2014年12月31日
#1354 総括2014。
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22:35
ボケボケしてる間に大晦日。いよいよ今年も、こうして今年一年を振り返りまた来年に向けて思いを新たにする大晦日がやってきました。ってか、きてくれました。
この一年を振り返りつつ来る新しい一年に向け、その一年がより良い一年になるようにと毎年こうして一年を総括するエントリーを挙げてはきましたが、残念ながら事業面において今年一年を振り返った時、昨年総括して今年に活かそうとしてきたことはあまりにも改善されていないことに愕然とします。
木材製材・販売事業においては、相変わらず続くアベノミクスと呼ばれる経済最優先での政治は、高止まりしている円安の影響が好材料として大きく響く大企業や投資家にとても良い状況を与え続けています。
が、消費税増税などによる一般家庭での支出増が実質賃金を大幅に落とし、結果予定していた消費税2段階目の増税時期は延期せざるを得なくなりました。全国的にもそうですが、我が長野県では円安によるデメリットで経営状況が厳しさを増す企業が顕著に増加し、経営者サイドとしては現状維持のために多くの企業努力を重ねてもなお、アベノミクスによる大企業、既得権益最優先の経済施策による、いつまで続くともし解らないしわ寄せに日々右往左往している現状からの脱却すべきタイミングを見いだせずにいる現状が続いています。
そのような状況を打破すべく安倍チャソは経団連相手に
「従業員給与を上げなさい」
とトボケた事を言ってはいましたが、当然利益追求が至上命題である大企業が、いったん下がった給与水準を必要以上にあげるようなバカなことをするはずもなく、それに追い打ちを掛けるように、すでに施行された派遣社員特措法により、国民の雇用条件と給与水準はごく一部を除き下がる一方です。
円安、原料高。国内経済は上向かず、引き続く発注者からの下請け叩き。ほんの一握りの企業がベースアップを表明するも、その上昇率は増税率の上昇分に遠く及びません。その上昇率を超えるのは公務員給与と国会議員報酬でした。
いつになったらまともな国政運営ができる国会議員が出てくるのか全く見えない中、しかし私たちに許されたその方向性を決めるべき議員を選択する一歩となる選挙権は、思いが叶う叶わないにかかわらず、有効に行使しなければなりません。 すべてがすべて悪い訳ではないと思いますが、いわゆるアベノミクスは国内経済の再生に対しては有効に機能していないと考えています。が、これも多数決による議会制民主主義のなしたる業。ここからいかに日本経済の底辺を支える我々国民が気づき、行動を起こせるのかが、本当の日本経済再生に繋がる唯一無二の道だと、深く実感した年でした。
そんな経済状況のなか昨年よりも厳しく経過してきた本年の事業面ですが、暮れが近づいた11月22日には、今まで「どうせこの辺りには地震は発生しない」と多くの住民がタカを括っていた巨大地震が神代断層を震源として起こり、小谷・白馬両村で甚大なる被害が出ました。
人災とならなかったのは幸いでしたが、家屋の全半壊を含め白馬村堀之内地区や小谷村の中土地区など、地盤の状況の悪い地区を主に多くの被害が出、今もなお多くの方々が2次非難場所において不便な生活を強いられている状況が続いています。
多くの家屋や土蔵、倉庫など住民の財産である建物が倒壊の危機に瀕し、内部の家財などが搬出できない状況の中で、降雪期を前にどうにか雪による倒壊を防ぐために村内の建築関係者が力を合わせ応急措置をしたものの、いつもよりも早い降雪や大雪との予報に対し、それらの措置がどれだけ有効に機能するのかは、春の雪解けを待たなければ判明しません。
この地震により、多くの被害が出ました。が、それ以上に今まで地域の方々が守り続けて来たそれら地域の「景観」は、あまりにも変わりました。残念な方向に。そして、この地震により我が小谷村は、大いなる転換期を迎えたことは間違いありません。
地震以前から言われていた、急速な高齢化と人口減少。それがさらに加速するべき事案です。政治問題以上に、我々小谷村民が取り組むべき喫緊した問題となったのではないでしょうか。
が、これも基幹産業が建設業である我が小谷村のとっては一概にマイナス要因ばかりではなく、当然今回の震災による国や県からの震災関連補助や助成、人的支援などにより、潤う面も当然あります。事実我々の会社でも震災により一時寸断された国道148号線の復旧工事で設置される、土砂崩落から仮復旧道路を守る防護柵で使用する土留め用丸太の納入を担当しました。
何はともあれ、今現在自宅から離れ避難生活を送る多くの村民の皆様が一日も早く平素の生活を取り戻されることを願います。
建築事業においては、昨年春から予定されていた中土地区における古民家再生工事をほぼ1年がかりで行いました。
終盤では屋根部における結露により屋内に漏水が発生してお施主様に大変な不安を与えてしまったことがとても悔やまれますが、屋根施工業者の尽力により問題はクリヤとなり、ようやく暮れギリギリの29日より、安心して生活して頂ける環境を提供する事が出来ました。
お施主様が経済的に豊かな事もあり、そこまで必要でしょうか?と思われるほど入念な基礎工事を施工した効果がどのくらいあったのかは数字で測る事が難しいですが、しかし前述の地震における被害が多く出た地域に隣接して工事を行った立地条件の中で、仕上がった壁の数か所に小さなクラックが入っただけで済んだのは、そういった基礎工事を念入りに行った効果が大きかったことは間違いありません。
神城堀之内地区の倒壊した家屋が集中した堀之内公民館近くで施工させて頂いた古民家再生物件でも、倒壊を免れただけでなく大きな被害を出さずに、ライフラインの復旧により震災前と同様の生活が送って頂けていることは、担当した施工業者として本当に嬉しい事でした。
今回の震災を経て得た経験の一つとしては、まず
「基礎工事においてべた基礎を施した物件での被害はほぼ無かった」
「古民家再生において茅を下した物件での被害は無かった」
の2点があります。今後はこういった経験をもとに、その2点においては設計段階より推奨したうえで工事に入れるよう努力していこうと思います。が、まずはお施主さまのご理解はともかく、それらを可能にする経済的裏付けが無ければ実行することはできません。
では、「何が必要で、不要なものは何か?」
という点でより被災を防ぐ方向に向けられるような提案ができるよう、努力していかなければならないという事を強く思います。
いよいよ軌道に乗りはじめなければならない薪の製造・販売については、昨年来懸案だった、ストックヤードにとどめることなく経費負担も低減させる「製造直販売」、いわゆる生のままでの薪販売について力を入れるべきという点において、何の努力もせずに結果今秋においては不良ストックを発生させてしまったことが大変残念でした。
この点については来年春、試験的に取り組んでその方向性を見出していきたいと思っています。
仕事についてはほかにも思う事が数多くありますが、赤字決算であることは間違いないにしてもこうして今日このエントリーを上げられる大晦日をおくれることに、胸をなでおろしています。
では家庭。今年一年を振り返った時に一番大きかった出来事は何といっても裕貴が迎えた「キラキラ輝く君の夏」でした。が、とりあえずは時系列で攻めてみます(笑)。
まずは新年あけてから、今年一番の大イベントである廣やんのお受験。兄と同じ長商を目指し受験し、どうにかその門をくぐる事に成功しました。
経済的に楽ではないので、裕貴がお世話になっている下宿屋さんにお願いしての6畳1間2人生活が、4月から裕貴の夏とその清算が終わるまでの8月いっぱいまで続き、その後は裕貴は白馬からの路線バスで通学となり、今は廣やんがあの下宿で1人生活を送っています。
裕貴の下宿生活において花拓がいてくれたように、廣やんの下宿生活でも立ち位置は見事に違いすぎるものの、太輔が隣の部屋にいてくれるお蔭で、心強い毎日を送らせて頂いています。花拓が下宿を引き上げてからは近くに下宿していたあっちゃんも同じ下宿に移転し、シニアのメンバーが3人、共同生活を送らせてもらっていることに重ねて感謝です。
そんな下宿の岩田屋さんも、経営するご夫婦の高齢化により次の春に入学する新1年生を最後に新たな下宿生を取らずに廃業することを決めたそうで、残念ではありますがそれも世の常。いま置かれている状況の中での下宿生活を精一杯楽しみ、岩田屋さんへの感謝の気持ちを忘れることなく日々を送ってほしいと思います。
そして女房お待ちかね(意味不)例の夏(笑)。本当に長い事、楽しませてもらいました。精一杯頑張った裕貴にはもちろんですが、大会終了直後のエントリーでも記したように、ここまで成長するまで関わってくださったすべての皆様に本当に感謝しています。
野球を通して、数多くの事を学び身につけ、そして私たち両親が思うより遙かに強く逞しく、立派に成長してくれたと思っています。こんな事本人を前にしてはとても言いませんが、しかし自分の生い立ちを振り返えればさらにそう思い、思えます。
1年生の冬休み前、北村先生との三者面談で親子共々しっかりとお灸をすえられたお蔭で裕貴は3年1学期まで通知表に「1」をつけられることなく、野球だけは一生懸命やって来たお蔭「のみ」でのJR東日本に就職させて頂ける運びとなりました。
ふと見ると、弟や妹たちへの気遣いも驚くほどできるようになっている兄らしい一面も良く見せてくれるようになり、社会に出るギリギリのところで、どうにか一般社会行きの普通電車に間に合ったようです。
三姉妹はそれぞれ小学校での生活を必要以上に楽しんでいる毎日。
みづきは1年の秋頃から始めた剣道を、春に辞めました。今はほぼ毎朝練習があるらしい小学校の合唱クラブと週一回の書道教室。
書道教室に通っている成果か、字は非常に綺麗になってきました。あービフォーアフターの世界であって、他に比べ、ではないのであしからず(笑)。合唱クラブには2年生になって入団できるようになったヒナマナも秋から加わり、いよいよますます三つ子の世界に突入です。そのヒナマナも学校からの通知表ではカナーリ成績優秀で(◎〇△評価)、親の期待は膨らむ一方です(棒)。
ほいで今年のコイ女房。家族の誰よりも、この夏を満喫した母親をやってのけました。いつでも下宿の部屋が整理され、洗濯ものが干されている廣やんとは違い、裕貴1人の時はそりゃもうひどいものでしたが、そんな家畜部屋にも臆することなくずけずけと入り溜まった洗濯物(洗濯済み)を干し、部屋を片付けて掃除機をかけ、溜まった学級通信などに目を通して必要事項に対処し、そしてグラウンドで汗を流す裕貴をしり目に母たちとクッチャベるという2年間の週末から、球場でボールを追いかけ、打ち(っていうほど打ちませんでしたが)、走る息子を見て、本当に楽しんだ千秋楽でした。廣やんが残っているにも関わらず裕貴が引退した後は風船が萎んだみたいで、しかし我が家の1台しかない居間のテレビはいつでも県大会準決勝上映中です。
結婚20年を超え、次の20年に向けてまたしても不仲の時期を迎えたようですが(*・艸・) しかし相変わらず
「愛してる」
を連発できるヲレの口車に乗っかりご満悦ですので、今後も健康に気をつけつつ子供たちの成長を楽しんでいけるよう、気遣っていきたいと思います。
さて来年に向けて。
今年こそは、と思っていた東北の震災被災地を訪ねる旅は今年も成就できませんでした。夏までは裕貴の野球があり、秋以降は仕事が忙しく時間が取れず。
そして暮れにはこちらで震災があり、この調子では来年も怪しいものです。が、しかし。この思いは必ずや近い将来に果たさねばならない、そう思ってもいます。来る新しい年に、ぜひその思いが叶えられるよう引き続きチャンスを狙います。
天皇誕生日の一般参賀は、そんな被災からの仮復旧を急ぐ状況の中でどうにか今年も参列し、天皇陛下の81歳をお祝いする事が出来ました。
いつの世、どの世界にも世代交代は必要ですが、ならばなら天皇陛下においては今後もご健康に留意され、私ども国民を見守り続けてほしい、と心から願っています。
そして、これ以上メンバーが減らないうちに実行すべし!と思っている、「ヲレ幹事の従兄妹会@豪雪の深山、小谷温泉山田旅館」ですが、この冬2月に決行すべく調整しようとたくらんでいます。
がっ。
ががっ。
がががっ。
なんとその小谷温泉山田旅館も先般の地震により被災し、建物の幾多の部分で壁が落ちたりしているそうです。
望むところだ。寒いの上等!
って事で。
小谷村をそのルーツとする、ヲレらの従兄妹は現在その連れ合い抜きで(2+2+3+2)がご存命(笑)。関係者を含め何名の参加があるかわかりませんが、小谷らしい最たる季節に小谷らしい最たる景観、環境の中で開催する従兄妹会。ぜひ多くの従兄妹方が参加してくれることを願っています。
さて昨年同様、今年も残すところあと2時間をゆうに切りました。今年の元旦は大雪の予報。どうかこれ以上に被災者の皆様が苦労を重ねることもなく、平穏な新年を迎えられる事を祈り、そして我が家族の健康と子供たちの健やかなる成長を願いつつ、いくつかの大きな宿題を残して新しい年を迎えます。
それもこれも裕貴の一言から始まった事ですので関係各位の皆様には大目に見てもらいつつもその日が来るのを楽しみに、今しばらくお待ちくださることをお願いして、今年最後のエントリーとします。
来年の終わりにはまた、
「来年も良い年でありますように」
と願えるように。
皆様、良いお年を!ヽ(´ー`)ノ
この一年を振り返りつつ来る新しい一年に向け、その一年がより良い一年になるようにと毎年こうして一年を総括するエントリーを挙げてはきましたが、残念ながら事業面において今年一年を振り返った時、昨年総括して今年に活かそうとしてきたことはあまりにも改善されていないことに愕然とします。
木材製材・販売事業においては、相変わらず続くアベノミクスと呼ばれる経済最優先での政治は、高止まりしている円安の影響が好材料として大きく響く大企業や投資家にとても良い状況を与え続けています。
が、消費税増税などによる一般家庭での支出増が実質賃金を大幅に落とし、結果予定していた消費税2段階目の増税時期は延期せざるを得なくなりました。全国的にもそうですが、我が長野県では円安によるデメリットで経営状況が厳しさを増す企業が顕著に増加し、経営者サイドとしては現状維持のために多くの企業努力を重ねてもなお、アベノミクスによる大企業、既得権益最優先の経済施策による、いつまで続くともし解らないしわ寄せに日々右往左往している現状からの脱却すべきタイミングを見いだせずにいる現状が続いています。
そのような状況を打破すべく安倍チャソは経団連相手に
「従業員給与を上げなさい」
とトボケた事を言ってはいましたが、当然利益追求が至上命題である大企業が、いったん下がった給与水準を必要以上にあげるようなバカなことをするはずもなく、それに追い打ちを掛けるように、すでに施行された派遣社員特措法により、国民の雇用条件と給与水準はごく一部を除き下がる一方です。
円安、原料高。国内経済は上向かず、引き続く発注者からの下請け叩き。ほんの一握りの企業がベースアップを表明するも、その上昇率は増税率の上昇分に遠く及びません。その上昇率を超えるのは公務員給与と国会議員報酬でした。
いつになったらまともな国政運営ができる国会議員が出てくるのか全く見えない中、しかし私たちに許されたその方向性を決めるべき議員を選択する一歩となる選挙権は、思いが叶う叶わないにかかわらず、有効に行使しなければなりません。 すべてがすべて悪い訳ではないと思いますが、いわゆるアベノミクスは国内経済の再生に対しては有効に機能していないと考えています。が、これも多数決による議会制民主主義のなしたる業。ここからいかに日本経済の底辺を支える我々国民が気づき、行動を起こせるのかが、本当の日本経済再生に繋がる唯一無二の道だと、深く実感した年でした。
そんな経済状況のなか昨年よりも厳しく経過してきた本年の事業面ですが、暮れが近づいた11月22日には、今まで「どうせこの辺りには地震は発生しない」と多くの住民がタカを括っていた巨大地震が神代断層を震源として起こり、小谷・白馬両村で甚大なる被害が出ました。
人災とならなかったのは幸いでしたが、家屋の全半壊を含め白馬村堀之内地区や小谷村の中土地区など、地盤の状況の悪い地区を主に多くの被害が出、今もなお多くの方々が2次非難場所において不便な生活を強いられている状況が続いています。
多くの家屋や土蔵、倉庫など住民の財産である建物が倒壊の危機に瀕し、内部の家財などが搬出できない状況の中で、降雪期を前にどうにか雪による倒壊を防ぐために村内の建築関係者が力を合わせ応急措置をしたものの、いつもよりも早い降雪や大雪との予報に対し、それらの措置がどれだけ有効に機能するのかは、春の雪解けを待たなければ判明しません。
この地震により、多くの被害が出ました。が、それ以上に今まで地域の方々が守り続けて来たそれら地域の「景観」は、あまりにも変わりました。残念な方向に。そして、この地震により我が小谷村は、大いなる転換期を迎えたことは間違いありません。
地震以前から言われていた、急速な高齢化と人口減少。それがさらに加速するべき事案です。政治問題以上に、我々小谷村民が取り組むべき喫緊した問題となったのではないでしょうか。
が、これも基幹産業が建設業である我が小谷村のとっては一概にマイナス要因ばかりではなく、当然今回の震災による国や県からの震災関連補助や助成、人的支援などにより、潤う面も当然あります。事実我々の会社でも震災により一時寸断された国道148号線の復旧工事で設置される、土砂崩落から仮復旧道路を守る防護柵で使用する土留め用丸太の納入を担当しました。
何はともあれ、今現在自宅から離れ避難生活を送る多くの村民の皆様が一日も早く平素の生活を取り戻されることを願います。
建築事業においては、昨年春から予定されていた中土地区における古民家再生工事をほぼ1年がかりで行いました。
終盤では屋根部における結露により屋内に漏水が発生してお施主様に大変な不安を与えてしまったことがとても悔やまれますが、屋根施工業者の尽力により問題はクリヤとなり、ようやく暮れギリギリの29日より、安心して生活して頂ける環境を提供する事が出来ました。
お施主様が経済的に豊かな事もあり、そこまで必要でしょうか?と思われるほど入念な基礎工事を施工した効果がどのくらいあったのかは数字で測る事が難しいですが、しかし前述の地震における被害が多く出た地域に隣接して工事を行った立地条件の中で、仕上がった壁の数か所に小さなクラックが入っただけで済んだのは、そういった基礎工事を念入りに行った効果が大きかったことは間違いありません。
神城堀之内地区の倒壊した家屋が集中した堀之内公民館近くで施工させて頂いた古民家再生物件でも、倒壊を免れただけでなく大きな被害を出さずに、ライフラインの復旧により震災前と同様の生活が送って頂けていることは、担当した施工業者として本当に嬉しい事でした。
今回の震災を経て得た経験の一つとしては、まず
「基礎工事においてべた基礎を施した物件での被害はほぼ無かった」
「古民家再生において茅を下した物件での被害は無かった」
の2点があります。今後はこういった経験をもとに、その2点においては設計段階より推奨したうえで工事に入れるよう努力していこうと思います。が、まずはお施主さまのご理解はともかく、それらを可能にする経済的裏付けが無ければ実行することはできません。
では、「何が必要で、不要なものは何か?」
という点でより被災を防ぐ方向に向けられるような提案ができるよう、努力していかなければならないという事を強く思います。
いよいよ軌道に乗りはじめなければならない薪の製造・販売については、昨年来懸案だった、ストックヤードにとどめることなく経費負担も低減させる「製造直販売」、いわゆる生のままでの薪販売について力を入れるべきという点において、何の努力もせずに結果今秋においては不良ストックを発生させてしまったことが大変残念でした。
この点については来年春、試験的に取り組んでその方向性を見出していきたいと思っています。
仕事についてはほかにも思う事が数多くありますが、赤字決算であることは間違いないにしてもこうして今日このエントリーを上げられる大晦日をおくれることに、胸をなでおろしています。
では家庭。今年一年を振り返った時に一番大きかった出来事は何といっても裕貴が迎えた「キラキラ輝く君の夏」でした。が、とりあえずは時系列で攻めてみます(笑)。
まずは新年あけてから、今年一番の大イベントである廣やんのお受験。兄と同じ長商を目指し受験し、どうにかその門をくぐる事に成功しました。
経済的に楽ではないので、裕貴がお世話になっている下宿屋さんにお願いしての6畳1間2人生活が、4月から裕貴の夏とその清算が終わるまでの8月いっぱいまで続き、その後は裕貴は白馬からの路線バスで通学となり、今は廣やんがあの下宿で1人生活を送っています。
裕貴の下宿生活において花拓がいてくれたように、廣やんの下宿生活でも立ち位置は見事に違いすぎるものの、太輔が隣の部屋にいてくれるお蔭で、心強い毎日を送らせて頂いています。花拓が下宿を引き上げてからは近くに下宿していたあっちゃんも同じ下宿に移転し、シニアのメンバーが3人、共同生活を送らせてもらっていることに重ねて感謝です。
そんな下宿の岩田屋さんも、経営するご夫婦の高齢化により次の春に入学する新1年生を最後に新たな下宿生を取らずに廃業することを決めたそうで、残念ではありますがそれも世の常。いま置かれている状況の中での下宿生活を精一杯楽しみ、岩田屋さんへの感謝の気持ちを忘れることなく日々を送ってほしいと思います。
そして女房お待ちかね(意味不)例の夏(笑)。本当に長い事、楽しませてもらいました。精一杯頑張った裕貴にはもちろんですが、大会終了直後のエントリーでも記したように、ここまで成長するまで関わってくださったすべての皆様に本当に感謝しています。
野球を通して、数多くの事を学び身につけ、そして私たち両親が思うより遙かに強く逞しく、立派に成長してくれたと思っています。こんな事本人を前にしてはとても言いませんが、しかし自分の生い立ちを振り返えればさらにそう思い、思えます。
1年生の冬休み前、北村先生との三者面談で親子共々しっかりとお灸をすえられたお蔭で裕貴は3年1学期まで通知表に「1」をつけられることなく、野球だけは一生懸命やって来たお蔭「のみ」でのJR東日本に就職させて頂ける運びとなりました。
ふと見ると、弟や妹たちへの気遣いも驚くほどできるようになっている兄らしい一面も良く見せてくれるようになり、社会に出るギリギリのところで、どうにか一般社会行きの普通電車に間に合ったようです。
三姉妹はそれぞれ小学校での生活を必要以上に楽しんでいる毎日。
みづきは1年の秋頃から始めた剣道を、春に辞めました。今はほぼ毎朝練習があるらしい小学校の合唱クラブと週一回の書道教室。
書道教室に通っている成果か、字は非常に綺麗になってきました。あービフォーアフターの世界であって、他に比べ、ではないのであしからず(笑)。合唱クラブには2年生になって入団できるようになったヒナマナも秋から加わり、いよいよますます三つ子の世界に突入です。そのヒナマナも学校からの通知表ではカナーリ成績優秀で(◎〇△評価)、親の期待は膨らむ一方です(棒)。
ほいで今年のコイ女房。家族の誰よりも、この夏を満喫した母親をやってのけました。いつでも下宿の部屋が整理され、洗濯ものが干されている廣やんとは違い、裕貴1人の時はそりゃもうひどいものでしたが、そんな家畜部屋にも臆することなくずけずけと入り溜まった洗濯物(洗濯済み)を干し、部屋を片付けて掃除機をかけ、溜まった学級通信などに目を通して必要事項に対処し、そしてグラウンドで汗を流す裕貴をしり目に母たちとクッチャベるという2年間の週末から、球場でボールを追いかけ、打ち(っていうほど打ちませんでしたが)、走る息子を見て、本当に楽しんだ千秋楽でした。廣やんが残っているにも関わらず裕貴が引退した後は風船が萎んだみたいで、しかし我が家の1台しかない居間のテレビはいつでも県大会準決勝上映中です。
結婚20年を超え、次の20年に向けてまたしても不仲の時期を迎えたようですが(*・艸・) しかし相変わらず
「愛してる」
を連発できるヲレの口車に乗っかりご満悦ですので、今後も健康に気をつけつつ子供たちの成長を楽しんでいけるよう、気遣っていきたいと思います。
さて来年に向けて。
今年こそは、と思っていた東北の震災被災地を訪ねる旅は今年も成就できませんでした。夏までは裕貴の野球があり、秋以降は仕事が忙しく時間が取れず。
そして暮れにはこちらで震災があり、この調子では来年も怪しいものです。が、しかし。この思いは必ずや近い将来に果たさねばならない、そう思ってもいます。来る新しい年に、ぜひその思いが叶えられるよう引き続きチャンスを狙います。
天皇誕生日の一般参賀は、そんな被災からの仮復旧を急ぐ状況の中でどうにか今年も参列し、天皇陛下の81歳をお祝いする事が出来ました。
いつの世、どの世界にも世代交代は必要ですが、ならばなら天皇陛下においては今後もご健康に留意され、私ども国民を見守り続けてほしい、と心から願っています。
そして、これ以上メンバーが減らないうちに実行すべし!と思っている、「ヲレ幹事の従兄妹会@豪雪の深山、小谷温泉山田旅館」ですが、この冬2月に決行すべく調整しようとたくらんでいます。
がっ。
ががっ。
がががっ。
なんとその小谷温泉山田旅館も先般の地震により被災し、建物の幾多の部分で壁が落ちたりしているそうです。
望むところだ。寒いの上等!
って事で。
小谷村をそのルーツとする、ヲレらの従兄妹は現在その連れ合い抜きで(2+2+3+2)がご存命(笑)。関係者を含め何名の参加があるかわかりませんが、小谷らしい最たる季節に小谷らしい最たる景観、環境の中で開催する従兄妹会。ぜひ多くの従兄妹方が参加してくれることを願っています。
さて昨年同様、今年も残すところあと2時間をゆうに切りました。今年の元旦は大雪の予報。どうかこれ以上に被災者の皆様が苦労を重ねることもなく、平穏な新年を迎えられる事を祈り、そして我が家族の健康と子供たちの健やかなる成長を願いつつ、いくつかの大きな宿題を残して新しい年を迎えます。
それもこれも裕貴の一言から始まった事ですので関係各位の皆様には大目に見てもらいつつもその日が来るのを楽しみに、今しばらくお待ちくださることをお願いして、今年最後のエントリーとします。
来年の終わりにはまた、
「来年も良い年でありますように」
と願えるように。
皆様、良いお年を!ヽ(´ー`)ノ
Written by
Morito D-David Nishizawa
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