※取扱い説明書※


以下のコンテンツをよく読み、なまら用法用量を守ることを誓ってから本文にお進みくださいゴルァ(#゚皿゚)凸

① お蔭様をもちまして我が次男もCHOSHO野球部を引退できましたので、今後は我が家族の備忘録のみとなりそうなオカーソです。

② が、相変わらずCHOSHOでガンガった仲間たちとのこれまでの軌跡は削除しませんので、それらの記事に対して何かしら問題を感じた場合(例:「アタシの取り扱いが小さい」「ヲマイらボケナス杉」「そもそも美化しすぎ」等)におきましては、
  その文責はすべて管理者の西澤盛人にありますので、
  もしかしたら実在する登場人物やその関係者に直接問い合わせることはご遠慮ください。

追記:我が愛すべき長女が、大町岳陽高校の野球部に入部いたしました。

「祝」

という事で今後は我が大町岳陽高校野球部の応援を主にやっていくものとなるかと思います。

  苦情や質問などはすべて管理者が対応いたします。
   fivechilds☆gmail.com
  上記のアドレスまでE-mailでお送りください。


◆管理者プロフィール

氏名:西澤盛人(ニシザワモリト)
住所:緑と雪と温泉のふるさと、小谷村
年齢:52歳(R2年6月11日現在)
職業:もう完全に代表して取締られ役ケテー
バディ:身長178.6㎝(不変) 体重75㎏
家族:右欄「Crew that both I and fate」を参照
特技:子作り 凸(封印)
趣味:子育て 凹(現役)

2012年6月10日

#0827 ボランティアする。

朝のNHK、今日は休みですので当然ヲレの大好きな渡辺蘭チャソは画面に登場する筈もなく、とりあえず裕貴と廣やんの弁当を作って廣やんを大町へと向かう電車に乗せると、残った面々で朝食を食べてましたが、ニュースの1つとして先日行われた「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」の様子が放映されていました。当然女房はそんなモン凝視するわけなく長男の待つ(イヤ待っちゃ居ネェとは思いますが)長商グラウンドへとそそくさと出かけて行きましたけど。
しかしスゲー。156キロメートルを2昼夜かけて走り続ける、そんな競技にたくさんのトップランナー、あるいは市民ランナーがチャレンジしてる。
嗚呼!ヲレもこの競技を事前に知ってれば!!ヽ(`Д´)ノ
もちろん何て事無く知って終わりのはずですが(*・艸・)
さてレースの様子を見ていると、とある市民ランナーの1人であるお父さん、
「子供に頑張っているところを見せたい」
という理由で参加したそうですが、なんと初日から途中棄権でしたナンだよ┐(´д`)┌決意弱いな(とヲレが言う♪)
子供は子供で、
「最初から走んなきゃいいのに(`ε´*)
元も子もネェなそりゃ、ご愁傷様。とか思いつつほくそ笑んで見ていると、
「お父さんは出ないの?出ればいいいのに」とマナ。
出れる訳ネェだろ。ハーフ走っただけで膝痛抱えて爆発寸前なのに。まぁ努力はしますよ。とりあえずテレビ見た勢いでアスリートになりきり、スノーハープの4キロにエントリーしてみました(笑)1キロ走るみづきと一緒にガンガロー!
さて標題。

この時期この地域の若者(?)が罹る夏風邪にも似た「消防病」、ここ数年罹る事無くこれからも罹らないな。
地域の方々の信頼を背負って、一丁有事の際には出動することはもちろんですが、予防消防などにより生命財産を守る、大切なボランティア活動であることは間違いありません。
が、ここ数年はどうしてもその活動の中で一番大きなウェイトを〆るこの「操法大会に向けた練習」に参加することが出来なくなりました。
みづきとその下の双子が出来てやることが増え、家事に追われる女房の負担を少なくすることがひとつ。
裕貴と廣やんの野球では春季大会や夏季大会と重なり、審判派遣など保護者としての役割が増えたことがひとつ。
もうひとつが、何も好き好んで朝からあのタバコ臭い集まりに参加したく無い。
まぁそれらによった理由であるかどうかを別として、情熱を持ってそれに取り組むことが出来なくなってしまったことが大きな理由でしょう。

思い返せば平成2年、22歳での入団から(っても最初1年目は補欠にもならず、2年目は補助員となるも本当に嫌々やらされてましたが)良き先輩方に多くのことを教わりながら、操法の練習も多年にわたり楽しませてもらってきました。
平成4年に初めて3番員として選手を経験させてもらうと、当時は大会会場の環境が土からアスファルトへの変革期で、村の大会初体験は覚えている限り最後の土での大会となる村営千国グラウンド。結果はどうにか大北大会進出でしたがこの時「ヘルメットの中には軍手を入れておかない」という試合の鉄則を学びました(*・艸・)
大北大会は池田の農村グラウンドで3位と大敗でしたが、この敗北でヲレ的には大いに火が付き、大会直後の慰労会では主将だった洋平さんに泣きついて、
「次もやらせてくださいませ。゚ヽ(゚`Д´゚)ノ゚。
とお願いしたのがまるで昨日の事のようです(常套句)。
翌平成5年と7年に3番員(しかしこの年は7災によって大北大会が流局)、8年は仕事の都合で休ませてもらい9年に1番、10年に2番と続けてから平成11年に4番員を経験して、「集まるほう」はすべて踏破。
12年も4番をやってから13年に指揮者デビュー♪させてもらい、「集まらせるほう」も楽しませてもらいました。その後も4番と指揮者を行ったり来たりしながら選手として参加した大会は全てたいほく大会に進んでいるので、同じくらいのキャリアの団員よりか2倍は楽しませてもらったか♪
このままたぶんそれなりの役職について、もしかしたら「裕貴が高校を終えたときにゃ一緒に消防団活動が出来るんじゃないか?」と思ったりもしていましたが、どうもそこまではいけそうにありません。
当然団員として入籍している間は、春秋の作業や年末特別警戒、消防の日の半鐘叩きや見回りなどの予防消防活動と一丁有事の際は法被を着て出動しますが、来年の操法練習にも参加しません。
来年度を終えると2年毎にくる団員の更新時期。幽霊団員で永年登録しておいて退職金ドロボーになれる気概もありませんので、46歳を持って退団させていただこうと今から役場総務にお願いしときます。
まぁ消防団だけが地域ボランティアではないので、会社の周りの交差点の草刈やいつもランニングさせてもらっている国道沿いの歩道の草刈、腐葉土の片付けなど、自分に出来るかたちでのボランティアを続けていければと思っていますので、
「あんニャロ操法に全然出て来ねぇぞ(#゚皿゚)
ってお怒りな皆様、どうか御容赦の程m(__)m

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