2018年7月28日
#1738 スノーハープマラソンに、イテキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
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18:50
ってな訳で先週22日の日曜日は、我が家的恒例の白馬スノーハープマラソンが行われましたので、ヒナマナは小学5,6年生(1.5キロ)、ペッペペは中学女子(4キロ)の部にそれぞれ参戦!ヲレは昨年の消防団活動最終年を飾るファイヤーマン駅伝に参戦して有終の美を飾ったので(自画自賛)今年はノーエントリー。ただの応援に行って参りました。
一般8キロ、12キロのスタートを皮切りに、1.5キロペアの部、小学1,2年生男女、小学3,4年生男子、女子、そして小学5,6年生男子がスタートした後にスタートラインについた我が姉妹。周りはTeamOTARIで固まりました。
「ハイハイ、ここの線超えないでねー」
「こんなの超える訳ナイじゃん」
「オサーソ老害か?」
的な会話をしてたかどうかは知りませんが、いよいよスタート!
わりに良いスタートを切ったと思ったんですが、やはり強豪ぞろいのメジャー大会。ヒナは隣の女子のスタートダッシュにビビった模様( *´艸`)
例の中国人風も当然登場しました♪
スタートのストレートから上りとなり右コーナー。すでに中盤グループに呑み込まれたヤシら(ピンクのパンツ)
1キロ弱で確認すると、どうも双子ともそんなに変わらない位置関係(ピンクのパンツ)。
が、残り300メートルでは今回もまずヒナが帰ってきました。
そのすぐ後ろをマナ。
結局出走122人中のヒナ43位、マナ49位という結果でした。上には上が当然いますが、
「高校は長野東で都大路へ」
は夢と消えそうです( *´艸`)
で、ペッペペの部。小さいながらも精一杯のストライドでガンガるみづきですが、飯の量が少ないせいかなかなか芽を出しません。それでもガンガり、中盤のミストポイント。
またしても現れた怪しい中国人風(子分付き)。
ミストポイントを過ぎ、折り返してからのコース脇で声援を送ります。
ほいでゴール前、この形相に、
中国人風爆笑の図(鬼畜)。
ペッペペは完走61人中22位という成績でした。まぁ良くガンガった。タプーリと褒めてあげました(反語)。
で、超久しぶりのスノーハープのご褒美として木崎湖水遊びに誘いましたら、ペッペペとくりゃヲイ!
「そんな子供っぽい遊び、したくない」
待て待て。ヲマイいつも一緒に入る風呂ん中じゃ妹たちと一緒になってヲレのチソコを(略
仕方ないからみづきは女房と一緒に帰宅バスにご乗車頂き(意味不)、双子とヲレで木崎湖遠征となりました。
いつもお世話になっている星湖亭で一番安い手漕ぎボートをお借りし、中学進学を前におそらく最後になるであろう末っ子たちの水遊びを、船上からタプーリと楽しませて頂きました。
いつまでも子供のママでいてくれたら、どんなに幸せだろう。
いつまでも「お父さーん!」って言いながら腕に絡みつき、ハグをし、キスをして、そして一緒にお風呂に入ってくれたら、どんなに幸せだろう。
そんな事を想いながら残された貴重な時間を過ごし、そして感傷的になってるヲレは、たぶん可笑しなオヤジそのものだったろうな。挙動不審ですみませんでした→木崎湖ローカルな皆様ね( *´艸`)
ほしゃオマケ。お取引いただいている鋼製建具販売店の社長(シャッチョーサソではない)が一般男子4Km を力走していましたのでアゲます(黒いの)。
さすがライフセービングの日本チャンピオン。メッサムキムキマッチョです。御見それしました。いつかヲレと「声のデカさ比べ」でだけ勝負させてください!
一般8キロ、12キロのスタートを皮切りに、1.5キロペアの部、小学1,2年生男女、小学3,4年生男子、女子、そして小学5,6年生男子がスタートした後にスタートラインについた我が姉妹。周りはTeamOTARIで固まりました。
「ハイハイ、ここの線超えないでねー」
「こんなの超える訳ナイじゃん」
「オサーソ老害か?」
的な会話をしてたかどうかは知りませんが、いよいよスタート!
わりに良いスタートを切ったと思ったんですが、やはり強豪ぞろいのメジャー大会。ヒナは隣の女子のスタートダッシュにビビった模様( *´艸`)
例の中国人風も当然登場しました♪
スタートのストレートから上りとなり右コーナー。すでに中盤グループに呑み込まれたヤシら(ピンクのパンツ)
1キロ弱で確認すると、どうも双子ともそんなに変わらない位置関係(ピンクのパンツ)。
が、残り300メートルでは今回もまずヒナが帰ってきました。
そのすぐ後ろをマナ。
結局出走122人中のヒナ43位、マナ49位という結果でした。上には上が当然いますが、
「高校は長野東で都大路へ」
は夢と消えそうです( *´艸`)
で、ペッペペの部。小さいながらも精一杯のストライドでガンガるみづきですが、飯の量が少ないせいかなかなか芽を出しません。それでもガンガり、中盤のミストポイント。
またしても現れた怪しい中国人風(子分付き)。
ミストポイントを過ぎ、折り返してからのコース脇で声援を送ります。
ほいでゴール前、この形相に、
中国人風爆笑の図(鬼畜)。
ペッペペは完走61人中22位という成績でした。まぁ良くガンガった。タプーリと褒めてあげました(反語)。
で、超久しぶりのスノーハープのご褒美として木崎湖水遊びに誘いましたら、ペッペペとくりゃヲイ!
「そんな子供っぽい遊び、したくない」
待て待て。ヲマイいつも一緒に入る風呂ん中じゃ妹たちと一緒になってヲレのチソコを(略
仕方ないからみづきは女房と一緒に帰宅バスにご乗車頂き(意味不)、双子とヲレで木崎湖遠征となりました。
いつもお世話になっている星湖亭で一番安い手漕ぎボートをお借りし、中学進学を前におそらく最後になるであろう末っ子たちの水遊びを、船上からタプーリと楽しませて頂きました。
いつまでも子供のママでいてくれたら、どんなに幸せだろう。
いつまでも「お父さーん!」って言いながら腕に絡みつき、ハグをし、キスをして、そして一緒にお風呂に入ってくれたら、どんなに幸せだろう。
そんな事を想いながら残された貴重な時間を過ごし、そして感傷的になってるヲレは、たぶん可笑しなオヤジそのものだったろうな。挙動不審ですみませんでした→木崎湖ローカルな皆様ね( *´艸`)
ほしゃオマケ。お取引いただいている鋼製建具販売店の社長(シャッチョーサソではない)が一般男子4Km を力走していましたのでアゲます(黒いの)。
さすがライフセービングの日本チャンピオン。メッサムキムキマッチョです。御見それしました。いつかヲレと「声のデカさ比べ」でだけ勝負させてください!
Written by
Morito D-David Nishizawa
2018年7月13日
#1737 20数年越しの暑気払いしてきたぉ!
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21:32
さて、FBでは速報しましたが、(珍しく仕事で)木材の今後の活用方法を模索するべく、とある勉強会@阿佐ヶ谷2日がかりが急に決まったので、コリャ1日目の夜呑むべと思い即LINEしてみましたら、釣れた釣れた♪馬鹿4匹+美女1人
って事で急きょ水曜にもかかわらずお集まりいただきました皆さんと楽しい夜を過ごす事が出来ましたので備忘録。
講習会1日目は予定通り1700までキッチリ行われました。そっから徒歩5分のビジネスホテルにチェックイン&シャワーを済ませ、先頭バッター迫田が1722阿佐ヶ谷着と連絡があったので急いでエレベーターホールに出ると、窓から見える駅ホームにちょうどその電車が滑りこんできました。
北口付近で1730迫田捕獲。2番の田中到着まではおおよそ30分程度後とのことなので、どっか一回入って呑むか!
と一回徘徊するもどうにも決断できず、駅前の西友でヱビスを購入し路上で開幕。
やがて2番田中が1803到着。おっ、黒くない。そうだなー。黒いトコみんな取っちゃったしなー( *´艸`)
駅周辺を1週し、途中で見かけた姪っ子の旦那にクリソツな君のいる店に2週目でチェックイン。
飲み始めるとすぐ、ヲレ的平成マドンナが到着です。マドンナ来るか来ないか解らなかったけど、このためだけにずんこさんに床屋してもらいました。忙してすみません、ありがとあんした♪
で、一番下っ端の迫田が雑用係を引き受けて取り分け係をしながら、
やがてよっちゃん登場1905。
おー、帽子とったら見事だねー♪(と、ヲレが言う( *´艸`)
そんな見事なアタマっぷりを丹羽ネェチャソに弄られつつ(ヤシMッ気タプーリ)、
1店目の飲み放題は2056終了。どさくさまぎれにキャワイスな店員捕まえて記念撮影パチリ♪
なぜか姪っ子の旦那とハグする田中。
がしかし。この時点でもうすでにヲレ自滅にて記憶無し。とりあえず写真は(この時は)撮ってたようです。
狭い路地を抜け、
2店目ケテー。
まずは乾杯(写真撮ってもらった覚え全くなし)。
なんだか盛り上がっちゃいますが(Photo by SAKU)、ここでキャメラは迫田の手に。
ヲレとくりゃ、時々死んでるみたいね(Photo by SAKU)
ここでどうやら迫田が動き、遅漏の丹羽チャソ迎えに出た模様(Photo by SAKU)
ここで合流した模様。ヲレ当然記憶なし(Photo by SAKU)
時々正気に戻っては、丹羽のネェチャソを口説き落としている様子が記録されていました(Photo by SAKU)
ナンだカンだと散々盛り上がり、全員撤収は2300を超えてからのようでした。丹羽チャソはオマーリさんにお世話になったのか?連行されたのか?未だによく解りませんが…
お疲れ様でした。でも楽しい時間を本当にありがとう。丹羽のネェチャソにはガッツり喰いつきまして、
「奥さん許してくれてるならデートしてやってもイイよ」
と、条件付きながらデートの約束頂きましたヽ(´ー`)ノ
ってか、ウチの女房なんぞヲイ!熨斗つけてヲレの事叩き出すに決まってんだから、次回はデートですぉ!
って事で急きょ水曜にもかかわらずお集まりいただきました皆さんと楽しい夜を過ごす事が出来ましたので備忘録。
講習会1日目は予定通り1700までキッチリ行われました。そっから徒歩5分のビジネスホテルにチェックイン&シャワーを済ませ、先頭バッター迫田が1722阿佐ヶ谷着と連絡があったので急いでエレベーターホールに出ると、窓から見える駅ホームにちょうどその電車が滑りこんできました。
北口付近で1730迫田捕獲。2番の田中到着まではおおよそ30分程度後とのことなので、どっか一回入って呑むか!
と一回徘徊するもどうにも決断できず、駅前の西友でヱビスを購入し路上で開幕。
やがて2番田中が1803到着。おっ、黒くない。そうだなー。
駅周辺を1週し、途中で見かけた姪っ子の旦那にクリソツな君のいる店に2週目でチェックイン。
飲み始めるとすぐ、ヲレ的平成マドンナが到着です。マドンナ来るか来ないか解らなかったけど、このためだけにずんこさんに床屋してもらいました。忙してすみません、ありがとあんした♪
で、一番下っ端の迫田が雑用係を引き受けて取り分け係をしながら、
やがてよっちゃん登場1905。
おー、帽子とったら見事だねー♪(と、ヲレが言う( *´艸`)
そんな見事なアタマっぷりを丹羽ネェチャソに弄られつつ(ヤシMッ気タプーリ)、
1店目の飲み放題は2056終了。どさくさまぎれにキャワイスな店員捕まえて記念撮影パチリ♪
なぜか姪っ子の旦那とハグする田中。
がしかし。この時点でもうすでにヲレ自滅にて記憶無し。とりあえず写真は(この時は)撮ってたようです。
狭い路地を抜け、
2店目ケテー。
まずは乾杯(写真撮ってもらった覚え全くなし)。
なんだか盛り上がっちゃいますが(Photo by SAKU)、ここでキャメラは迫田の手に。
ヲレとくりゃ、時々死んでるみたいね(Photo by SAKU)
ここでどうやら迫田が動き、遅漏の丹羽チャソ迎えに出た模様(Photo by SAKU)
ここで合流した模様。ヲレ当然記憶なし(Photo by SAKU)
時々正気に戻っては、丹羽のネェチャソを口説き落としている様子が記録されていました(Photo by SAKU)
ナンだカンだと散々盛り上がり、全員撤収は2300を超えてからのようでした。丹羽チャソはオマーリさんにお世話になったのか?連行されたのか?未だによく解りませんが…
お疲れ様でした。でも楽しい時間を本当にありがとう。丹羽のネェチャソにはガッツり喰いつきまして、
「奥さん許してくれてるならデートしてやってもイイよ」
と、条件付きながらデートの約束頂きましたヽ(´ー`)ノ
ってか、ウチの女房なんぞヲイ!
Written by
Morito D-David Nishizawa
#1736 ガンガれ!長商ヽ(´ー`)ノ
Posted at
20:14
雨天により前半の日程を一日延期して始まった高校野球選手権長野大会。我が長商は月曜日に初戦の下諏訪向陽を撃破し、水曜日に第2シードの強敵上田西と対戦。
本来の日程なら日曜日の初戦を応援し、火曜日の上田西戦は微妙でしたがなんとかスケジュールを合わせられたらなー、と思っていたのですが、一日ずれこんで水曜日は講習会@阿佐ヶ谷姉妹となってしまい、今回結構マヂメに受講していたのでネット中継は当然観るわけなく、時折女房から送られてくるイニング速報のみを頼りに心の中で応援し続けました。
無念。神様に左肩叩かれて保護者会長を引き受けた戸谷さんをもってしても、2回戦を突破する事が出来ませんでした。
シードを獲れなかった昨年は、初戦松本第一を破っての上田西。
廣やんたちの年はシードを獲っての初戦都市大塩尻。
その前キャプテン小林世代はシードを獲っての初戦小諸商業。
なぜ続く、この不運。
もちろん、そこを破ってしまえば波に乗り、上位に食い込むことができるのでしょうが。
何か見えないチカラが、長商に喰いついているような。そんな気がします。
日々の練習に真摯に取り組み、歯を食いしばって仲間と共に乗り越え、数字上の結果は申し分なく出してもなお、越えられない壁は厚く高く。
それでも、応援しています。応援には行けなかったけど、でも応援しています。
これから下の世代は、グラウンドでの練習や練習試合を見たりするような交流はなく、自分からすると少し遠い存在のような気もします。
が、でも忘れていません。
これからの一年を最後の年として迎える、君たち2年生が我が長商に入学するとき、育友会長として歓迎の言葉を贈りました。
迷ったときも、苦しい時も、君たちがそれでも日々前を向き、天を仰ぎながら進んできた日々があります。
これからの1年間も、おそらくそんな日々が続くのだと思います。
強さこそ、君たちの心の中に。
君たちの毎日を支えてくれる、たくさんの方々の想いに応えるために。
頑張れ、長商球児。
本来の日程なら日曜日の初戦を応援し、火曜日の上田西戦は微妙でしたがなんとかスケジュールを合わせられたらなー、と思っていたのですが、一日ずれこんで水曜日は講習会@阿佐ヶ谷姉妹となってしまい、今回結構マヂメに受講していたのでネット中継は当然観るわけなく、時折女房から送られてくるイニング速報のみを頼りに心の中で応援し続けました。
無念。神様に左肩叩かれて保護者会長を引き受けた戸谷さんをもってしても、2回戦を突破する事が出来ませんでした。
シードを獲れなかった昨年は、初戦松本第一を破っての上田西。
廣やんたちの年はシードを獲っての初戦都市大塩尻。
その前キャプテン小林世代はシードを獲っての初戦小諸商業。
なぜ続く、この不運。
もちろん、そこを破ってしまえば波に乗り、上位に食い込むことができるのでしょうが。
何か見えないチカラが、長商に喰いついているような。そんな気がします。
日々の練習に真摯に取り組み、歯を食いしばって仲間と共に乗り越え、数字上の結果は申し分なく出してもなお、越えられない壁は厚く高く。
それでも、応援しています。応援には行けなかったけど、でも応援しています。
これから下の世代は、グラウンドでの練習や練習試合を見たりするような交流はなく、自分からすると少し遠い存在のような気もします。
が、でも忘れていません。
これからの一年を最後の年として迎える、君たち2年生が我が長商に入学するとき、育友会長として歓迎の言葉を贈りました。
迷ったときも、苦しい時も、君たちがそれでも日々前を向き、天を仰ぎながら進んできた日々があります。
これからの1年間も、おそらくそんな日々が続くのだと思います。
強さこそ、君たちの心の中に。
君たちの毎日を支えてくれる、たくさんの方々の想いに応えるために。
頑張れ、長商球児。
Written by
Morito D-David Nishizawa
#1735 初夏ってドライブ、イテキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
Posted at
19:29
豪雨の関係で未曾有の大災害に見舞われた地区も多い中ですが、私達の住む長野県は大雨こそ降りましたが比較的平穏な梅雨明け後を過ごしています。
先日のエントリーでも書きましたが、今回の豪雨災害によって尊い命を失われた皆様のご冥福を祈り、またご家族を亡くされた方々に心よりお悔やみを申し上げますと共に、被災され住処を失ってしまったり厳しい環境の中で毎日を迎えられている皆様の一日も早い日常生活へ戻られることを願っています。
さて標題。今月1日の日曜日は、子供らをうっちゃっての夫婦Deデートドライブに出掛けてきました。
目的地は霧ヶ峰高原。長野県に住みながらもまだ行ったこと無いので、この機会に出掛けてみました。
目的地を設定したのが6月末でしたが、丁度その頃「○年前」というFBでまるちゃが無謀にも一般道で霧ヶ峰にアクセスした際の「なんじゃこりゃ」レベルなドラレコ映像を再シェアしてたのを観たので、忠告に従い松本から一番簡単に行けるビーナスラインルートを選択。
松本を朝10時ころ通過しましたがまだ気温は28度ほど。それでも最高気温は間違いなく30度を超えることが予想されてましたが、登り始めると外気温はミルミル下がり始め、霧ヶ峰高原到着時は車のメーター読みで22度でした。
あー、子供連れてきたかったなー(棒)
で、お約束のープリチィりちちがソフトガッつくとこ撮って、
からの、ヲレら的には本来なら絶対ない、コメダ珈琲に入店。メヌーを散々眺めてっから、ナメリカンコーシーを頼んでみました。ヤシはキャフェ俺。
結果から言うとモノスゲー美味くて(チモトコーシーを凌駕する出来栄え)、家飲み用の粉即買いしましたぉ♪これこそ今回の最大級な収穫。ヲレ的には、
ウマー コメダ>チモト>>>>>>スタバ (゚д゚)マズー な公式確立ですキリッ。
と、本日13日。当然すでに粉無くなりました。また霧ヶ峰経由で買いに行かなきゃです(。>д<。)ゞ。
先日のエントリーでも書きましたが、今回の豪雨災害によって尊い命を失われた皆様のご冥福を祈り、またご家族を亡くされた方々に心よりお悔やみを申し上げますと共に、被災され住処を失ってしまったり厳しい環境の中で毎日を迎えられている皆様の一日も早い日常生活へ戻られることを願っています。
さて標題。今月1日の日曜日は、子供らをうっちゃっての夫婦Deデートドライブに出掛けてきました。
目的地は霧ヶ峰高原。長野県に住みながらもまだ行ったこと無いので、この機会に出掛けてみました。
目的地を設定したのが6月末でしたが、丁度その頃「○年前」というFBでまるちゃが無謀にも一般道で霧ヶ峰にアクセスした際の「なんじゃこりゃ」レベルなドラレコ映像を再シェアしてたのを観たので、忠告に従い松本から一番簡単に行けるビーナスラインルートを選択。
松本を朝10時ころ通過しましたがまだ気温は28度ほど。それでも最高気温は間違いなく30度を超えることが予想されてましたが、登り始めると外気温はミルミル下がり始め、霧ヶ峰高原到着時は車のメーター読みで22度でした。
あー、子供連れてきたかったなー(棒)
で、お約束のー
からの、ヲレら的には本来なら絶対ない、コメダ珈琲に入店。メヌーを散々眺めてっから、ナメリカンコーシーを頼んでみました。ヤシはキャフェ俺。
結果から言うとモノスゲー美味くて(チモトコーシーを凌駕する出来栄え)、家飲み用の粉即買いしましたぉ♪これこそ今回の最大級な収穫。ヲレ的には、
ウマー コメダ>チモト>>>>>>スタバ (゚д゚)マズー な公式確立ですキリッ。
と、本日13日。当然すでに粉無くなりました。また霧ヶ峰経由で買いに行かなきゃです(。>д<。)ゞ。
Written by
Morito D-David Nishizawa
2018年7月7日
#1734 あの夏に、この夏を重ねる。
Posted at
12:11
あれよあれよという間に6月も終え、すでに今年も折り返し点を回りました。大丈夫か?→ヲレね(Pд`q。)
台風に伴う大雨と、そのために起こった土石流災害などで日本中広範囲にわたり被害が出ています。亡くなった方々のご冥福と被災されたたくさんの方々が一日も早く日常生活を取り戻されます事を、心から願います。
さてさて6月はヲレらのケコーソ記念日でしたがアップ済み。それ以外のイベントごとを備忘録。
まずはペッペペの陸上大会が大町で。
「スパイク引っ掛かるから嫌い」と、毎度ランニングシューズで走り回ってますが、この大会でも自己新を更新♪まぁ、「自己新」なだけでして、小柄の不利は否めずガンガるものの好記録は出ません。それでもガンガり続けるペッペペ。応援しないとねー。
で、学習の方も(家でやってるようには全く見えないのに)こないだの1学期末試験ではこれまでの雪辱を果たして学年トップをもぎ取ったようです。
(家でやってるようには全く見えないのに)
(ますます深まるカンニング疑惑...)
中旬には小谷小学校の音楽会が開催されました。
クラスの様子は
あれほど「お父さん、合唱団に入りたくない~・゚・(゚うェ´゚)・゚・ と言っていたマナも、もしかしたらクラスの誰よりも楽しそうに、また合唱団の誰よりも声を響かせられるよう一生懸命に大きな声で唄ってましたヽ(´ー`)ノ←親バカ乙♪
休みの日も時間を割いて教えてくださる浅井先生(と、自家製プリンを鼻先にぶら下げて士気を高めてくださる教頭先生)のおかげで、合唱団最後の年はきっと有終の美を飾ってくれるであろうことを確信しています♪
でやってきましたヒナマナの陸上県大会。派手な演出と共に始まったヤシらは小学女子1,000メートル60人を3組に分けての第2組。
スタート半周で、後ろ半分の真ん中らあたり。ヤシらの実力からすると後半伸ばして来れると思ってはいたんですが、
中盤でも順位は動かず…
と、残り1周を切ったところから、外から追い込み始めました。
一番前を走る2組トップとこの差で、メインストレートに。
ここで粘り付いたヒナがマナを捉え、みっともないデッドヒート開幕。
ヒナ、マナを振り切って前の子に喰いつこうと必死で追いましたが、
無念、同着orz......
この組で9位10位でしたが、3組のペースが速くてみんな好成績を出したので、最終結果はヒナ27位、マナ31位とちょうど真ん中。
競技が終わればいつもの白馬の女のことイチャイチャしてたかと思ったら、安曇野あたりの新しい友達も出来たようで何よりです。
小学校の枠を超えて、こうして普段なら全く出会いっこない友達が出来るのも、走り続けてくれているお蔭です。これからもガンガっていこう♪(ペシペシ鞭入れますぉ( *´艸`)
さて本題。小谷はもちろん白馬も新緑の季節を越え、いよいよヲレの大好きな深緑と碧空の季節がやってきました。
大好きなこの季節。毎年思い出すのは、33年前に今は亡き父と登った白馬岳。
父は私が生まれて間もなく腎臓を患い、人工透析を30年以上続けた2000年の師走に、燃え尽きるように他界しました。
当時は人工透析の技術も施設もこんな田舎までは行き渡っておらず、千葉に住む叔父を頼ってどうにか命をつなぎ留めた、そんな明日をも知れない病状の父から私は甘やかされて育ち、中学では周囲も巻き込んで悪事に手を染めると、高校では出席停止になりました。
そんな時、父は夏のある日に大雪渓を望む白馬尻へと私を誘いました。
天候もよく雨の心配もない当日。父母と私の3人は朝早くジープで出かけ、猿倉から白馬尻を目指してあるきはじめました。
ゆっくりと歩き、白馬尻に。すると休憩中の父が
「大雪渓まで行こう」
と言い出しました。
病身ながらも祖父から引き継いだ家業を守るために身を粉にして働いた父は、透析を受けるために通院する時間を惜しんで、母や姉はもちろん、私すらを手元に使って家庭で透析をしていたので、衛生状態も悪いうえ仕事の都合で必ずしも規則的に透析を行えなかった父の体調は、常に思わしくなかったのですが、それでも、
「さぁ、行くぞ」
と先頭を歩き出す父を、母と私も追いました。
中学の集団登山以来の大雪渓は別天地のようで、私はそこで満足していましたが、父は折り返そうとはしません。
「もう少し。もう少し行こう。」
まさか大雪渓を登るとは思いもせず歩き出した私達は一応長袖を持っているものの、足は運動靴のままでアイゼンも持たず。
50歩ほど登っては休み、また少し登って休みながら、とうとう大雪渓を登りきってお花畑を超え、夕方の日没前ぎりぎりに白馬岳山頂小屋に到着。
所持金も僅かだったのですが、小屋の運営会社に勤める知人にお願いして、後払いで泊めていただけました。
遠く日本海側に沈む夕日を見て、父はそれまで見たことのない充足感に溢れる横顔を見せました。
翌日も好天。足を滑らせないよう注意をはらいながら、またゆっくりと下りましたが、途中で父は足の痛みに耐えられなくなり、「背負おうか?」何度も尋ねましたが結局は最後まで自力で、登り以上に時間を掛けてどうにか車までもどって来ました。
いろんな場所に連れて行ってもらいましたが、この時のこの場所ほど、私の心に残っている父との思い出はありません。
家族を持ってからも、その家族と何度も登った白馬岳。
50歳になったこの夏、山登りを楽しみにしている娘たちと共に、また登ろう。
そして、天空の父に、問いてみよう。
「私は、あなたに近づけていますか?」
発病から15年のあの日、父50歳でした。
Written by
Morito D-David Nishizawa
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