2017年12月31日
#1711 総括2017。
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20:22
さて、いよいよ年の瀬も大晦日。毎年ブログを締めくくるべく総括を行ってきていますが、今年こそギリギリまで準備もできず、こうして下書きを書き始めたのが大晦日の午後4時を廻った頃になりました。
まずは仕事面からの総括へ。
年明け早々から、前年暮れに入札によって受注できた、我が家に隣接するJA大北おたり支所の解体工事。厳しい金額での受注ではありましたが協力してくださった業者さんの頑張りもあり、冬季の厳しい現場ではありましたが安全な中でどうにか完工する事が出来ました。竣工書類においても不備なく受領して頂き、竣工後支払い100%だったため借入したことによる負担は大きかったものの、赤字になる事なく終われたのはとても良かった。
そこには卒業間近だった次男を現場の除雪に投入したりといった、コンプライアンスに若干問題があったりもしたかもしれませんが、とにかく良かった。
逆にこの現場での除雪で、平成2年に購入したタイヤドーザー、KAWASAKI 50Z3が悲鳴を上げ、とうとう壊れてしまいました。
春に新型の車両を近所のまこちゃんとCATの協力で購入できましたが、とうとう父が存命だったころからの車両は、昭和末期に購入したコマツの2.5トンフォークリフト1台のみに。
まぁ、形あるものはいずれ壊れる宿命を負っています。これからも、古い機械も新しい機械も大切に使っていきたいと思います。
夏には、昨年末にひょんなことから請け負う事になった某国際弁護士夫婦@香港住みご夫婦のセカンドハウスを着工しました。
建て方が日本の在来工法と違い、協力いただいた大工さんたちの努力の甲斐なく工事は遅れに遅れ、12月中旬には竣工したかった現場はとうとう年末近くなった期限に間に合わせる事が出来ませんでした。
それでも、「借りでも良いからクリスマスをそこで過ごしたい」と仰ったお施主さんたちの熱意を汲み、それぞれに全力で協力を頂けた皆さんのおかげで、それなりに形になった現場でこのクリスマスホリデーを過ごすことが出来たお施主様からは、
「こうして楽しい休暇を過ごす事が出来たことを、心から感謝しています」
と(たぶん)仰っていただけたことが心から嬉しく、年明けから始まる仕上げ工事に向けて気持ちのスイッチを入れ直し、完全な形で春節休暇を楽しんで頂けるように頑張る所存です。
年明けの足場の除雪から始まった今年の仕事。結局最後のこの現場での足場の除雪まで、除雪に明け暮れた最初と最後の1年でした。
結果としてはなかなか利益が生まれず、厳しい1年となりました。それでも経験を踏みました。来年以降、受注機会があるとしたならこの経験を踏まえ、より経営を上方に向けて行けるよう、努力していきたいと思います。
木材販売については例年通りで、相変わらず不振が続いています。これは致し方ない、というレベルをいつまでも続けて経営を続けていけるはずもなく、新たな一手を打ち込んでいくべく現在試行錯誤中ではありますが、急に効果が出る特効薬であるはずもないので、現在持っている企業体力の中で再起の道を踏んでいけるかどうか、来年が正念場ではないかと思います。
ほしゃ家族と私ごと。
長男裕貴は夏に車掌さんの試験に合格し、秋から本格的に見習いをこなす日々を送り、とうとう独り立ちした模様。
その先の「運転手」という道を目指す中で日々研鑽を重ね、あの卒業式の日に友に語った「自分が運転する車両にみんなを乗せる」という夢が現実になるよう、心から願っています。
次男、廣やんは高校を無事卒業。海自横須賀教育隊での日々も”持久走だけ最優秀”な日々を終え、各種適性検査ではそれなりに適マークを頂いたようで、彼が目指していた潜水艦乗りになるのかと思っていましたが、
「自分としては潜水艦と航空管制官がやりたい仕事です。どちらを選んだらよいですか?」
と両親に聞いてきました。思いは一つ。しかしそれが本当に彼のやりたい仕事でないとしたなら、あとで後悔する事も明白です。
「君がやりたいと思う仕事を、君の人生として選択すれば良いよ。親は君の進むべき道を阻む権利はないから」
と伝えました。彼が選んだ道は、おそらく彼が一番やりたかった仕事ではない航空管制官。
嬉しい半面、しかし彼がその道を選んだのだから、誰のせいにするでもなくその道を全うするために日々精進してくれることを祈るのみです。
みづきは中学生に。陸上部で頑張る日々を送ってはいますが、これまで”家””学校””グラウンド”という△関係しか移動したことが無かった日々を送って来た後遺症が、こうまで大きいとは予想だにしませんでした。
電車に乗る事もままならない。妹たちを帯同すればなおさら、その責任の重さに(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル。
徐々に慣れさせていく中で、姉としての自覚をいかに目覚めさせていけるかどうか、親の責任の範囲にあるうちに頑張りたいと思います。
双子はまさに楽しい盛り。日々家の前をランニングしながら、学校でも精一杯楽しみつつ合唱団でイヤイヤ日々を重ねながら、それでも親の言う事を無理くり合点して、ここまでたどり着きました。
家に残ったのは娘三人。私たち親としても、男児の育児と違いなかなか難しいところばかりではありますが、それでも常に意思疎通を図りながら、
「家族として」
より良い方向に向かうべき手を差し伸べる事が出来るよう、努力していきたい所存です。
母は昨年末の手術を乗り越え、心配した体力もほぼ術前の状態まで復活してきている様子であることを実感しています。
父が母に残した住まいは道路の拡張計画に掛かり、県からの補償を受けて解体。新しい終の棲家を同じ敷地内に計画し、5月の解体開始から丸7か月以上を掛けて完成する事が出来ました。
来春81歳。あと何年、この家で自分が自分らしく生きていけるかは母次第だと思いますが、長男として出来ることをしながら、その手助けをしていけたらと思っています。
さて、女房はいよいよ32歳になりました。カワイイ盛りです(意味不)。あの日あの時あの場所で(略)
しかし。
出会うずっと前から君に惚れることは約束されていたんだ。
そしてもしも君と交際したらこの道を幾度も行き来する事が、決まっているんだ。
君と出会う前から自分は感じていたんだ。と、これまで幾度も伝えてきました。
嘘っぽいですが本当です。まぢです。
そんな、いよいよ長い夫婦生活ですが、平成2年4月より務めさせていただいてきた小谷村消防団での生活も、来春3月末をもって一区切り。定年により退団の年を迎える運びとなりました。
当初の2年間はなかなかやる気を持てず関係各位にご迷惑をおかけし続けましたが、3年目に自動車班での初3番員を仰せつかると、村の大会を経て大北大会に敗戦したその直会では、当時のOG沢YO平班長に翌年の3番員を泣いて懇願するという不貞。以後3番員3回を始めとして1番員2回、2番員1回、4番員3回、指揮者2回を経験させて頂きいずれも村大会、大北大会を経験させて頂きながらもいずれも大北大会では大敗。
その後の我が第2分団(のちに第3分団へと併合)の活躍を、指をくわえながら遠目に見つつも、潔く息子の野球帯同に全身全霊を傾けるという日々を送らせ貰ってきました。
退団。イコール。退職金♪ と言う事で、頂きます(はずの)退職金につきましては(捕らぬ狸の皮算用ではありますが)これまで支えてくれた女房への御礼として、春の忙しくなる前の時期に夫婦で旅行をしようと画策しています。
目的地は、みづきがまだ生まれる前に社員旅行で行った松山、石手寺。社員旅行ではありましたが、石手寺を訪れた際に行った「安産祈願」。石手寺からお預かりしたその石を、今だ我が家の仏壇にあげたまま、今日を迎えています。
みづきが通常の出産を迎えながらも、へその緒がまわってしまい緊急帝王切開となったあの日。それまで、普通に命を授かり普通に出産する事が普通だった。普通だと思っていた。そんな私たち夫婦の思いが大きく変わったその日を迎えることになった時に、大町病院の手術室の前で、とにかく母子ともに無事出産が終えることだけを願い続けました。
出産を終えた女房は麻酔によってまだもうろうとする意識の中で、「大丈夫、大丈夫」
と、心配する私に気丈に声を掛けてくれました。
が、その2年後にまた帝王切開、しかも双子の出産を迎えるとは、私も女房も思いもしませんでした。
出産するという決断をしてくれたこと、そして生まれ来た双子が今日まで無事成長してくれたことに感謝を込めて、その石に娘たちの名を認め、次の方々のために新たな石を準備して、春にお礼参りに伺います。
では私事。
昨年から引き受けて来た我が長商のいわゆるPTA会長、「育友会長」も春の卒業式、そして入学式をもって大きなイベントをほぼ終了し、5月の総会にて無事新会長へと引き継ぎを終え、私はその任を解かれました。
出来が悪いのは当然なのでご迷惑をおかけする事ばかりでしたが、得たことは多々ありました。なにより高校のPTA会長がこれほどまでに充実した日々を送らせて頂ける役職だとは思いもしませんでした。
長商では(私が知る限り)代々、野球部員の保護者がその役を務めさせて頂いてきました。たまたまこの年、適任の方がいなかったかどうかは解りませんが、その大役を私が務めさせて頂けたことに、本当に感謝です。
で、今年から小谷小学校のPTA副会長を務めさせて頂く運びとなりました。任期は来年の会長を超え、県P連副会長までの5年間。泣くほど嬉しく(逆)、このチャンスを与えてくださった神様に感謝しながら(逆)、その任も全うできるよう全力で取り組んでまいります。
仕事では正直、所々思うように上手くいかない所が多々ありました。
しかし、家庭としては私にとっては出来過ぎなほど多くの幸せを享受し、家族で分かち合い、あくる日に迎える新しい年に向けて気持ちを乗せていけるに十二分なほど満ちています。
どうか、来る年も今年と同じく家族が平穏無事であり、また皆様がそれ以上に幸せでありますように。
まずは仕事面からの総括へ。
年明け早々から、前年暮れに入札によって受注できた、我が家に隣接するJA大北おたり支所の解体工事。厳しい金額での受注ではありましたが協力してくださった業者さんの頑張りもあり、冬季の厳しい現場ではありましたが安全な中でどうにか完工する事が出来ました。竣工書類においても不備なく受領して頂き、竣工後支払い100%だったため借入したことによる負担は大きかったものの、赤字になる事なく終われたのはとても良かった。
そこには卒業間近だった次男を現場の除雪に投入したりといった、コンプライアンスに若干問題があったりもしたかもしれませんが、とにかく良かった。
逆にこの現場での除雪で、平成2年に購入したタイヤドーザー、KAWASAKI 50Z3が悲鳴を上げ、とうとう壊れてしまいました。
春に新型の車両を近所のまこちゃんとCATの協力で購入できましたが、とうとう父が存命だったころからの車両は、昭和末期に購入したコマツの2.5トンフォークリフト1台のみに。
まぁ、形あるものはいずれ壊れる宿命を負っています。これからも、古い機械も新しい機械も大切に使っていきたいと思います。
夏には、昨年末にひょんなことから請け負う事になった某国際弁護士夫婦@香港住みご夫婦のセカンドハウスを着工しました。
建て方が日本の在来工法と違い、協力いただいた大工さんたちの努力の甲斐なく工事は遅れに遅れ、12月中旬には竣工したかった現場はとうとう年末近くなった期限に間に合わせる事が出来ませんでした。
それでも、「借りでも良いからクリスマスをそこで過ごしたい」と仰ったお施主さんたちの熱意を汲み、それぞれに全力で協力を頂けた皆さんのおかげで、それなりに形になった現場でこのクリスマスホリデーを過ごすことが出来たお施主様からは、
「こうして楽しい休暇を過ごす事が出来たことを、心から感謝しています」
と(たぶん)仰っていただけたことが心から嬉しく、年明けから始まる仕上げ工事に向けて気持ちのスイッチを入れ直し、完全な形で春節休暇を楽しんで頂けるように頑張る所存です。
年明けの足場の除雪から始まった今年の仕事。結局最後のこの現場での足場の除雪まで、除雪に明け暮れた最初と最後の1年でした。
結果としてはなかなか利益が生まれず、厳しい1年となりました。それでも経験を踏みました。来年以降、受注機会があるとしたならこの経験を踏まえ、より経営を上方に向けて行けるよう、努力していきたいと思います。
木材販売については例年通りで、相変わらず不振が続いています。これは致し方ない、というレベルをいつまでも続けて経営を続けていけるはずもなく、新たな一手を打ち込んでいくべく現在試行錯誤中ではありますが、急に効果が出る特効薬であるはずもないので、現在持っている企業体力の中で再起の道を踏んでいけるかどうか、来年が正念場ではないかと思います。
ほしゃ家族と私ごと。
長男裕貴は夏に車掌さんの試験に合格し、秋から本格的に見習いをこなす日々を送り、とうとう独り立ちした模様。
その先の「運転手」という道を目指す中で日々研鑽を重ね、あの卒業式の日に友に語った「自分が運転する車両にみんなを乗せる」という夢が現実になるよう、心から願っています。
次男、廣やんは高校を無事卒業。海自横須賀教育隊での日々も”持久走だけ最優秀”な日々を終え、各種適性検査ではそれなりに適マークを頂いたようで、彼が目指していた潜水艦乗りになるのかと思っていましたが、
「自分としては潜水艦と航空管制官がやりたい仕事です。どちらを選んだらよいですか?」
と両親に聞いてきました。思いは一つ。しかしそれが本当に彼のやりたい仕事でないとしたなら、あとで後悔する事も明白です。
「君がやりたいと思う仕事を、君の人生として選択すれば良いよ。親は君の進むべき道を阻む権利はないから」
と伝えました。彼が選んだ道は、おそらく彼が一番やりたかった仕事ではない航空管制官。
嬉しい半面、しかし彼がその道を選んだのだから、誰のせいにするでもなくその道を全うするために日々精進してくれることを祈るのみです。
みづきは中学生に。陸上部で頑張る日々を送ってはいますが、これまで”家””学校””グラウンド”という△関係しか移動したことが無かった日々を送って来た後遺症が、こうまで大きいとは予想だにしませんでした。
電車に乗る事もままならない。妹たちを帯同すればなおさら、その責任の重さに(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル。
徐々に慣れさせていく中で、姉としての自覚をいかに目覚めさせていけるかどうか、親の責任の範囲にあるうちに頑張りたいと思います。
双子はまさに楽しい盛り。日々家の前をランニングしながら、学校でも精一杯楽しみつつ合唱団でイヤイヤ日々を重ねながら、それでも親の言う事を無理くり合点して、ここまでたどり着きました。
家に残ったのは娘三人。私たち親としても、男児の育児と違いなかなか難しいところばかりではありますが、それでも常に意思疎通を図りながら、
「家族として」
より良い方向に向かうべき手を差し伸べる事が出来るよう、努力していきたい所存です。
母は昨年末の手術を乗り越え、心配した体力もほぼ術前の状態まで復活してきている様子であることを実感しています。
父が母に残した住まいは道路の拡張計画に掛かり、県からの補償を受けて解体。新しい終の棲家を同じ敷地内に計画し、5月の解体開始から丸7か月以上を掛けて完成する事が出来ました。
来春81歳。あと何年、この家で自分が自分らしく生きていけるかは母次第だと思いますが、長男として出来ることをしながら、その手助けをしていけたらと思っています。
さて、女房はいよいよ32歳になりました。カワイイ盛りです(意味不)。あの日あの時あの場所で(略)
しかし。
出会うずっと前から君に惚れることは約束されていたんだ。
そしてもしも君と交際したらこの道を幾度も行き来する事が、決まっているんだ。
君と出会う前から自分は感じていたんだ。と、これまで幾度も伝えてきました。
嘘っぽいですが本当です。まぢです。
そんな、いよいよ長い夫婦生活ですが、平成2年4月より務めさせていただいてきた小谷村消防団での生活も、来春3月末をもって一区切り。定年により退団の年を迎える運びとなりました。
当初の2年間はなかなかやる気を持てず関係各位にご迷惑をおかけし続けましたが、3年目に自動車班での初3番員を仰せつかると、村の大会を経て大北大会に敗戦したその直会では、当時のOG沢YO平班長に翌年の3番員を泣いて懇願するという不貞。以後3番員3回を始めとして1番員2回、2番員1回、4番員3回、指揮者2回を経験させて頂きいずれも村大会、大北大会を経験させて頂きながらもいずれも大北大会では大敗。
その後の我が第2分団(のちに第3分団へと併合)の活躍を、指をくわえながら遠目に見つつも、潔く息子の野球帯同に全身全霊を傾けるという日々を送らせ貰ってきました。
退団。イコール。退職金♪ と言う事で、頂きます(はずの)退職金につきましては(捕らぬ狸の皮算用ではありますが)これまで支えてくれた女房への御礼として、春の忙しくなる前の時期に夫婦で旅行をしようと画策しています。
目的地は、みづきがまだ生まれる前に社員旅行で行った松山、石手寺。社員旅行ではありましたが、石手寺を訪れた際に行った「安産祈願」。石手寺からお預かりしたその石を、今だ我が家の仏壇にあげたまま、今日を迎えています。
みづきが通常の出産を迎えながらも、へその緒がまわってしまい緊急帝王切開となったあの日。それまで、普通に命を授かり普通に出産する事が普通だった。普通だと思っていた。そんな私たち夫婦の思いが大きく変わったその日を迎えることになった時に、大町病院の手術室の前で、とにかく母子ともに無事出産が終えることだけを願い続けました。
出産を終えた女房は麻酔によってまだもうろうとする意識の中で、「大丈夫、大丈夫」
と、心配する私に気丈に声を掛けてくれました。
が、その2年後にまた帝王切開、しかも双子の出産を迎えるとは、私も女房も思いもしませんでした。
出産するという決断をしてくれたこと、そして生まれ来た双子が今日まで無事成長してくれたことに感謝を込めて、その石に娘たちの名を認め、次の方々のために新たな石を準備して、春にお礼参りに伺います。
では私事。
昨年から引き受けて来た我が長商のいわゆるPTA会長、「育友会長」も春の卒業式、そして入学式をもって大きなイベントをほぼ終了し、5月の総会にて無事新会長へと引き継ぎを終え、私はその任を解かれました。
出来が悪いのは当然なのでご迷惑をおかけする事ばかりでしたが、得たことは多々ありました。なにより高校のPTA会長がこれほどまでに充実した日々を送らせて頂ける役職だとは思いもしませんでした。
長商では(私が知る限り)代々、野球部員の保護者がその役を務めさせて頂いてきました。たまたまこの年、適任の方がいなかったかどうかは解りませんが、その大役を私が務めさせて頂けたことに、本当に感謝です。
で、今年から小谷小学校のPTA副会長を務めさせて頂く運びとなりました。任期は来年の会長を超え、県P連副会長までの5年間。泣くほど嬉しく(逆)、このチャンスを与えてくださった神様に感謝しながら(逆)、その任も全うできるよう全力で取り組んでまいります。
仕事では正直、所々思うように上手くいかない所が多々ありました。
しかし、家庭としては私にとっては出来過ぎなほど多くの幸せを享受し、家族で分かち合い、あくる日に迎える新しい年に向けて気持ちを乗せていけるに十二分なほど満ちています。
どうか、来る年も今年と同じく家族が平穏無事であり、また皆様がそれ以上に幸せでありますように。
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