まさかこの地点を通過するとき、そんな気持ちで通過することになろうとは思いもしませんでした(後述)。
エントリーも無事終了で、会場を退場するために順路に沿って歩いていくと、
なんとヲレの琴線に触れる「完走キット」販売中。高いほう一つ頂きました(後悔先に立たず)。合わせてほしかった膝用のテーピングバンドも購入し、果たして高いのか安いのかもわからないまま結構な金額を投入して退場できました。
この後、松代高校で練習試合中の長商Bチームの2戦目を若干観戦しつつ、居残りCチームで活躍中の我が廣やんの様子も軽く覗いていると、この日一番会いたくなかったK内父が暇つぶしで長商Gに。
「そういえば明日はいよいよあー出たな。出ちまったヲイ。しかたネェ。とりあえず受付だけすましてきたとカミングアウト。出走経験者のレクチャーはしかし為になるぞぃ♪
そしていよいよ決戦当日(だれと?ってツッコミは無しで)。
ビッグハットの前日停めた駐車場に車を停め、そこからシャトルバスで移動。スタート地点の東和田、長野運動公園はすでにワンサカの人々で溢れかえっていました。
みんな入念にアップしてますが、ヲレは無駄な体力を使わないようストレッチのみ。いつも県営で試合の際、陸上競技場のスタンドから見てる方たちを遠目に見てましたが、どんな景色で見れるのかと思ったら結構見えますね。
まぁここがスタンドの端っこなので、ホームベースは見えないか。
選手たちの誘導が始まり、ヲレは自分のスタートブロックへと移動しましたがなんと最後尾スタート。
どうやら自己申告のタイムが基準になっているらしく、「5時間」と書いたヲレは当然最後尾です。
この人たちも5時間コースか。
で、午前8時30分スタート!はるか遠くで号砲を聞いたスタートゲートを通過できたのは8分以上経ってからでした。
この後は沿道でたくさん声援を送ってくださる皆さんから元気と勇気を頂き、声掛けたけど気づいてもらえなかったTR島父、そして気づいてもらえたTR島母や、誰かの応援にMウェーブのところで立っていたテラに声を掛けたりしながら、いつもなら13キロ手前くらいから痛み出すはずの膝も調子よく、20キロを超えるあたりまでは5キロを32分程度のペースで順調に走る事が出来ていたのですが、25キロを超えたところからどこかの痛みではなく、基本的な体力不足により足が出なくなってしまいました。
松代RH近くの高速道路沿いの道では、すでにもう足が出ず時折歩き、あるいはストレッチを繰り返しながら、
「次の収容関門で足切りになるかなぁ」
と、半分以上諦めながら、それでもこれまで我が子たちに「最後まであきらめず頑張り抜くことの大切さ」を散々説いてきた自分を裏切る事になるんじゃないか? という気持ちに背中を押されながら、どうにかこの29キロポスト@坂田木材スポンサード地点までやってきました。
JKキャワイス!o(*>▽<*)o 元気出た!
この土手を抜け、最後まで頑張りたい。
4時間45分ペースのペースメーカー、5時間のペースメーカーのグループともにとっくに走り去ったコースで時には歩き、時にはどうにか足を引きずるように走りながら、でも諦める気持ちはすでにやっつけて、とにかくゴールを目指しました。
37キロのポストで、とうとう
「この車の前を走らないと、次の収容関門の時間制限に間に合いませんよ」
という運営@プリウスに尻を叩かれながら痛む足をとにかく左右交互に繰り出して、オリスタまでの最後の直線道路からゴールまでの5キロ、脚を止めることなく駆け抜け、グロスでは5時間を切る事が出来ませんでしたがネットではなんとか4時間台でゴールする事が出来ました。
ゴール前、スタジアムの入り口ではヲレ最愛の女房と子供たちが待っていてくれ、ハイタッチしてくれるという最高のインセンティブ♪
とにかくこうして初(フル)マラソンは、沿道の皆さんからの声援に後押しされながら、どうにか足切りに会う事なく走り抜ける事が出来ました。
こうして春爛漫の長野をとても楽しみながら、走る事が出来る身体で産んでくれた両親とご先祖様、そして好きな事をさせてくれている女房や応援してくれる子供たちに心から感謝です。
完走できたとはいえあまりにも不甲斐ない成績でした。自己弁護するならば膝の痛みへの不安と過ごしたこの1年。ただ走るだけなら、不安はおろかそれまでよりもずいぶん調子が良い事ははっきりわかりました。
来年もエントリーする事に成功したのなら、4時間30分を切ってゴールできるように頑張ろうと思います。
ガンガれ!ヲレヽ(´ー`)ノ
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