2011年12月31日
#0744 総括2011。
Posted at
23:43
さて、また今年も昨年と同じように、この寒い時期に大晦日がやってまいりました♪ ってあたりまえだけど(^^;
去年の今日、最後のエントリーで昨年を総括したので、また今年も最後のエントリーとなるこの投稿で、今年の総括をしたい。しかし平穏で始まった今年という年は、多くの日本人に強い衝撃を与えた東日本大震災が発生。甚大なる被災状況は割愛しますが、私にとって「この一年を総括する」という、昨年普通に書けたことが今年は非常に難しく感じます。
それだけ、私たち被災していない日本人に与えた影響も甚大だった大災害。生半可な気持ちや思いで、この大災害に見舞われた日本の中の一人として、
「被災した方々に寄り添って」などという文言を並べることなど、とてもできません。
自分でできる範囲での支援。これはあまりにも微力でした。しかし、年末になり特番で伝えられる被災者の方々の様子からは、そんな中でも自分に降りかかった状況と向き合いながら強く生き抜くために前を向き、頑張っている姿が映し出されています。
私には何もできませんが、あえて書くなら。
家族の大切さを、より一層深める日々を送りたい。そう強く思った一年でした。
この出来事を含めて今年を総括する事などとてもできませんが、私はやはり私なりに、私の身近での事について総括して〆たいと思います。
四半世紀を優に超える35年近くにわたり事務方を取り仕切った事務のおばちゃんが、65歳を契機に退職したいとその意向を伝えられて2年。最初の1年はそれでもなおその方向にシフトすることへの準備を怠り、事務のおばちゃんも業を煮やしたかと思いますが、ようやく女房を事務方につけることで残り1年を見習いでつけさせることができ、去る3月末にとうとう退職の日を迎えました。
レストハウスの営業を終了してみづきの入学式を終了していよいよ始まった新しい事務員との2人3脚。私生活では当然毎日がその生活ですが、仕事となるとまた話は別です。
細かく伝えなければならないところはしっかりと伝え、大きく任せるべき所は信頼して任せる。私なりにその線引きをしてきた1年間でしたが、当然女房には大きな負担を掛け続けました。
私に仕事のやり方でみっちりとしかられたあとで大粒の涙を流しながら通らない食事を詰め込み、その直後にいらっしゃったお客さんに笑顔で接し、談笑している女房を見て、この素晴らしい愛娘を過酷と解っていながらも私のもとに送り出してくださった富山のお義父さん、お義母さんに心から感謝いたします。
女房の努力はもちろん、新しい事務員を迎えて不安が一杯にもかかわらず日々の仕事を安全に確実にこなしてくれた従業員の皆さんのお陰で、一年を通してどうにか本業自体は採算を保って赤字になることなく本日の決算日を迎えることが出来たことは、御愛顧下さった多くのお客様にも恵まれたお陰と心から感謝しています。
そして、年度の終盤では今まで見てみぬ振りをしてきた大きな問題と向き合い、こちらも大きな決断をしました。
昭和36年からお世話になってきたわらび平スキー場(現コルチナスキー場わらび平ゲレンデ)でのレストラン業務から撤退することを決断し、その施設運営をホテルグリーンプラザにお願いすることにいたしました。
永年にわたり地域の皆様、お客様に支えられて営業を続けてきた我がわらび平レストハウスですが、冬季間の雇用対策という第1義となる本来の役目を失って久しく、ここ数年は私ども家内操業であるにも拘らず赤字が大きくなる一方で、このままでは本業の木材業を一層圧迫していくであろう結果は目に見えるため、11月になるまで目一杯悩みましたが、結果運営をお願いすることにしました。
長く携わってきた事業だけに、前年私が決断した建築業からの撤退も重って、
「これが本当に正しい選択なのか」
という自問に対しての第三者的答えを見出すには少し時間が掛かるかと思いますが、前述の通り第1義となる本来の目的を失った今、地域のためにもスキー場のためにも、何よりもここにおいでくださるお客様のために良かった決断だった、と思える時がきっと来るのではないかと思っています。
家族的にはみづきが小学校に入学したこと、廣やんが中学校に入学したこと、そしてシニアに入団したこと、裕貴が野球を終えて受験生になったこと、でしょうか。ヒナマナには申し訳ないのですが、まぁそんな年もありでしょう(笑)
みづきは小学校に入学して、朝の登校班に間に合わせることはなかなか難しいのですが、しかし元気に楽しんで学校に通ってくれていることが大変ありがたく、迎えてくださる先生方はもちろん見守ってくださる地域の方々に心から感謝です。
我が廣やん、リトルを中退させていただき浪人生活を送っていましたが、諸々の事情で4月を待たずにシニアに入団させていただくことが出来ました。
親バカですが基礎体力が高く、その力をもてあまし気味だった廣は
「このままじゃ駄目になるんじゃネ?」的な怖さを持っていましたが、どうにかその青春のはけ口を見出すことが出来(意味不)、楽しくも楽しく(益々意味不)シニアでの野球生活を送らせていただいています。
いろんな考え、いろんな思いがある中ではありますが、まぁ親としてはどうには(変な言い回しですが)元の鞘に戻った、と言うかなんというか、若干安心しているところはあります。
中学生活では陸上部に入り、裕貴の後を追って長距離に精を出すかと思いきやこれまたフィールド競技を選択するなど意味不明な行動をとってはいましたが、成績も中の下、友達たちとも仲良くやるなど、社会的に意味のある格付けの部分をになってくれていると思っています(笑)
裕貴はいよいよシニア最後の年を迎えて、今までの成果を全て出すべき時となりました。序盤の春季、夏季ではどうにもならなかった個人成績、チームの結果でしたが、シニアでの大会を締めくくる全国選抜大会では、2回戦で敗退したものの、本人にとってはある程度収穫を得ることができた大会となり、結果高校でも野球を続ける決意をしてくれたことは、夫婦共々何物にも代え難い喜びであり、その思いで希望した高校への入学という大きな壁を乗り越えることが出来るよう、強く願っています。
なんといって嬉しかった事は、その全国大会が近づくにつれバッティングが良くなった裕貴でした。大会で大きな活躍が出来た訳ではありませんでしたが、それでも
「裕貴に繋げ!」
と、攻撃の場面で声が掛かったくらい当たりが出てくれたことは、それまでそんな事がなかったこともあり、苦手なバッティングを克服してチームの信頼を得てくれたことがとても頼もしく嬉しく、これは女房はどうなのか解りませんが、わたしはおそらく一生忘れ得ないと思います。
ヒナマナも春には年長となり、あと1年3ヵ月後には小学校入学。裕貴も無事に高校に入学していたとしたら、それから裕貴が卒業するまでの間は我が家にとって一番お金のかかる時期となります。
家族が何事もなく健康で、けんかをしながらも笑顔で暮らしていけるように、一家の主として頑張らなければなりません。
とにかく明日から新しい年。もうあと僅かになった今年に感謝しながら、一番最初の挨拶を笑顔で女房と交わし、その笑顔をまた来年見られるように、全力で頑張っていこうと思います。
皆さん、良いお年を!そして、来年こそ、皆さんが「来年は」ではなく、「来年も、良い年でありますように!」と願える年でありますように!
去年の今日、最後のエントリーで昨年を総括したので、また今年も最後のエントリーとなるこの投稿で、今年の総括をしたい。しかし平穏で始まった今年という年は、多くの日本人に強い衝撃を与えた東日本大震災が発生。甚大なる被災状況は割愛しますが、私にとって「この一年を総括する」という、昨年普通に書けたことが今年は非常に難しく感じます。
それだけ、私たち被災していない日本人に与えた影響も甚大だった大災害。生半可な気持ちや思いで、この大災害に見舞われた日本の中の一人として、
「被災した方々に寄り添って」などという文言を並べることなど、とてもできません。
自分でできる範囲での支援。これはあまりにも微力でした。しかし、年末になり特番で伝えられる被災者の方々の様子からは、そんな中でも自分に降りかかった状況と向き合いながら強く生き抜くために前を向き、頑張っている姿が映し出されています。
私には何もできませんが、あえて書くなら。
家族の大切さを、より一層深める日々を送りたい。そう強く思った一年でした。
この出来事を含めて今年を総括する事などとてもできませんが、私はやはり私なりに、私の身近での事について総括して〆たいと思います。
四半世紀を優に超える35年近くにわたり事務方を取り仕切った事務のおばちゃんが、65歳を契機に退職したいとその意向を伝えられて2年。最初の1年はそれでもなおその方向にシフトすることへの準備を怠り、事務のおばちゃんも業を煮やしたかと思いますが、ようやく女房を事務方につけることで残り1年を見習いでつけさせることができ、去る3月末にとうとう退職の日を迎えました。
レストハウスの営業を終了してみづきの入学式を終了していよいよ始まった新しい事務員との2人3脚。私生活では当然毎日がその生活ですが、仕事となるとまた話は別です。
細かく伝えなければならないところはしっかりと伝え、大きく任せるべき所は信頼して任せる。私なりにその線引きをしてきた1年間でしたが、当然女房には大きな負担を掛け続けました。
私に仕事のやり方でみっちりとしかられたあとで大粒の涙を流しながら通らない食事を詰め込み、その直後にいらっしゃったお客さんに笑顔で接し、談笑している女房を見て、この素晴らしい愛娘を過酷と解っていながらも私のもとに送り出してくださった富山のお義父さん、お義母さんに心から感謝いたします。
女房の努力はもちろん、新しい事務員を迎えて不安が一杯にもかかわらず日々の仕事を安全に確実にこなしてくれた従業員の皆さんのお陰で、一年を通してどうにか本業自体は採算を保って赤字になることなく本日の決算日を迎えることが出来たことは、御愛顧下さった多くのお客様にも恵まれたお陰と心から感謝しています。
そして、年度の終盤では今まで見てみぬ振りをしてきた大きな問題と向き合い、こちらも大きな決断をしました。
昭和36年からお世話になってきたわらび平スキー場(現コルチナスキー場わらび平ゲレンデ)でのレストラン業務から撤退することを決断し、その施設運営をホテルグリーンプラザにお願いすることにいたしました。
永年にわたり地域の皆様、お客様に支えられて営業を続けてきた我がわらび平レストハウスですが、冬季間の雇用対策という第1義となる本来の役目を失って久しく、ここ数年は私ども家内操業であるにも拘らず赤字が大きくなる一方で、このままでは本業の木材業を一層圧迫していくであろう結果は目に見えるため、11月になるまで目一杯悩みましたが、結果運営をお願いすることにしました。
長く携わってきた事業だけに、前年私が決断した建築業からの撤退も重って、
「これが本当に正しい選択なのか」
という自問に対しての第三者的答えを見出すには少し時間が掛かるかと思いますが、前述の通り第1義となる本来の目的を失った今、地域のためにもスキー場のためにも、何よりもここにおいでくださるお客様のために良かった決断だった、と思える時がきっと来るのではないかと思っています。
家族的にはみづきが小学校に入学したこと、廣やんが中学校に入学したこと、そしてシニアに入団したこと、裕貴が野球を終えて受験生になったこと、でしょうか。ヒナマナには申し訳ないのですが、まぁそんな年もありでしょう(笑)
みづきは小学校に入学して、朝の登校班に間に合わせることはなかなか難しいのですが、しかし元気に楽しんで学校に通ってくれていることが大変ありがたく、迎えてくださる先生方はもちろん見守ってくださる地域の方々に心から感謝です。
我が廣やん、リトルを中退させていただき浪人生活を送っていましたが、諸々の事情で4月を待たずにシニアに入団させていただくことが出来ました。
親バカですが基礎体力が高く、その力をもてあまし気味だった廣は
「このままじゃ駄目になるんじゃネ?」的な怖さを持っていましたが、どうにかその青春のはけ口を見出すことが出来(意味不)、楽しくも楽しく(益々意味不)シニアでの野球生活を送らせていただいています。
いろんな考え、いろんな思いがある中ではありますが、まぁ親としてはどうには(変な言い回しですが)元の鞘に戻った、と言うかなんというか、若干安心しているところはあります。
中学生活では陸上部に入り、裕貴の後を追って長距離に精を出すかと思いきやこれまたフィールド競技を選択するなど意味不明な行動をとってはいましたが、成績も中の下、友達たちとも仲良くやるなど、社会的に意味のある格付けの部分をになってくれていると思っています(笑)
裕貴はいよいよシニア最後の年を迎えて、今までの成果を全て出すべき時となりました。序盤の春季、夏季ではどうにもならなかった個人成績、チームの結果でしたが、シニアでの大会を締めくくる全国選抜大会では、2回戦で敗退したものの、本人にとってはある程度収穫を得ることができた大会となり、結果高校でも野球を続ける決意をしてくれたことは、夫婦共々何物にも代え難い喜びであり、その思いで希望した高校への入学という大きな壁を乗り越えることが出来るよう、強く願っています。
なんといって嬉しかった事は、その全国大会が近づくにつれバッティングが良くなった裕貴でした。大会で大きな活躍が出来た訳ではありませんでしたが、それでも
「裕貴に繋げ!」
と、攻撃の場面で声が掛かったくらい当たりが出てくれたことは、それまでそんな事がなかったこともあり、苦手なバッティングを克服してチームの信頼を得てくれたことがとても頼もしく嬉しく、これは女房はどうなのか解りませんが、わたしはおそらく一生忘れ得ないと思います。
ヒナマナも春には年長となり、あと1年3ヵ月後には小学校入学。裕貴も無事に高校に入学していたとしたら、それから裕貴が卒業するまでの間は我が家にとって一番お金のかかる時期となります。
家族が何事もなく健康で、けんかをしながらも笑顔で暮らしていけるように、一家の主として頑張らなければなりません。
とにかく明日から新しい年。もうあと僅かになった今年に感謝しながら、一番最初の挨拶を笑顔で女房と交わし、その笑顔をまた来年見られるように、全力で頑張っていこうと思います。
皆さん、良いお年を!そして、来年こそ、皆さんが「来年は」ではなく、「来年も、良い年でありますように!」と願える年でありますように!
Written by
Morito D-David Nishizawa
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿