※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2016年6月30日

#1615 ハピハピ!18'th(リターンズ)

って事で相変わらずトップに居残る例のエロいネタをどうにか下げ続けるべく努力してます(゚д゚)キリッ

 日曜日に全力出しきってサポートに回る決意も固め、期末試験の間となる月曜午後に帰ってきました。
裕貴もこの日はオフで、久しぶりに家族7人揃い、女房も嬉しさいっぱい。
まぁ料理はチープでしたが廣やんも喜んでくれてました!
ほいで、廣やんの誕生日恒例、「今日の主役」
相変わらずまんざらでもない顔して居座り、
全員で乾杯!(ちなみに裕貴はぽん酢で乾杯でした。昨日飲み過ぎたせいでしょうか?)
で、土曜から日曜にかけて地元の友だちと久しぶりに東京に出かけ、プロ野球のデーゲームを楽しんできた裕貴が廣やんにプレゼントを買ってきたのでアゲます。
中身はコレ。
ドケチな裕貴クソはこのプレゼント買ったせいで、自分の買い物すら出来なくなるほどのチキソっぷりを家族にまで露呈し、このプレゼントすら渡すのシブるほどの守銭奴っぷりでしたが、まぁデカくボーナスあたったんでこのくらいじゃバチ当たんねーよ。心配するな。

2016年6月29日

#1614 ハピハピ!18'th♪

 って事で本日大安、一粒万倍日にして大吉日でしたので、一昨年の地震で被災した為に建替えを計画するも、当社も震災復旧事業に忙しく取り掛かれずにいた某様邸復興事業の建て方を行いました。
 柱以外はほぼ小谷産の杉材を製材し、天然乾燥させたものを使って本日の建て方に。
 
明日は雨の予報なので工事は進めませんが、どうにか8月末には完成させて安心して暮らせるよう、お施主様のお力になれれば。
 
さて標題。その本日大安日、6月29日は我が廣やんの18歳の誕生日です。さすがに一緒に家でお祝いをすることはできませんが、未だに何の仕事をしてるんだかよくわからないOMC元総監督でありながら現在は某ウェルネスにてヘッドコーチを担当しているUC山さんが珍しく仕事の話で我が社にやってきた際、
「娘にやって」
などどカッチョつけてロールケーキを下さったので食べました(主役の廣やん抜き)。廣やん、18歳おめでとう!月曜日に帰ってきた時に期日前投票も済ませ、今日からは(ほぼ)成人の仲間入りです。
 自分の言動、行動に責任をもって日々を過ごす事ができるよう、親も出来が悪いながら応援していますので、これからの人生楽しんで下さいヽ(´ー`)ノ

2016年6月28日

#1613 万事感謝(舞チャソ限定か?笑)

いつまでも投稿が少ないと最後の更新@#1611の、共に認める超脚フェチなヲレの琴線をかき鳴らす(略

 さて先日日曜日。我が長商はホームにて甲府城西、上田染谷丘との変則Wが組まれていました。
 今後のスケジュールなどをグラウンドにおいでくださるファンの皆様などにお知らせするホワイトボードにも、ずっと前から
「引退試合」
と記載されていました。
が、いつの間にかその文字が消されてしまったため、天候に恵まれなかった昨年に引き続き引退試合はなくなってしまったのか。
 と思っていましたが、先週廣やんがメンバー落ちを伝えてきた際、
「26日は3年生の引退試合になります。人数が多いので長く試合に出ることは出来ないと思いますが、最後なのでぜひ観に来て下さい」
と言いました。
その後、同じメンバー落ちをした選手の母と女房のやり取りから、どうやら背番号を付けてその試合に臨む事になるという事を聞きました。
 廣やん、どうするんだろう。
と思い女房が聞いた所、ヲレの舞チャソにお願いして縫って頂くことにしたそうです。
 3年女子マネージャーは1人。学校の宿題や自分のマネージャーとしての仕事だけでなく1年生マネージャーの育成やこの時期は千羽鶴づくりなど、寝る時間も無いほど忙しいことを解っててお願いしたのであれば相当なトボケですが、多分そんな事ぁアタマの端っこにも無かっただろうヤシのお願いを快諾してくれたそうで、土曜日の練習試合の合間に、丁寧に縫い付けてくれました。
YM口父が妙なプレッシャーを掛けてくるのでこの間トップにアゲた写真、再びアゲます。
キャワイスですよね参ったか♪♪

 本当にありがとうね。3年間、お世話になりました。ってかまだ色んな意味でお世話になりますが、自分の手の回らない時は何でも言いつけてやらせてやって下さい。
 通常の会話には困らない程度の躾まではしてあるので、大概のことは大丈夫かと(自滅)。

 で臨んだ第3試合の長商x上田染谷丘との引退試合。背番号を付けてグラウンドに出てきた廣やんに女房号泣から始まった試合は、アレもコレもソレもあり~の、っからの感動のフィナーレで〆。
 そのうち気が向いたら写真の2,3枚もアップしまってかチョッと取り込んでてそれどころじゃ。どうかご容赦を。

 ほしゃオマケ。
例の写真、あまりにも色々がエグいので今日はこれだけにしときますキリッ( ;´д`)ゞ

#1612 みづきさん、最後の音楽会を終える つД`)

いつまでも更新しないでいると最後の更新@#1611の、自他共に認める脚フェチなヲレの琴線をかき鳴らすエロい画像が下がっていかないので、それ下げるためだけに更新します( *´艸`)

 さてバカは放っといて→自分orz..

 日本全国、秋の国民的行事といえば運動会!のはずでしたが(昭和の時代)、このところは残暑厳しい折熱中症で倒れる児童もおおくなり、各地の小学校では春に運動会が開催されることが多くなりました。

ががが。
ががが。
ががガイガー♪

我が小谷小学校とくりゃ良い感じです♪
って事で、先週の金曜日は我が小谷小学校の音楽会が開催されました。

 みづきたち6年生は小山先生が指揮。
あんだけ「けん玉やりたくないから小山先生は嫌だ」と言ってた6年たちを、まるで手玉に取るように大のけん玉好きに仕立てあげるその手口、プロだな。
 しかも音楽会のプログラムに半ば強引にけん玉の技を披露させるとは(笑)

 で(かなり端折り)、ウチの三姉妹が入団している小谷小学校合唱団の見世物。なんと合唱の前座はみづきでした。
まるでキャプテン気取りだな。声スッカスカだけどだいじょう?
 なんて事思ってる間に演奏が始まり、岩原先生に代わり浅井先生が指揮。
キャワイスですぉ!
で、我が家の三姉妹、楽しませてくれました♪



歌う様子はどうもピナが一等賞かな( *´艸`)

 ほいで、いよいよ最後の音楽会、そして最後の演奏となった6年生の「ヌターウォーズ」。K山先生も子供から取り上げてきたライトセーバーを
「シャキーソ!」
と伸ばして、素晴らしい演奏(超お世辞)を指揮してくださいました♪
音楽会の最後は高木校長先生による例のセレモニー風な閉会。これも良い企画だと思います。いつも感動をありがとうございます♪

 小谷小学校最後の年となった今年最初の大イベント、みづきの運動会が終了しました。次は中イベントの水泳記録会かな。その後は運動会、マラソン大会や修学旅行などが続きます。怪我や病気などで学校を休むことなく、最後の1年間を目一杯楽しんでもらいたいものです!

2016年6月23日

#1611 穴があったら入りたい。イヤ、いろいろ挿れたい(漢の性)

 どうにも眠れない夜を過ごし日中もまったく眠くならないという素晴らしいクスリを昨夜廣やんから頂いたせいで、今夜も絶好調です(意味不)。

 さていよいよ今週末の土曜日は、長野県の高校野球を愛してやまないヲマイらがとっても楽しみにしてる、第98回全国高校野球選手権長野大会の組み合わせ抽選会が執り行われますぉヽ(´ー`)ノ(昨日も書いた)

 どの高校が初戦の相手となろうとも、自分たちが積み重ねてきたこれまでの総てのチカラを出しきるのみ。全員一丸、まずは初戦。そして、その階段をシッカリと登り切り、33年ぶりとなる聖地への扉をこじ開けてほしいと願っています!

 って事で標題乙♪ 先日FBに、両親に金銭的負担を掛けまいと大穴空いたストッキングをそぉ~っと使ってるデキの良い息子の不憫な姿を全世界にアピールした某OK山さん。
 何ツッたって開いてる穴が半端ない(FBより無断引用♪)
 マヂっすか( Д ) ゚ ゚

 イヤ待て→自分。つい半年ほど前に、似たような場面に遭遇してるんじゃネェのか?って事ですぐさま携帯の保存画像をひっくり返しましたらば。ハイましたらば。
 ホレ→期待イパーイに胸膨らませたエロオヤジども( *´艸`)
某木材組合の新年会でコンパネさんを呼んだらなんとなんと冗談みたいにデッカい穴の空いたストッキング履いたネーチャソがやって来ましたので指入れてみました♪ まぁ穴あいてたらとりあえず入れてみるのが漢ってもんだ。とヲレの父からよーく教わりました(な事ぁない)
 どうだ、参ったか。コレでまたこのブログもまたさらに「クソ下品なブログ」の烙印完璧だな。
 ヲレに任せとけ。

あぁ~ぁ。やっぱショックデッカイわ(。-д-)=3

2016年6月22日

#1610 感謝の初夏 ~終わり、そしてはじまりへ。~

 いよいよ週末には組み合わせ抽選会を迎える長野県の高校球児たち。
 我が廣やんも全県で3,600人をこえるであろうその中の1人として、小谷中学校を卒業した後すでにチームの一員として頑張っている兄の後を追い、この長野商業高校野球部へと進みました。
 里島グラウンドで毎年新入部員を迎えてくれる、桜並木。
厳しい冬を越える多くの部員を見守ってきた、この三気寮。
そしてそこに自分の名札を提げ、彼は彼なりに決意を固めて日々取り組みをはじめました。
そう。最後まで諦めない姿を、その精神を日々学びながら。

 小学三年になった兄はまず地元の学童に入団。が、週1回しかも冬場は休眠となる団の活動ではなく、年中無休の少年野球チームを希望したため、友人が監督を務める大町リトルリーグに体験入団に伺いました。
 兄にくっついていった廣やん。団員不足で困っていた選手の保護者が彼を見逃すはずもなく、わけもわからないまま体験入団をし、兄同様すぐさま野球の楽しさに引きこまれて、翌週から通常練習に加わることになりました。
6月下旬に入団してからの初期の練習。
暑い中、それでもボールを追うことをたのしんでたあの頃。
経験を積み、試合にも出られるようになりました。

指導者の皆様から厳しくも丁寧に野球を教えて頂き、
いつしか誰よりも元気に声を出すように。
宇宙人だったマイナーの頃、一番迷惑をかけた寺尾監督。ほんとうにありがとうございました。
そして迎えた5年生、最後の信越マイナー大会。
試合にも出させて頂きました。惜しくもボールを追いきれなかった場面などもあり、
残念ながら初戦敗退。
そしてリトルに昇格し、日々練習を積み重ねて行きました。


冬場も市営の屋内練習場での練習。

親の都合がつかない時は、電車で大町へ。そこから練習会場までは、仲間の保護者の方々に乗せていただくなど、大変お世話を掛けました。
徐々に自覚が出てきたリトルでの中期。
が、怪我をした選手がその怪我の回復をしないうちにまた起用しようとする指導者の、選手の安全面に対する意識の低さを心配して、廣を退団させました。
 廣が試合に出れるわけではないので我が子の心配をしたのではなく、そのような状態でチームを運営することにより有望な選手が将来の活躍の芽を潰されてしまうのでは、ということへの自分なりの決断でした。
退団当初は兄のいるシニアでお手伝いなどをさせていただきましたが、
いろいろな問題があり、やがて1年間の浪人へ。
翌年からリトルを終えた元の仲間たちとシニアでの野球を頑張りました。が、廣やんの公式戦よりも兄の練習試合を優先したため、シニア期の廣やんの写真は殆どありません。
 最後となった山形での林和男杯も、そのような状態を心配した義父が泊まりがけで応援に駆けつけてくれました。

 やがてシニアを卒団。
前期選抜で不合格となり、後期選抜で拾って頂きました。
晴れて兄のいる長野商業高校へ入学。あっちゃんと太輔が、共に長商に進学しました。
シニアを終えてもなお、才能のかけらも見せない廣やんが、長野商業高校で野球を続けていけるのかどうか、その進路選択の際には両親とも心配しました。
 が、そんな心配を他所に兄と同じ下宿部屋に入った廣やんは、
「裕貴が最後の年だから、精一杯支えてほしい」
という私達両親の願いをしっかりと受け止め、
グラウンドでの練習でも、

学校生活でも、
下宿での生活でも兄を支えつつ、自分の練習も手を抜くことなく積み重ねながら、

兄、最後の夏の大会。スタンドで応援する誰よりも高く大きくジャンプしている姿を、いつも見ていました。
決勝で敗退、甲子園の夢を果たせなかった兄が下宿を去り、ひとりきりの生活が始まりましたが、1人の下宿部屋は兄と同居の時以上に綺麗で片付いていました。

 そしてグラウンドの練習試合では下積み続き。
ボールボーイが主でした。
が、時間があるとバットを持って素振りをする姿を、よくみてたよ。
秋が来ても、練習試合ではB隊の遠征に付いていくことなくA隊の補助で審判に。
それはそれで、任された役割をしっかりやり切るその姿を見るのも、
お手伝いのちょっとした拍子に時折見せる笑顔を見るのも、僕ら夫婦にとっては大きな楽しみでした。
練習は誰よりもストイックに。
リズムは悪くも一生懸命に。
そして、初めての秋が深まりました。
やがて冬を超え春になりましたが、彼の仕事は相変わらず。
SBO、そして審判。
ボールボーイ。
B隊のお手伝いという日々が果てしなく続くのではないかと思え、
夕方までそんな姿を見守りながら、溢れそうな涙を堪えて僕はいつも空を見上げてた。
でも、僕らよりもっと辛い時を送っていただろう廣やんの、その廣やんが触れるすべてのものが本当に愛おしかったよ。
でもそれはあくまで父の思い。母は自分のお腹を痛めた子だから、もっと思いは強かった。そして、僕よりもよりその姿を見て心を痛める女房の姿に、
時として相手の立場もわきまえず、篠原コーチに
「ウチの子、どうやったら良いですか?」
って喉から出掛かった言葉をどうにか飲み込んだ事が、何度もありました。
 それでも時折家に帰ってきた廣やんに女房が
「野球、楽しい?」
って聞くと、
「楽しいよ!」
と笑顔で答えてくる。

 その言葉通り、君は出来る事を日々重ねて、
ランナー役などで走力を高めながら、
通常練習でのノックも徐々に力を付け、
その夢を掴むため頑張り続けてきました。
やがて2年目の夏が終え、冬が近づくと、
それまで以上に野球部での日々を楽しんでいる君の姿を実感出来るようになりました。
それもこれも、チームが一丸となって頑張りぬき、全国でも屈指のチーム力をつけるその一員としての自覚だったんだと、思います。
春になっての練習試合、見違えるほどに成長した君の姿を見て、両親ともびっくりしました。

同行できるはずが無い。そう踏んでいた年度末恒例の三重遠征にも、
松本第一との練習試合でもそこそこ結果を出して、どうにか連れて行っていただくことが出来ました。
そして春。田中が怪我をしたためにベンチ入り出来た我が廣やん。北信予選から県大会へと背番号を頂き、チームの一員として出来るだけの事をやったんだと思います。
19番。
「背番号が縫えないから、お願い」
 そう言われて仕事を休みそれだけのために長野まで車を走らせた女房の嬉しい気持ち。分かち合うには余りありました。

 ほしゃ標題。

 本日午後9時30分ころ、本人から「大切な話をしなければなりません」と、電話がありましたのでご報告致します。

「頑張ってきたんだけど、今日の段階でメンバーの候補から外れてしまいました。
 両親の期待に応えられなくて、本当に申し訳ありません」

 池田監督が指揮を執った初年、低迷していた長商を県ベスト4に持ち上げたさまを中学3年の時に見たこの世代。
 北信各地から力のある選手が多数集まる中で、硬式経験者とはいえ決して野球が上手ではなかった君。
 それでも、その長商で野球を楽しんでいる兄を追い同じ道を歩むことを決めた君に、僕ら両親は心から喜んだんだ。
 野球だけではなく、長い歴史に育まれた素晴らしい伝統と地域の皆様からの期待の下で君がその青春を過ごす道を選んだことを。
 そして始まった高校生活では、家畜の棲家みたいだった兄の下宿部屋を劇的に綺麗にして、兄が心置きなく野球に専念できるよう一切のことをよくやってくれたね。
 時には喧嘩したり、同じ部屋に居づらかったりしたこともあったんだろうけど、僕らが期待した以上に君は僕らが求めた総てを、よくやりぬいてくれた。

 そして、君自身の選手としての日々も、よく頑張りぬいた。君が僕達に申し訳ないと思う理由なんて、どこにも無いよ。
 兄の野球を優先する余り、君のそれまでを見守れなかったことが本当に申し訳なくて、兄の野球が終わったその時から、君がどんな立場でどんなふうに頑張っていようとも、可能な限り君の姿を見続け応援し続けよう。そう女房と約束して、ここまで2年近くやってきたんだよ。

 出口の見えないトンネルの中にいるように見えた君に、でも「野球が楽しい」って言ってくれている事に安心して、必要以上に君の心配をすることはやめた。

 君のことを産まれた時から知っている石井くんが、「廣やんは後で化けるタイプ」って言ったのを心の励みに、ずっと応援してきたんだ。

 ここで今日、君は君にとって残念な現実を受け入れなければならないのかもしれないけど、でも僕ら夫婦は、君にとても大きくてたくさんの夢と感動と喜びの日々を貰ってたんだ。まずはそのことに、心から感謝します。
 そして、もうこの先何があろうとも僕らに申し訳ない、なんて思わなくて良いんだよ。君は君のために、君のための日々を送る準備をしてやがて来るだろう日々に意気揚々と帆を拡げられるよう備えれば良いんだ。
 これまで応援してきたように、これからも変わりなく君のことを応援し続けていくから、君は後ろを振り返ることなく、前を向き、一歩一歩を確実にすすめていくんだよ。

 さて、ここまでこのブログを通して我が廣やんのことを知り、あるいは裕貴の頃から知ったうえで日々気にかけ、応援してくださったたくさんの皆様。
 以上のような訳で、この厳しい競争のなかでここまで頑張りぬいてきた我が次男、廣やんの最後の夏を目指しての日々が終わりました。

 3年生の選手だけでも40名、全部員では今年度86名という大所帯のなかで日々切磋琢磨し、自分の出来る努力を常にやりぬくという毎日をこの長商で過ごさせて頂けましたこと、そしてこれまで関わってくださった仲間はもちろん指導者、スタッフの皆様、土手ファンの方々はじめ応援してくださるすべての皆様に応援してくださり、また多くのアドバイスを頂きました事に、心から感謝申し上げます。

 我が次男のプレーヤーとしての夏への挑戦はここで終わりましたが、33年ぶりの甲子園出場を目指すという長商野球部の一員としての立場になんら変わりがあるものではありません。
 また、それを応援する一保護者という立場も、もちろん揺るがないものであります。
 ここまで積み重ねてきた日々の経験と蓄積を武器に、ここからさらにそれに磨きをかけて県の頂点、そして聖地での邁進を誓い、重ねてこれまでのご支援ご声援に感謝申し上げて、ご報告とさせていただきます。

 ありがとうございました。