※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2011年1月19日

#0612 バックカンツリーしてミマスタ♪

今日は朝から調子が悪く、咳いてばかりいるのでヒナを休ませ、女房が白馬村の横沢医院へと連れていきました。私も製材の仕事が溜まっているので朝は工場作業。
そんなんで、開店準備が遅れ、10時半を回って店を開けるとすぐさま、昔コルチナのパトロールに所属していて、現在は白馬でアウトドアスクールを主宰しているディヴィッドがツアー客を連れて御来店♪
「いやぁ~、久しぶり!仕事どう?」
ナンつー話に花を咲かせていると、カウンターのほうから青い顔した女房が呼んでました。
ねぇ!((( ;゚Д゚)))
どしたの?
「ナニ言ってンだか全然わかんない ┐(゚⊿゚)┌
ディヴィッドの連れのお客さんが、高校ん時だって当時のカレとデートの事しか考えてなかった英語の勉強なんて(おそらく)やらなかったであろう我が女房に、メッサ本場のネイチブなイングリッシュをもって砲撃中♪ しかも2人掛り(笑)
とは言うもののヲレだってそんなのワカンネ┐(´д`)┌ とか思ってたら、ディヴィッドが助け舟を出してくれました。
最初からお願いします→ディヴィッド殿♪♪ また来てネ。

さてマヂでハイ♪
なんの事ない、我が社の事務所工場等で使っている自家水道の水源がちょっとおかしくて、午後レストランを早めに終えて、林ん中の貯水槽の様子を見に行っただけですが。
大雪の雪原、道なき道を下から登るのは大変なので、村道を2キロほど登ったところから片手にスコップ、片手にブリキのバケツを持って道路脇の斜面へとテレマークでドロップイン(表現だけカコイイ!)、日影沢側の雪庇に踏み込まないように注意しながら林を降りて田を越えて、水源地へとたどり着きました。
林の中なんで積雪少ない♪ しかも行ってみりゃなんの事ない。たぶん気温が低くて融雪が進まないからだと思いますが、水源の水自体が不足気味でした。
水、あるある♪ 少ないけど。

父が生前腎臓を患っていたのは何度か書きましたが、自宅で人工透析を開始することになり、それまで村営の水道に頼っていた状況から脱却、自家水道を整備したのが40年前。前後して自宅横にあった製材工場が地すべりで被災し、現在地へと移転したため、自宅と工場両方へと水道を整備しました。
当時の人工透析は、機械が必要とする水量が半端無く、水道代を試算して父が決意。社員総出で水道工事をしたそうです。
しかし、水道の使用料金は掛からなくなりますが、水を保守する作業も当然自家でしなければならず。
冬に屋外での水道のメンテナンスなんて、普通の家庭ではまずやらないことですが、私ん家はそんな事情もあって子供の頃からよく冬になると水道の配管を掘らされました。
なにせ自前で水道配管を施工するので、凍結深度にある水道はしょっちゅう凍りました。そしてパンク。
真冬、家の裏の屋根雪を落としたその下にある水道を掘り出すのはものすごく大変で、でも一冬に2回くらいは水道堀りをしました。とにかく掘って掘って、地面が出たところで破裂した場所を特定し、さらに掘る。父は病気でしたから、私や姉、母がその作業をして水道を復旧しました。
そんな自家水道も平成6年にパイプをすべて引き直しましたが、直後に平成7年の豪雨災害が起こったため自宅方面の保守作業を諦め、今は会社だけを自家水道でまかなっています。
水源に初めて連れて行かれたときのことは、今でも忘れません。藪草をかき分けてどう登ったのかよく覚えていませんが、父について後ろを登っていったその先に、廃田となった畦の石積みに埋もれるようなコンクリートの貯水槽。
その貯水槽に今日16年ぶりにこの貯水槽に来たとき、どこからともなく父の声が聞こえたような気がして、大声で呼んでみました。
「父さ~ん!」
きっと呆れてるに違いないな。もっとマメに掃除しろって。

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