトルから離れ、お会いすることもなくなってしまいましたが、どこかで会いましたらまたよろしくお願いいたします!
返信削除そうですね。子供たちを第一に考えると、どちらにしてもしばらくの間は大変かと思いますが、いずれにしても前に進むしかありません。
厳しい道のりの中で、子供たちが充実した日々を送れるよう、関係者も保護者も一丸となって頑張っていくしかないですね!