2015年12月31日
#1546 総括2015。
Posted at
23:50
早いものです。いよいよ今日が、2015年も最後となる大晦日。しかも今紅白歌合戦が久々の赤組勝利で終焉しました。
この日を迎えてこうして総括エントリーを上げるようになって感じるのは、年々この「1年間」という時間がが”感覚的に”短くなっているということでしょうか。
さて世界を見れば「テロの恐怖のなかで今日を生きる」という毎日に向き合いながら生きていくことを余儀なくされている国々を、日本は(いや、少なくとも自分は)若干遠目に見つつ対岸の火事と捉えていました。
しかしその恐怖は、テロ組織と闘う選択をする国の国民を巻き込みながら、徐々にその範囲を広げつつ、組織の殲滅をはかるべく戦う大国とその同盟国も巻き込んで、確実に世界を憎しみの連鎖へと仕向け、日本もとうとう戦争法案の可決により、自衛隊員が戦地へと赴く可能性を感じるようになりました。
そんななか、高校卒業をあと1年あまり後に控えた次男が選ぶ進路を「自衛隊」としている以上、今までのように「無関心に近い反対」ではいられません。「大きな関心を持ちつつ、強く反対」という立場でいわゆる戦争法案の運用に注視していきたいと思います。
国内は引き続き「景気だけ最優先」の安倍政治が続行中で、国民の経済的格差はさらに広がりつつあるますが、年末に来てアベノミクスと自身が呼ぶ経済政策に思ったような成果が出ていないことがはっきりしてきました。
それは決して、日本中すべての業種、すべての企業に言えることではありません。全体が低迷し景気が悪い中でも当然上向きの成長を続けている企業や、上向いている企業があるのは当然ですが、全体として高景観が上がっているわけではないことは各種報道を見ても確かなことです。
そこに増税。この流れ。
当然社会保障の根底である税収は、支出が多くなることがわかっている中では増やさざるをえないことはわかりますが、その徴収先を方向づける税制自体に大きな問題があるのではないだろうか。格差はますます広がるばかりです。
まぁ思ったところでどうなるものでは無いこともよくわかっていますが、社会の現状をまるきし解っていないのは政治家と公務員だけじゃないだろうか、と思うわけです。
さて大くて残念な括りは棚上げし、まずは仕事から。
昨年11月22日に発生した神城断層地震にって、私どもの会社の商域である小谷村、および白馬村は大きな被害を受けました。
年の暮れまでは被災家屋の積雪による倒壊を防ぐための応急工事が忙しく、慌ただしいなかで新年を迎え、またそれに続いて被災家屋の調査や春以降の復興に向けた工事の打ち合わせなども多く、春の訪れと共に始まったシーズンは公共工事を始め被災建物の取り壊しや修繕、再生など忙しい中でバタバタと1年が終わったという感じです。
しかしこういった水物的な建設工事が来年以降も引き続き忙しいかというとそれはそうではなく、もともと高齢化と人口減、そして若者の流出が震災によりさらに加速し、被災してもなお村に留まる決断をしたのはごく少数で、木材販売も含め市場はますます減少していくことでしょう。
また、忙しかった工事の影で他地域からの薄利多売による同業他社流入は昨年に増して多くなり、我社の木材販売量は激減しました。これには他社の流入による原因を超え、営業努力が足りないことは否めません。
社員も高齢化し、女房以外の雇用している従業員の半分が60代。木材を扱う仕事は商店で商品を扱うのとちがい尺寸になれるまでも時間が掛かるので、若い社員を早めに雇い入れなければならない時期になりました。
が、我が子にすらこの会社での就業を勧められない現状、どうしたらよいものか今ひとつ考えがまとまらないのも事実です。
翻して我が家の件。最大の変化は長男の就職です。
裕貴は晴れて長野商業高校を卒業させて頂き、4月1日よりJR東日本長野支社の社員となって1ヶ月研修を受けた後、5月より信濃大町駅に配属となり今日まで無事勤めさせて頂けました。
自分ら夫婦の子としてはまずありえない大企業。人々が生活の足として利用している公共交通機関を運行する役割を果たす精密かつ大きな機械の小さな歯車の一つとなり、日本の動脈を担う職場で日々学ばせていただいている今日に深く感謝しつつ、長商で、いや長商野球部で学び身につけた総てを発揮しつつ、ポジティブななかにも日々反省をもって邁進してほしいと願っています。
そんな裕貴が高校を卒業してまもなく。4年前に起こったあの大震災による津波で被災した彼の地へ、家族ではじめて赴くことが叶いました。といっても廣は残念ながら部活があるので同行することは出来ませんでしたが、しかし初めてこの目で見た被災地の現状はその時期に自分がメディアを通してみる現実とはあまりにもかけ離れ、4年経ったあの日でさえもまったく復興が進んでいないことを実感して、必ずやまたこの現場を訪れたい。訪れなければならない。総決意させるに十二分でした。
ちいさな娘達も、いまだ津波の被害から立ち直っているとは思えない現地の現状と語り部の丁寧な説明を聞き、何かしら思うことはあったかと考えています。
また、そこには被災し形を変えながらも復旧を果たし、住民の足となっている公共交通機関のあらたな形の可能性を見ることも出来、就職前の裕貴は良い経験が出来たのではないかと思います。
秋には再び、その地を訪れることが出来ました。が、やはり春と変わらずあまり復興が進んでいない様子を目の当たりにし、必ず廣も連れて近く訪れたい、この現実を良く感じさせたい。と思います。
廣は高校2年もあと僅か。先日はできが悪かった2学期の通知簿の結果により久保田先生に呼び出され、高校での学業の現実を伺うと共に将来の職業についても少し話す時間を頂きました。
彼の希望はいまだ自衛隊。戦争法案可決の件もあり正直私ども夫婦としては気が進みませんが、しかし彼の人生は彼のもの。国民とその国民の生命財産を守ることをする誰かの枠に入ることを彼が本心から臨むのなら、彼がそこを目標にしている理由からそれはそれで強く否む理由もありません。
しかし願わくば、その使命が人を殺める事で無いことを。そして万が一その使命を課されたとき、彼が人間として正しい選択ができることを、強く願っています。
そのための子育てを、今日までやってきた。そう自負しています。
三姉妹は極めて元気に(いや、元気すぎるほど元気に)成長しています。
瑞姫は身長体重の成長が平均よりも大きく遅れているため、年度末の懇談会では保健の先生から相談を受けました。
まぁ標準はあくまで標準であって、心身の成長を親が見る限り大きく遅れているところはないと見ていますのでさほど心配はしていません。
むしろ西澤家、河井家を見る限りどちらかというと標準よりもかなり大柄が多いので、大きな女に成長しないことを密かに願っているのです。
穂姫、愛姫についても然り、多少小さい感じで推移(丁度3年生の頃のみづきとおなじくらいか)しているので、たぶん2年後にはおなじ相談をさせて頂けるのではないか、と今から楽しみにしています。
3人とも通知簿は△評価もなく学校生活は充実。体力面では兄たちと同じように走ることへの課題を課し、それをよく守り走っています。走ることは全てに通じる。そう思い実践させて、その結果はそれなりに付いてきていると思いますので、いずれ来るであろう輝かしい青春の日々を、まさに心身ともに一生懸命で走り抜けてくれたら、嬉しいなぁ。
その瑞姫はいよいよ春から6年生です。修学旅行から始まる多くの小学校での行事を、友達とともに学び楽しみ、充実した有終の美を飾れますように。
我が女房。歳を重ねるにつれ可愛いさを増し、どこへ行くのもいつも一緒になってきました。長商のグラウンドやスタジアムでの試合はもちろん、日頃の買い物や休日を使っての遠くへの配達。こと毎日の仕事でも顔を突き合わせ、家庭でもずっと一緒にいられることはひとえに彼女の顔が飽きない造りであることに他ならないのではないか、とニンマリしつつもそんな彼女を伴侶に選んだ自分に最大の賛辞を送り、来年以降も年々その気持が深まりゆくことを予感しています。
今年の10月10日に結婚式を挙げたたった一人の姪っ子、ひかるの披露宴でも飛び入りでスピーチし申し上げましたが、どんなに激しく喧嘩をした後でもどんなに女房の不出来に呆れ果てた後でも変わらず毎日一緒に風呂に入り、同じ布団に入って「愛してる」と伝えることが夫婦としてとても大切な鎹になることを身を持って知りましたので、ここはこれからも譲ることなく日々精進しつつ、さらにエロくキワどく女房を盛り上げていこうと思います。
ほしゃ自分の備忘録。
4月のオリンピック記念マラソンに初出場を果たし、足切りペースカーに付き添われた状況でもどうにか走りきり、5時間を少し超えて無事ゴールすることが出来ました。
素晴らしい好天、素晴らしい沿道からの応援をいただきながら、スタート前からゴールした後までも、こうして楽しんで走れる体に産み育ててくれた両親と、日々共に過ごしゴール前で待ち伏せしてくれていた家族にたいしての感謝の気持ち以外に、思うことはありませんでした。まぁ正確に言えば時折追い抜いていくランスカのオネイサソ達に思いを馳せたこともありましたが(笑)
来年の申し込みはすっかり忘れて仕事をしていたこともあり、残念ながら2年連続出場は相成りませんでしたが、来年の10月にはちゃんと申し込みを済ませ、再来年の大会にはまた走り抜けられるよう日々からだづくりはしていきたいと思います。
もちろん大町アルプスマラソンもまた出場し、膝の手術により大きくタイムを落とした昨年から、あと少しで2時間を切れるところまでまた復活してきましたので、来年は2時間をシッカリ切って走りきりたいと思います。
そんな来年は、いよいよ長商育友会の会長となる年。その役割を買って出た以上は、素晴らしき先輩方の功績と長商育友会の歴史に泥を塗る事のないよう、その役割をしっかり果たせるように頑張りたいと思います。
しかし、誰がなんと言おうとも廣の野球がいよいよ最後の年。これこそが我が家の今年最大にして最高のイベントであることは間違いありません。
小1から始め今日まで、本当に好きで続けてこれたかどうかは本人のみぞ知る、というところですが、仲間たちと共に励まし合い、厳しい練習にもよく耐え、最後の冬に臨んでいます。
大きな目標を掲げる以上、その練習が厳しくなることは当然。また、大所帯の中で選ばれし選手になることがいかに大変かは今更自分が言うには及びません。
伝統あるCHOSHOのユニフォームを着た選手たちが、あの甲子園で大暴れするその日まであと7ヶ月。あの息を呑むほどの応援団の大観衆に見守られ、送られる大声援の中で、学び身につけた精神力と技術を発揮し、最高の夏になる予感がいま、自分の心を巡っています。
必ずや、行く。そしてあの聖地で、これまでとかわらぬ声援を君たちに。
ならばなら、もちろんそのメンバーの中に我が子が入ってくれれば、それ以上の嬉しさは私ども夫婦にはありませんが、そこはチーム至上。常に勝つためへの最高の指導、最良の選択をしてくださる池田監督の下、廣がその時できるであろう最高のパフォーマンスでチームに貢献してくれれば、それがどのような立場であろうとも私たちに悔いは無いでしょう。
いや、そうなった時に悔いが無いよう、常にチームを支える気持ちを持って、父母として取り組むべき総てに臨んでいこうと思いますので、池田監督ほか指導者スタッフの皆様、保護者の皆様、選手マネージャーの皆さん、どうかよろしくお願い致します。
さぁ、何はともあれ大晦日。あと数分間で4度目の年男となる新年が否が応にもやってきます。
大いに酒を飲みました。あとは女房に変わらぬ愛を告げて新しい年の訪れを祝い、心新たに迎えたいと思います。
来年の終わりにもまた、
「来年も良い年でありますように」
と願えるように。
皆様、良いお年を。そして新年もまたどうか変わらず我が家族をよろしくお願い致しますヽ(´ー`)ノ
この日を迎えてこうして総括エントリーを上げるようになって感じるのは、年々この「1年間」という時間がが”感覚的に”短くなっているということでしょうか。
さて世界を見れば「テロの恐怖のなかで今日を生きる」という毎日に向き合いながら生きていくことを余儀なくされている国々を、日本は(いや、少なくとも自分は)若干遠目に見つつ対岸の火事と捉えていました。
しかしその恐怖は、テロ組織と闘う選択をする国の国民を巻き込みながら、徐々にその範囲を広げつつ、組織の殲滅をはかるべく戦う大国とその同盟国も巻き込んで、確実に世界を憎しみの連鎖へと仕向け、日本もとうとう戦争法案の可決により、自衛隊員が戦地へと赴く可能性を感じるようになりました。
そんななか、高校卒業をあと1年あまり後に控えた次男が選ぶ進路を「自衛隊」としている以上、今までのように「無関心に近い反対」ではいられません。「大きな関心を持ちつつ、強く反対」という立場でいわゆる戦争法案の運用に注視していきたいと思います。
国内は引き続き「景気だけ最優先」の安倍政治が続行中で、国民の経済的格差はさらに広がりつつあるますが、年末に来てアベノミクスと自身が呼ぶ経済政策に思ったような成果が出ていないことがはっきりしてきました。
それは決して、日本中すべての業種、すべての企業に言えることではありません。全体が低迷し景気が悪い中でも当然上向きの成長を続けている企業や、上向いている企業があるのは当然ですが、全体として高景観が上がっているわけではないことは各種報道を見ても確かなことです。
そこに増税。この流れ。
当然社会保障の根底である税収は、支出が多くなることがわかっている中では増やさざるをえないことはわかりますが、その徴収先を方向づける税制自体に大きな問題があるのではないだろうか。格差はますます広がるばかりです。
まぁ思ったところでどうなるものでは無いこともよくわかっていますが、社会の現状をまるきし解っていないのは政治家と公務員だけじゃないだろうか、と思うわけです。
さて大くて残念な括りは棚上げし、まずは仕事から。
昨年11月22日に発生した神城断層地震にって、私どもの会社の商域である小谷村、および白馬村は大きな被害を受けました。
年の暮れまでは被災家屋の積雪による倒壊を防ぐための応急工事が忙しく、慌ただしいなかで新年を迎え、またそれに続いて被災家屋の調査や春以降の復興に向けた工事の打ち合わせなども多く、春の訪れと共に始まったシーズンは公共工事を始め被災建物の取り壊しや修繕、再生など忙しい中でバタバタと1年が終わったという感じです。
しかしこういった水物的な建設工事が来年以降も引き続き忙しいかというとそれはそうではなく、もともと高齢化と人口減、そして若者の流出が震災によりさらに加速し、被災してもなお村に留まる決断をしたのはごく少数で、木材販売も含め市場はますます減少していくことでしょう。
また、忙しかった工事の影で他地域からの薄利多売による同業他社流入は昨年に増して多くなり、我社の木材販売量は激減しました。これには他社の流入による原因を超え、営業努力が足りないことは否めません。
社員も高齢化し、女房以外の雇用している従業員の半分が60代。木材を扱う仕事は商店で商品を扱うのとちがい尺寸になれるまでも時間が掛かるので、若い社員を早めに雇い入れなければならない時期になりました。
が、我が子にすらこの会社での就業を勧められない現状、どうしたらよいものか今ひとつ考えがまとまらないのも事実です。
翻して我が家の件。最大の変化は長男の就職です。
裕貴は晴れて長野商業高校を卒業させて頂き、4月1日よりJR東日本長野支社の社員となって1ヶ月研修を受けた後、5月より信濃大町駅に配属となり今日まで無事勤めさせて頂けました。
自分ら夫婦の子としてはまずありえない大企業。人々が生活の足として利用している公共交通機関を運行する役割を果たす精密かつ大きな機械の小さな歯車の一つとなり、日本の動脈を担う職場で日々学ばせていただいている今日に深く感謝しつつ、長商で、いや長商野球部で学び身につけた総てを発揮しつつ、ポジティブななかにも日々反省をもって邁進してほしいと願っています。
そんな裕貴が高校を卒業してまもなく。4年前に起こったあの大震災による津波で被災した彼の地へ、家族ではじめて赴くことが叶いました。といっても廣は残念ながら部活があるので同行することは出来ませんでしたが、しかし初めてこの目で見た被災地の現状はその時期に自分がメディアを通してみる現実とはあまりにもかけ離れ、4年経ったあの日でさえもまったく復興が進んでいないことを実感して、必ずやまたこの現場を訪れたい。訪れなければならない。総決意させるに十二分でした。
ちいさな娘達も、いまだ津波の被害から立ち直っているとは思えない現地の現状と語り部の丁寧な説明を聞き、何かしら思うことはあったかと考えています。
また、そこには被災し形を変えながらも復旧を果たし、住民の足となっている公共交通機関のあらたな形の可能性を見ることも出来、就職前の裕貴は良い経験が出来たのではないかと思います。
秋には再び、その地を訪れることが出来ました。が、やはり春と変わらずあまり復興が進んでいない様子を目の当たりにし、必ず廣も連れて近く訪れたい、この現実を良く感じさせたい。と思います。
廣は高校2年もあと僅か。先日はできが悪かった2学期の通知簿の結果により久保田先生に呼び出され、高校での学業の現実を伺うと共に将来の職業についても少し話す時間を頂きました。
彼の希望はいまだ自衛隊。戦争法案可決の件もあり正直私ども夫婦としては気が進みませんが、しかし彼の人生は彼のもの。国民とその国民の生命財産を守ることをする誰かの枠に入ることを彼が本心から臨むのなら、彼がそこを目標にしている理由からそれはそれで強く否む理由もありません。
しかし願わくば、その使命が人を殺める事で無いことを。そして万が一その使命を課されたとき、彼が人間として正しい選択ができることを、強く願っています。
そのための子育てを、今日までやってきた。そう自負しています。
三姉妹は極めて元気に(いや、元気すぎるほど元気に)成長しています。
瑞姫は身長体重の成長が平均よりも大きく遅れているため、年度末の懇談会では保健の先生から相談を受けました。
まぁ標準はあくまで標準であって、心身の成長を親が見る限り大きく遅れているところはないと見ていますのでさほど心配はしていません。
むしろ西澤家、河井家を見る限りどちらかというと標準よりもかなり大柄が多いので、大きな女に成長しないことを密かに願っているのです。
穂姫、愛姫についても然り、多少小さい感じで推移(丁度3年生の頃のみづきとおなじくらいか)しているので、たぶん2年後にはおなじ相談をさせて頂けるのではないか、と今から楽しみにしています。
3人とも通知簿は△評価もなく学校生活は充実。体力面では兄たちと同じように走ることへの課題を課し、それをよく守り走っています。走ることは全てに通じる。そう思い実践させて、その結果はそれなりに付いてきていると思いますので、いずれ来るであろう輝かしい青春の日々を、まさに心身ともに一生懸命で走り抜けてくれたら、嬉しいなぁ。
その瑞姫はいよいよ春から6年生です。修学旅行から始まる多くの小学校での行事を、友達とともに学び楽しみ、充実した有終の美を飾れますように。
我が女房。歳を重ねるにつれ可愛いさを増し、どこへ行くのもいつも一緒になってきました。長商のグラウンドやスタジアムでの試合はもちろん、日頃の買い物や休日を使っての遠くへの配達。こと毎日の仕事でも顔を突き合わせ、家庭でもずっと一緒にいられることはひとえに彼女の顔が飽きない造りであることに他ならないのではないか、とニンマリしつつもそんな彼女を伴侶に選んだ自分に最大の賛辞を送り、来年以降も年々その気持が深まりゆくことを予感しています。
今年の10月10日に結婚式を挙げたたった一人の姪っ子、ひかるの披露宴でも飛び入りでスピーチし申し上げましたが、どんなに激しく喧嘩をした後でもどんなに女房の不出来に呆れ果てた後でも変わらず毎日一緒に風呂に入り、同じ布団に入って「愛してる」と伝えることが夫婦としてとても大切な鎹になることを身を持って知りましたので、ここはこれからも譲ることなく日々精進しつつ、さらにエロくキワどく女房を盛り上げていこうと思います。
ほしゃ自分の備忘録。
4月のオリンピック記念マラソンに初出場を果たし、足切りペースカーに付き添われた状況でもどうにか走りきり、5時間を少し超えて無事ゴールすることが出来ました。
素晴らしい好天、素晴らしい沿道からの応援をいただきながら、スタート前からゴールした後までも、こうして楽しんで走れる体に産み育ててくれた両親と、日々共に過ごしゴール前で待ち伏せしてくれていた家族にたいしての感謝の気持ち以外に、思うことはありませんでした。まぁ正確に言えば時折追い抜いていくランスカのオネイサソ達に思いを馳せたこともありましたが(笑)
来年の申し込みはすっかり忘れて仕事をしていたこともあり、残念ながら2年連続出場は相成りませんでしたが、来年の10月にはちゃんと申し込みを済ませ、再来年の大会にはまた走り抜けられるよう日々からだづくりはしていきたいと思います。
もちろん大町アルプスマラソンもまた出場し、膝の手術により大きくタイムを落とした昨年から、あと少しで2時間を切れるところまでまた復活してきましたので、来年は2時間をシッカリ切って走りきりたいと思います。
そんな来年は、いよいよ長商育友会の会長となる年。その役割を買って出た以上は、素晴らしき先輩方の功績と長商育友会の歴史に泥を塗る事のないよう、その役割をしっかり果たせるように頑張りたいと思います。
しかし、誰がなんと言おうとも廣の野球がいよいよ最後の年。これこそが我が家の今年最大にして最高のイベントであることは間違いありません。
小1から始め今日まで、本当に好きで続けてこれたかどうかは本人のみぞ知る、というところですが、仲間たちと共に励まし合い、厳しい練習にもよく耐え、最後の冬に臨んでいます。
大きな目標を掲げる以上、その練習が厳しくなることは当然。また、大所帯の中で選ばれし選手になることがいかに大変かは今更自分が言うには及びません。
伝統あるCHOSHOのユニフォームを着た選手たちが、あの甲子園で大暴れするその日まであと7ヶ月。あの息を呑むほどの応援団の大観衆に見守られ、送られる大声援の中で、学び身につけた精神力と技術を発揮し、最高の夏になる予感がいま、自分の心を巡っています。
必ずや、行く。そしてあの聖地で、これまでとかわらぬ声援を君たちに。
ならばなら、もちろんそのメンバーの中に我が子が入ってくれれば、それ以上の嬉しさは私ども夫婦にはありませんが、そこはチーム至上。常に勝つためへの最高の指導、最良の選択をしてくださる池田監督の下、廣がその時できるであろう最高のパフォーマンスでチームに貢献してくれれば、それがどのような立場であろうとも私たちに悔いは無いでしょう。
いや、そうなった時に悔いが無いよう、常にチームを支える気持ちを持って、父母として取り組むべき総てに臨んでいこうと思いますので、池田監督ほか指導者スタッフの皆様、保護者の皆様、選手マネージャーの皆さん、どうかよろしくお願い致します。
さぁ、何はともあれ大晦日。あと数分間で4度目の年男となる新年が否が応にもやってきます。
大いに酒を飲みました。あとは女房に変わらぬ愛を告げて新しい年の訪れを祝い、心新たに迎えたいと思います。
来年の終わりにもまた、
「来年も良い年でありますように」
と願えるように。
皆様、良いお年を。そして新年もまたどうか変わらず我が家族をよろしくお願い致しますヽ(´ー`)ノ
Written by
Morito D-David Nishizawa
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿