余震により壁の一部にクラックが入りました。無念。がしかし、お施主様は、
「こんな機会滅多にない」
と、これをこの地震の痕跡として残されるという。それもありかもしれません。
ほいで、環境が厳しく昨年建物正面の腐朽部分を除去して再生という大手術を行った、スキー場に近接した別荘。
若干建具のガタは出たようですが、大きな被害もなくホッとしました。大手術が地震前で良かった(´-д-)-3 まぁあれ以上放置できない状態でしたし、お施主様には大変ご迷惑をおかけしました。ホントすみません→お施主様ピンで。
で、伊折地区でヲレらが昔借りていた「なか」の物件。今は東京農大の研究施設として利活用され、人が出入りするというだけでなくここに集う若い衆が地域のチカラとなっている今、なくてはならない地域の大切な施設なのですが、
内部を確認させて頂くと、ヲレらが借り上げた時に手を入れたオエの大柱は無事だったものの、地盤が弱いのか不動沈下が多所にみられ、しかも仏壇の横に建つ4寸5分角のケヤキの柱は、どうやら差物(鴨居)のところで座屈している模様です。
ちょうど学生さんもおられたので簡単に説明はさせて頂きましたが、所有者さんにお伝えもしたほうがイイな。うん。
ほいで今日の目玉商品。村内でも大きな被害が多く出た「中谷」地区で住民の心の拠り所であるお寺「玉泉寺」が所により最大15度も傾き、住職も住民も困り果てていたのですが、中越地震の折地域復興のために尽力し、現在もこういった震災に備えて技術とノウハウを継承するネットワークのお力を借りて、復興に向けてとりあえずは現状から悪化しないようにするために維持作業に入りました。
鐘楼の維持復旧作業を記録するメディア。
本堂東面、ここいらがMAXの15度じゃないかと思われます。
内部も悲惨な状況です。
内部ではすでに、降雪による被害がこれ以上進行しないよう、手当てをされています。
外部からもつっかえ棒をするため、6メートルの丸太を多数搬入しました。
この間切ったばかりのヲレん家の林の杉が、こんなかたちで活用されるとは想像もつきませんでした。
ほいで、この間のエントリーで「無事だった」という元助役さんの車庫でしたが、しかしもうちょっと足を延ばした先にあるご自宅母屋と隣接する土蔵は大変な事になってしまっており、
その向かいの千沢地区。比較的地盤もよさそうだと思っていましたが、
この美しい山村風景を織りなす民家も、大半が黄色、または赤色の紙が貼られています。
白馬村青鬼地区を伝建地区にするため尽力された長岡造形大の宮澤先生も
「美しい」
とオッサった曽田地区も、受けた被害は深刻です。
村内のいたるところでおおきな被害をもたらした今回の地震。今後の村の未来図を、それまで予想していた以外の形に変えるにはあまりにも力があり過ぎました。
深刻な事態に包まれるなかで追い打ちをかけるようにやって来た、少し早すぎた大雪。それでも被災した方々は、もちろん前に進むしかありません。
人的被害が無かったことを喜べた時期はすでに遠く去り、これからはいかにして地域の復興、再生に知恵を出せるかだと思います。
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