て事で、真蕪辞ではありましたが、壇上から卒業証書授与式にご列席頂きました皆様、そして卒業生の皆さんに送る祝辞を、備忘録としてアゲときます。
当日聞かなかったヲマイら、心して聞け(上から)
※数字が漢数字なのは、縦書きそのまんまのせいです
まずはこの三年間、多くの事を学び、体験し、そして生徒たちの持てる力を伸ばすために、惜しむこと無くご尽力下さいました山岸校長先生をはじめとする素晴らしい先生方、職員の皆様。
生徒たちを見守り育てて下さった先輩方、地域の皆様。
そして、卒業生の高校生活を支えてくれた在校生の皆さんに、心より感謝申し上げます。
これからも長商デパートや各部の後輩たちの大会会場など、卒業生たちと会う機会も多々あろうかと思います。
長野商業の卒業生として、社会や大学で伸びゆく姿を見せられるよう、私達保護者もその責任を全うしたいと思います。
今日まで、我が子たちが共に学び、共に歩んだ三年間を、影となり支えながら、ここまで手塩にかけて育ててきた保護者の皆さん。何事にも代えがたいこの喜びを、本日互いに分かち合えました事に、感謝の気持ちでいっぱいです。
学業はもちろんですが、特に部活動の活発な本校においては、多くの保護者の皆さんが、朝早くからお弁当を作り、駅へ、学校へと送り、そしてまた夜遅く帰ってくる子供のために晩御飯を温め、眠い目をこすりながらまた早起きする、という毎日を、これまで繰り返してきた事だと思います。
日々、子供に接して下さる先生方の温かくも厳しいその指導の下で、共に励んだ仲間たちとの絆を築き、心も身体も逞しく成長した我が子たちが 今、一つの大きな節目を迎えるにあたり、心より嬉しく思います。
しかしながら、これからは自分の責任を自分で果たさなければならない、今日がその区切りでもあります。
自立を支え、いずれはどのような役割であるにしろ、子供達がそれぞれの地域、それぞれの社会に貢献できる人になれるよう、これからも親として共に学び、支えていきましょう。
今、生きる君へ。
今を生きる、君たちへ。
新たなる門出を迎え、今日から新しい一歩を踏み出す全日制二百三十三名の卒業生のみなさん、ご卒業誠におめでとうございます。
この場をお借りし、保護者の立場からお祝いの言葉に添えて、ひと言申し上げます。
昭和五十年台、まさに私たち親の世代が君たちと同じ高校生だった頃。それまで一部大企業の業務においてのみ稼働していた電算機が小型化され、家庭用のパーソナルコンピュータとして、私達の身近に普及してきました。
それから三十年経った今日、まさか国民の誰もが、世界中のありとあらゆる情報や映像を、即座に、この手のひらの中で見る事ができるようになるとは、想像もしませんでした。
今や、私達がおかれている環境においては、それら無しでは生活ができないほど、あらゆる機器が様々なIT技術によって制御され、学習し、私達の暮らしをより快適でより便利に変えつつあります。
しかし近年、アメリカで人工知能を研究する大学教授が、今存在する多くの職種で、近い将来ロボットが人間に取って代わる、と予測しました。
同じく日本の研究機関でも、遅くとも二十年後には現在の労働人口の約半数が就いている仕事において、コンピューターやロボットが代替することが可能になるだろう、との試算も出しています。
多くのものを機械化し、自動化して進化する社会の中で、人がこれまでと同じように、これまでの延長線上で働く事が難しくなる。そんな近未来における労働環境の姿が、これらの研究結果により明白となったのです。
今後ますますICT化が加速するであろう、これからの未来を生きるために。
どのような仕事であれ、君たちは私達の世代と比べ物にならない、時代の荒波に揉まれることであろうと思います。
しかし、進化は時代に求められ、生まれるものではなく、常に新しい明日を追い求める人間の向上心、探究心によって進化するのです。
君たちは、機械と競う緊張感ではなく、技術をコントロールする社会との信頼関係を築き、情報化のなかで「働く」すなわち「生きる」ために、この学び舎で身につけた多くのことをこれからの日々で活かし、常に気づきを持つよう心がけて、何事にも取り組んでください。
開校以来百十余年、長きにわたる歴史と伝統のうえに君たちの三年間が積み重なり、そしてこれからも未来永劫引き継がれていく、ここ長野商業の卒業生として、
「心は高く 身は低く」
この精神を忘れること無く、日々新しい朝を迎え、毎日を過ごしてほしいと思います。
ここからが勝負です。
君たちの未来に、光あれ。
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