歳も改まり2週間。
ヲレん家、会社とも今だ注連縄飾りを片付けておりませんが、心配ご無用です→ヲマイら♪
今年、ヲレらの月岡地区は例年よりもおそい17日にどんど焼きを開催するとのことで、
「そんなら昔みたいに15日まで飾っとこ♪」
と言う事で、明日の朝には片付け17日のどんど焼きに備えますのであしからず。
さて、新年のご挨拶にいろんな方がきてくださいます。んで、あんまり来てほしくない保険屋がやってきては情報誌を置いてってくれたんです。
がっ。
ががっ。
がががっ。
孫まだ遠いだろ。裕貴なんぞ何時なったらケコーソするんだか解んねぇしさ┐(´д`)┌ まして廣やんは変人だしさ(*・艸・)
まぁいいや。
って事で標題乙。
祖母百枝が90歳で他界した平成7年の翌年を皮切りに始まった従兄妹会。開催初回は太く短く人生を駆け抜けた、
ヲレ的永遠の宴会部長、タケ兄ちゃんが仕切りを入れて諏訪湖畔にて大変楽しい宴を楽しませて頂きました。
たしかまだ裕貴が女房のお腹にいた年でした。
2回目は裕貴と廣やんが野球を始めた平成16年だったかの秋深まった、リトル保護者恒例の審判講習会前日に、
ヲレ的永遠の最右翼まー兄ちゃんが幹事の下、美ケ原温泉にてこれまた美味しい宴を楽しませて頂きました。
そして次回の幹事がヲレへと引き継がれたまま、あれよあれよと増えた子供たちに東奔西走する間になんと9年もの年月が流れちまいました!
が、昨年最後のエントリーに上げました通り、裕貴の夏が終わってようやく一区切り付き
、これ以上従兄妹が死んじまってもなんか寂しくなってくばっかりだからという事で
「小谷村が小谷村らしい季節に小谷村らしい場所での開催」
小谷温泉山田旅館で真冬の宴を開催すべく現当主の誠司さんにご相談しようかどうかというタイミングでこの地域を襲った神代断層地震により、山田旅館が大きな被害を被ったという話だけは聞いておりました。
「まぁメンツがメンツだけに、別に壊れてて寒くてもそりゃそれでイイんじゃネ?」
と思いつつ、それでも
「現地だけは確認しとくか」
と、本日仕事の合間のお昼時間に、震災からの復旧工事に入っている義兄の陣中見舞いもかねて
冷やかしに行ってきました。
まぁ酷いもんです。あの時ヲレらで泊めて頂いた趣ある新館(大正期創建、昨年が築100年記念地震)はこれまで、平成に建てられた別館と共にお客様を泊める客室を持つ主たる建物の一つですが、全ての土壁は剥がれ落ち、建物の高さも狂って大きな被害を受けていました。
開催は厳しいかなぁ。場所変えなきゃだめか。
とか思いながら、お昼休みの義兄に挨拶をして館内徘徊。建物の外部側に巡る回廊調の縁側天井は、再現することはまず難しい見事な造作。
100年を超えて今にその素晴らしさを伝えるこの建物を、どうしても残していかなければなりません。
一回りしてっから義兄、そして一緒に仕事をしてる晃と話をしていると、今年おそらく4日目ぐらいとなるであろう本館3階の屋根雪を下ろしていた誠司さんが、休憩を兼ねて話をしに来てくださいました。
コレだけの建物を守り続けていくこと、そして繋いでいくことは、クチや気持ちでは簡単に思い表す事が出来ますが、実際体を使ってやって退けていくことは本当に大変な事です。今回の地震では、純粋な住宅に対しての補助は計画されているようですが、こういった「小谷村になくてはならない建物」を守り抜くために、何かしらの規制を緩和したうえで所有者に助成をしていく必要は、大いにあるのではないでしょうか。
ほいで本題→ピンでまー兄ちゃん、伸くん。いちおうこんな状態ですが一昨年義兄が手を入れて修復した「長屋」と呼ばれる江戸時代に建てられた部分は全く被害なく宿泊する事が出来ます。
当主山田誠司さんも
「3月頃からはなじみのお客からの予約は受けていく予定でいるんだ」
とのことでしたので、一応幹事ヲレの都合を申し上げ、現在奥さんからのOKサインを頂くだけの状況です。
晴れて奥様のOKが頂けましたら3月中旬での従兄妹会@小谷村を開催すべくご案内申し上げますので、
首を洗って待っててくださいゴルァ(#゚皿゚)凸