平成15年、村の診療所新築の際は、集成材を作るためにウチで製材した唐松の板を、義父のトレーラーとこのトラックに満載にして、何度も山梨まで運んだり。
女房の実家が新築されたときには、小さな車庫を建てるために重機やその資材を乗せて何度も富山に行きました。
子供達はそれぞれ全員が配達などに付き合わされて、どこにでもこのトラックで出かけ、この車内で同じ時間を過ごしました。
平成11年9月。オリンピック終了後もまだ災害復旧が進まなかった山間地へと廣やんを連れて配達に行き、助手席に乗せたままクレーンで荷卸をしていたときには、吊り荷の重量が重過ぎてクレーンを旋回した途端にトラックが運転席側に横転。窓から車外に放り出された廣やんを、張り出したアウトリガーで踏ん張って救ってくれたのも、このトラックでした。
もしもあの時、そのアウトリガーが潰れてしまっていたら、とっくに廣やんの命はなかったのかもしれません。また、それ以来クレーンの玉掛けに十二分に気をつけるようになったおかげで、それ以降事故を起こさないでこれたのかもしれません。
このトラックが、これからどこで活躍する場を得るのか私には解りませんが、良いオーナーの下で今まで以上に素晴らしい仕事をこなしていけますように。
本当に感謝しています。たくさんの思い出を、どうもありがとう。
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