2011年12月2日
#0730 苦渋の選択。
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21:32
また今年も冬のシーズンが始まるかな♪ と、結構最近まで今年の現状について深く考えたことが無かったのですが、我が社では我が社の決算事務をすべて社内で行い、税務署への申告のみを会計事務所にお願いして行ってきています。その会計事務を行ってきた30年以上勤めてくれた事務員(ウラ社長)が退職して初めての決算を、間もなく迎えます。
12月末で〆て処理作業を始めますが、木材屋は事務が非常に複雑である上に良い会計ソフトなどがなく、申告期限の2月中旬までに処理を終えることはとても大変です。
長くその作業を続けてきた、慣れている今までの事務員(ウラ社長)でもそれだけ大変だったのに、今年初めてその作業に取り組む女房が、忙しいお昼時だけとはいえスキー場での仕事と両立させることは、非常に難しいと考えました。
「ならば誰か人を雇って営業を」
しかし、それほど忙しくない日が多い中で今までは女房だから安い賃金(最低賃金完全違反)で働かせることが出来ましたが、普通に支払うだけの誰かを雇うことは現状まず無理です。
散々考えましたが、スキー場でのレストラン業務から撤退を決めました。
昭和38年、スキー場開発が本格的に始まり営業用リフト1本が掛かった「わらび平スキー場」に、来場してくださるお客様たちが休憩する施設を作ってくれないか。
スキー場関係者の方から祖父に話があり、木材の戦後復興需要も外材の輸入にシフトしつつあったこともあり、工場従業員の冬季雇用確保の面でもマッチして小さなレストハウスを建設、営業をはじめました。
その後スキー場の施設拡充とスキー客の増加に対応するために昭和49年に建て替えて、宿泊のお客様も迎えました。そしてバブルを経てさらにお客が増える中、宿泊客のニーズに対して施設が応えられなくなったため、2度目の建て替えの際に宿泊施設を省いてレストラン業務のみにし、現在に至りました。
バブル崩壊、阪神淡路大震災や平成7年豪雨災害、若者のスキー離れなど、いろんな要素によってスキー客が減り、昨年の売り上げは最盛期に比べて6分の1程度まで減少し、仕入れの材料費は払えるものの人件費が出ない、赤地の状態が続いてきました。
これから本業の製材・材木業も過疎化が進む中で更なる減少は確実であり、会社を守っていくためにはこの事業に見切りをつけるよりほか打開策が見出せませんでした。
一昨年、やはり不採算となっていた民間の建築請負をやめ、直接雇用していた大工を解雇しました。建築請負も父の代から本格的に事業を拡大して、村内で多くの仕事をさせていただいてきましたが、価格競争に勝てず受注減少による経費倒れの状態から、従業員には泣く泣く理解をもらって撤退した経緯があります。
そして今回のこの決定。地域経済の縮小によるものであるのか、経営努力が足りないものであるのか。
その二つから選択するとしたら、後者であることは間違いなく否定できない事実ですが、自分に能力が無い以上は現在の従業員の生活を守る上でも、できる形で業務を続けていかなければならない。と自分に言い聞かせて、各方面にお詫びとお礼の挨拶をしています。
そんな中、本日ある取引先の社長さんが新分野での事業展開を進めるために設備投資をするための建築的相談事にこられました。
事業規模は5,000万。私の会社ではとても考えられない投資ですが、失礼ながらその会社もおそらく当社より体力は無いと思われる中で、攻めの姿勢でこの状況を打破しようとしています。
考えなければならないことは色々とありますが、まずは地道に現在の営業を守り、その中で地域社会や経済の状況を分析して、設備投資の少ない新規事業の立ち上げ時期を模索しています。
12月末で〆て処理作業を始めますが、木材屋は事務が非常に複雑である上に良い会計ソフトなどがなく、申告期限の2月中旬までに処理を終えることはとても大変です。
長くその作業を続けてきた、慣れている今までの事務員(ウラ社長)でもそれだけ大変だったのに、今年初めてその作業に取り組む女房が、忙しいお昼時だけとはいえスキー場での仕事と両立させることは、非常に難しいと考えました。
「ならば誰か人を雇って営業を」
しかし、それほど忙しくない日が多い中で今までは女房だから安い賃金(最低賃金完全違反)で働かせることが出来ましたが、普通に支払うだけの誰かを雇うことは現状まず無理です。
散々考えましたが、スキー場でのレストラン業務から撤退を決めました。
昭和38年、スキー場開発が本格的に始まり営業用リフト1本が掛かった「わらび平スキー場」に、来場してくださるお客様たちが休憩する施設を作ってくれないか。
スキー場関係者の方から祖父に話があり、木材の戦後復興需要も外材の輸入にシフトしつつあったこともあり、工場従業員の冬季雇用確保の面でもマッチして小さなレストハウスを建設、営業をはじめました。
その後スキー場の施設拡充とスキー客の増加に対応するために昭和49年に建て替えて、宿泊のお客様も迎えました。そしてバブルを経てさらにお客が増える中、宿泊客のニーズに対して施設が応えられなくなったため、2度目の建て替えの際に宿泊施設を省いてレストラン業務のみにし、現在に至りました。
バブル崩壊、阪神淡路大震災や平成7年豪雨災害、若者のスキー離れなど、いろんな要素によってスキー客が減り、昨年の売り上げは最盛期に比べて6分の1程度まで減少し、仕入れの材料費は払えるものの人件費が出ない、赤地の状態が続いてきました。
これから本業の製材・材木業も過疎化が進む中で更なる減少は確実であり、会社を守っていくためにはこの事業に見切りをつけるよりほか打開策が見出せませんでした。
一昨年、やはり不採算となっていた民間の建築請負をやめ、直接雇用していた大工を解雇しました。建築請負も父の代から本格的に事業を拡大して、村内で多くの仕事をさせていただいてきましたが、価格競争に勝てず受注減少による経費倒れの状態から、従業員には泣く泣く理解をもらって撤退した経緯があります。
そして今回のこの決定。地域経済の縮小によるものであるのか、経営努力が足りないものであるのか。
その二つから選択するとしたら、後者であることは間違いなく否定できない事実ですが、自分に能力が無い以上は現在の従業員の生活を守る上でも、できる形で業務を続けていかなければならない。と自分に言い聞かせて、各方面にお詫びとお礼の挨拶をしています。
そんな中、本日ある取引先の社長さんが新分野での事業展開を進めるために設備投資をするための建築的相談事にこられました。
事業規模は5,000万。私の会社ではとても考えられない投資ですが、失礼ながらその会社もおそらく当社より体力は無いと思われる中で、攻めの姿勢でこの状況を打破しようとしています。
考えなければならないことは色々とありますが、まずは地道に現在の営業を守り、その中で地域社会や経済の状況を分析して、設備投資の少ない新規事業の立ち上げ時期を模索しています。
Written by
Morito D-David Nishizawa
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みんな冬の時代に入っていきますね…。
返信削除経営努力もさることながら、今年のスキー産業はより一層、たぶん相当落ち込むことが今から予想されています。
箱根あたりの温泉宿でも年末年始が満室にはならないところもたくさんです。
日本経済自体が、大げさというよりも現実世界経済が、いま岐路に立っている以上、地方はさらに寒風にさらされざるを得ないのでしょう。
家族と従業員を守ることは非常に責任の重いことでしょう。
でも、今まで読ませていただいた盛人さんはきっと、
持てる限りの愛情ですべてを守り抜いていくのだと思います。
頑張らないで、しなうように生き延びましょう。
私も同じです。一人、子どもを育て上げるまでは、頑張って倒れることなく、倒れない程度に撓いながら、それでも生き延びる道をたどります。
お互いにこの人生を全うしましょう。
白馬はここ近年、鉄鉱石等の地下資源の好況によってオーストラリアからの資金が相当流入していますが、今年は福島原発の問題が大きく影響して、こと外人観光客の入込が全く期待できないような状況のようです。
返信削除国内の景気低迷により雪質はよくても遠い北アルプスエリアは敬遠されがちですし、この辺りで見切りをつけないとますます会社の状況が悪くなってしまいます(汗)。
「しなうように」良いですね。憧れます。が、思い込んだらナンとやらで、ガッツリ背骨を通して生きたい自分としては、なかなか思うようにしなうことが難しいです(^^; そうですね。焦らずいきましょう!
そうですか・・・
返信削除長い間、本当にお世話になりましたm(__)m 一番のお得意様には本当に申し訳なく思っているのですが、これら諸事情をお汲み取り頂いて御容赦くださいますよう、心からお願い申し上げますm(__)m
返信削除さて、これからはごく一般のお客として(ツーても優待券使ってタダ乗りですが(^^; しょっちゅう出没すること請け合いです。一回りおっきなレンズも買ったし(ナイショ)また週末には写真撮りにわらびにも行きますんで♪