良き仲間らに恵まれ、この日有終を迎える第33分隊。
「特に隊員との面接時間等はさだめておりません」
とのことで、とりあえず時間早めに教育隊にチェックイン。ヤシらの宿舎「海志館」に向かい、あまりにも暑い外気から非難するために中に入ると海志館の7階へ。
すると入隊式でも迎えてくれた教官が控室を案内してくれ、エアコンがガン効いた生存者エリアに入室する事が出来ました。
が、まだまだ時間前。
「館内は自由に観て回ってください」
と仰ってくださったので、ヤシらの居住区へと初めて足を運んでみました。
南西の一番端っこ、西日が一番厳しい熱い部屋がヤシの部屋でした。
終業式に向け、それぞれに準備をするためほぼ無人。早い隊員は終業式が修了した午後、すぐに配属先に向けて出発となります。
最後の最後まで、アイロン掛けてたんだろうなー(笑)
この景色を見られるのも、今夜が最後の我が廣やん。
見覚えのある文字はヤシの字です。
準備も整い、苦楽を共にした仲間たちと共にロビーに出てきました。
各分隊が訓練の成果をそれぞれ競い合いながら毎日を送ります。5班は体力勝負に強かったらしく、33分隊の快進撃に大きく寄与した(本人談)らしいっすが。
で、この最後の日に当番となったヤシ、声を掛けて人員確認。
指導官からの根性論ありきのありがたきお話を頂き、
景気づけにいつもの大合唱♪
儀式も済んで、いよいよ行進しながら終業式会場である体育館をめざし進みます。
日に焼けた横顔。皆5か月前より格段に逞しく、凛々しくなりました。
で、準備中。だらしネェなマッタク。
ボケボケしてると撮られるんだよ。
会場の準備もさらに進み、
式次第。
で、思いの外準備が早く済み(ってか、完全に確信犯的余暇時間)、自由時間となったため、入り口の自販機で水分補給のため飲み物を購入。
入り口の半分を占めるレッドカーペットは一般人土足厳禁で。
ヤシはまぁ良いとして、左手の敬礼ってば裕貴と同じ過ち犯してるぞなヲイ。
ミスト発生装置前には修業生たちが涼を求めて押しかけてました。
自由時間も終了し、いよいよ式典開始。
キリッ、と座るヤシら前に、
儀仗隊が格式高く盛り上げてくださり、
いよいよボスの登場です。
課程修了申し渡しがシンプルに執り行われたのち、
第367期において優秀だった隊員がその賞を授与されるため、主席から名前を呼ばれました。
我が廣やん、およそ350名を超える同期のなかで、17名の優秀な者に見事入り込みました!
「やれ」と言われたことは間違いなく、そして確実にやり遂げるチカラを、これまでしっかりと身に付けさせて頂けた賜物。
ボスから直接賞状を頂くため壇上に上がり、
しっかりと受け取る瞬間をばっちり撮ろうとステージ脇に移動して狙っている
コッチ見んな!ってか、
と、ここまで写真撮ってから来賓席の後ろに戻ってみましたら。
ハイみましたら。
なんとこのアングルの方がよっぽど良かったじゃん→自分orz......
まぁ何はともあれ式典終了。
ここで、これから続く午餐会の呼び出しがあり、35度を軽く超えアチチアチな敷地内をあの旗の下に異動するヲレら保護者ほか。
食堂内はさすがに冷房が効いてて快適です。
席次はとっくに決められていて、ヲレの隣はお偉いさん。ヤシの斜め前ももっとお偉いさんでした。
家族会の方にご挨拶頂いたのち、乾杯っ!
勿論お茶ですぉ。
特別仕立てのお弁当も、色合いもさることながら味も素晴らしかった。
あとで聞きましたが、この費用は廣やんが払ってくれたそうです。アリガトね。
で、食事中には指導教官を代表してのご挨拶などもあり(原稿付き)、なかなか楽しめました。
午餐会が修了すると、いよいよ(ヤシ的)一番の見せ場、行進です。
上司の方々が数多く見守って頂く中、音楽隊の方々の生演奏による軍艦マーチで行進が始まりました。
第33分隊。先頭は(ヲレ的)ユーミンの息子さん。
我が廣やん、持久走で1位を獲得した金メダルを掛け、さっき頂いたばっかりの賞状を携えての行進です。
反対側陣取ったモンで、このアングルが精一杯とはこれいかにorz......
で、女子の分隊が最後を飾り、全ての行進が終わった後に全員が回れ右をしました。
ナニが起こるのかと思ったら、
「帽を振れーっ!」
第33分隊の解隊式。
ユーミンも見守る中、
ウチの女房はあくびしてましたが、
ヤシ、教官からの言葉を元気に受け取りました。
自分に甘く、しかし子供に厳しく躾けることが正しい事とはとても思えません。
その、おそらく正しくなかったであろう子育てをしてきた中で、でも君はしっかりと、そして確かなる歩みを続けている事に、とても心強く思ってるよ。
父さん。
この子が、この世に生を授かった時に。
誰にも等しくそして自分には誰よりへも厳しく生きて来た父さんのようになってほしい。
そう願って父さんの名前から一文字頂いて名前を付けさせてもらいました。
その期待に応え、いや、その期待以上に彼は歳を重ねるごと、父さんの名に恥じる事なく日々自分に厳しく努力を重ねられる人間に成長してくれ、修了を迎えました。
一夜明けて今日は配属地、海上自衛隊下総航空基地への移動日。もう今は新天地で、先輩方から自分に課される職務を全うするための指導を頂く日歩を迎えるだけの準備を、整えたことだと思います。
これからの廣の自衛隊での長いであろう生活が、安全で充実した日々であることを僕らと共に願ってください。
どうか、廣のことをいつも護ってください。
初めまして。息子が横須賀教育隊で今年夏修業式を迎えます。
返信削除分隊解散式まで見届けた場合の終わり時間が知りたくて検索してたどり着きましたが、読んでいて涙が出ました。
ご子息のご成績素晴らしいですね。
今もご活躍されていることと思います。
参考にさせて頂きました。素敵な記事拝見させて頂きまして、ありがとうございました。
こんにちは、子供たちが成長するにつれ放置することが多くなってしまったため、いまさらですがコメント頂戴していることに気付きました。
返信削除自衛隊に入隊した次男は、3年間のお勤めを終えて一旦自衛隊を退隊したのです。
海自でのパワハラ、モラハラが新聞記事にもなりましたが、渦中の友人と共に心的に苦しい日々が2年目の冬頃から半年ほど続いて、どうしても海自を辞めたいと3年目のお盆に帰ってきてそう告げました。
私たち夫婦としては何とか続けてほしいと願ったのですが、彼が生きる彼の人生のレールを私たちが敷いていくわけにもいかないので、満3年での退隊を了承しました。
しかしながら海自で学んだ航空管制の仕事に将来就くため選んだ羽田空港関連の会社が新型コロナの影響を受け、彼が求めていた仕事とは全く違う仕事への配置転換をされたため、転職してすぐに彼はまた悩み始めました。
お盆前にいったん規制してきた折、女房が彼に「また自衛隊に戻ってもいいんじゃないの?」と促し、彼もそのつもりになって9月採用の航空自衛隊員の試験を受験。海自退隊から半年で空自へと移りました。
その後さらに日々の仕事の中でより航空管制官への道へ近づくため、現在は空自から海上保安庁へと転職しています。
描いた夢のために3歩進んで2歩戻る彼の姿は、そこからまた1歩踏み出す度にたくましくなっているように感じます。
長くなりました。ご子息が今後もご健康でご活躍されることを願います。
コメント、ありがとうございました。