※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2012年11月22日

#0909 惜別。

秋の観光シーズン、紅葉にはチョイ早い時期の京都に、2週続けて紅葉狩りに行ってきました♪
そう。2週続けて。しかも両日日帰りで( ´Д`;) 本当はまたボロンスキープロデュースのオタク訪問を果たしたかったところですが、時間が無くて断念。しかも1回目は大きな目的のひとつだった横綱ラーメン来店完食計画も、トラックの駐車が無理だったため果たすことが出来ませんでした。
2度目は学習し、行きの高速道路をより早く乗り切り荷物を手早く降ろしてから、開店直前の店舗に乗り付けるという荒業で、乗用車のスペースを4台分占拠して任務を達成しましたが♪
んで、標題。数年前、空き家になって長らく経った村内某所の古民家が解体されるとの話を聞き、その話が聞こえる前にいちど拝見させてもらったことがある自分としては
「勿体ない」
と、いくらかの謝礼をした上での費用こちら持ちで、手壊しによる解体をさせていただきました。
建設当初は茅葺きだった屋根も戦後と思われる時期に板屋に改修され、総2階に増床された2階部分は養蚕による収入源となり、反映をもたらしてきたものと思われました。
「おえ」と呼ばれる居間部分を取り囲む7寸角の柱は全てケヤキ15尺の通し柱で、それを繋ぐ差し鴨居はやはりケヤキの4寸×1尺2寸と、素性もさることながら立派なもの。昔の大工は棟札などに自分の名を入れることが出来なかったらしく、大柱の長い臍にはその代わりと言える棟梁の名前と建設された年号が書き込まれていました。
「天保14年」 調べてみると現在から169年前のものでした。
外周部を固める柱は杉でしたがそれでも全て5寸角、小屋組みにはケヤキ、ナラなどを主とした長尺の曲がり材で構成され、それら全てをまとめ固める牛梁はその長さ14.5メートルの直材でした。
丁度今時期、雪が降ったり溶けたりを繰り返す寒さのなか、従業員とともに休みもとらず3週間以上かけての手壊しは、今でも忘れることが出来ないほどその当時の職人の技術とその材料に驚き感動する毎日でした。
そんな、感動しつつも勉強になった最高の古民家解体で得たトラック4台近くになった古材の構造材をそれ以後、いずれ来るであろうはずだった日の目を見るその時のために会社の倉庫に眠らせてありましたが、残念ながらそういった機会にも恵まれず、また他の用途でその資材倉庫を利用したいという方針もあった為、知り合いの古民家再生を手がける業者やネットでの検索などを経て、その全てを京都の某古材取り扱い事業者へ譲り渡す事にしました。
相手方の社長さんは遠路遥々、事前においでくださって現物を確認した上で、こちらの要望なども丁寧に聞き入れてくださり、商談はすんなりとまとまりました。
その下見を待たずして倉庫から運び出し土場に出した古材は、2度ほど雨と雪に濡らしましたが良い状態のままトラックで運搬、引き渡すことが出来ました。
京都市内としてはとても広い敷地で事業を展開している相手方の会社では、トラックからの荷降ろしも迅速かつ丁寧に行っていただき、お陰で2回出向いた両日とも午前2時に出発したにもかかわらず午後7時には自宅でご飯を食べることが出来ました。
小谷村にはこのような立派な堅木を使った古民家が廃墟となり、うち多くが倒壊の危機に面しています。建築に携わるこの村の人間として何らかの方策を立て、取り組まなければならないとは思っていますが、それをするために必要な体力を我が社が持ち合わせておらず、自分も子育ての時間を割いてまで活動して行くことが難しい時期となってしまいました。
いずれはまたそのような活動も再びできればいいかなぁ~、とも思っていますが、果たしてその頃にはどれだけの民家が淘汰されてしまっているのか想像がつきません。
村行政でも、新村長となってから古民家の保護や活用など積極的に手を打ってきていますので、とりあえずはそちらのほうから生まれるだろう何らかのリアクションを検証して、自分に出来そうな事を考えていきたいと思います。
まずはあの古材が再びどこかで活用され、人々に小谷村の古民家の素晴らしさを伝えてくれる事を心から願います。

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