そう決意した春でした。
やがてその兄を追って長商へと進むことを決めた廣やん。下宿に空きがない、と言われたため兄と同じ部屋で何とかお願いできませんか、と懇願しそれをご快諾頂いての、2人生活の始まりでした。
2段ベッドも組みあげ、兄を支える生活を始めた廣と、最後の夏に向かい日々努力した兄の毎日を包んでくれたこの下宿です。
ベッドは裕貴が現役引退後間もなくバラして持ち帰った為、比較的荷物も少なく見えます。裕貴がチーム岩田屋を離脱した後はこの部屋で1人、他の仲間たちと過ごしてきた廣やんの、汗と涙とそのほかの総てが詰まった部屋から、いよいよ女房と二人で 荷物の搬出とクリーニングの開始です。
総ての搬出と、内部の清掃を終了し、最後に、入り口ドアを拭き上げました。
一通り済ませてから、大家さんに確認して頂きました。
たまにお持ちする蕎麦を喜んでくださっていたので、今朝も早くから昨日仕入れた新そば粉で蕎麦打ちをし、お持ちさせて頂きました。
ここに来ることも、これできっと最後になるんだろうなー。灌漑深い気持ちで、部屋の荷物を載せたトラックを見ると、
ヤシら2人の青春を支えた部屋の家財道具は、たったこれだけでした。
雨予報に付きシートをかぶせて荷造りし、長くお世話になった下宿を後にしました。
OMC長商3人のうち、まずは廣やんがチーム岩田屋を離脱です。
この後某防大の後期試験を受けていた廣やんを長野駅東口でピックアップし、久しぶりの家族7人となるわが家へ戻りました。
息子たちのはちきれんばかりの青春を支えてくれた、彼らにとっては家だった下宿屋さん。
良い時も悪い時もあったかと思います。親元を離れて暮らす中学を卒業したばかりの子供たちがご迷惑をおかけしたことも、おそらく1度や2度ではなかったはず。本当にお世話になりました。心から御礼申し上げます。
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