2018年4月22日
#1722 こごみ、採ったどー!(写真は無しね)
Posted at
20:56
今週末はヲレら月岡地区の水神様、そして恒例の(花は見えずも)花見が開催されました。
年々地区人口が減少する中、今後どのくらいまでこういった行事を継続していけるのかどうか、非常に不安ですが、今年も室川宮司の笛の音に始まった祭事はしめやかに執り行われました。
花見も若干の悶着がありながらも無事完遂。砂防事務所に送り込まれた某国家公務員さんに一本締めで〆て頂き、その後それぞれにまた飲んだりしながら、ヲレ3時半ダウソ、今朝4時24分の起床時間まで爆死という例年通り。
で、本日晴天。ヲレん家のルーツである東山方面へと、双子を連れてこごみ採りに向かうべく軽トラを走らせまして。
車を預かって頂く某所某澤さん宅まえでは、キャワイスなかすみんが路面に落書き♪
チョイ危険と思われるぬかるみを進みながら、こごみの群生地をめざし進みます。
現地到着。一斉に採取に勤しむかと思いきや、ヒナはO型を地味に発揮してガンガり続けるのですが、
自由人マナ、表記上はO型であるものの、ほぼ女房由来のB型炸裂で全く仕事しない。
どうして双子なのにこうも性格が違うかなー。仕方ないか。仕方ないな。
昨年も(時期は5月2日でしたが)採りに行ったときよりも道は荒れ、流され、荒廃はさらに進んでいました。
いつまでここに来る事ができるかなー。松が尾の我が家のルーツ跡にある石臼も、来年あたりに引き取りに行かないともう取りに行くこともできなくなるな。
で、無事帰還。帰り道ではマナ、犬になる。
と思ったら、反対側ではヒナが犬に。
採ってきたこごみからおおまかごみを取って、それぞれに分配準備してから午後はそっちこっちに巡り、ほぼ完了。小学校の担任、工藤先生へ今年も少しばかりのおすそ分けをする事が出来ました。
ほかの中で今回もイチ推しは某設計事務所のSNさん。
昨年お邪魔した際は奥さんの御母堂様が他界された直後で行き会う事が出来ませんでしたが、今年は夫婦そろって居間で昼寝中( *´艸`)
あいかわらず、横っ腹を抱えて散々笑い、これからの仕事へのエネルギーを分けて頂き、帰宅への途につきました。
次はタケノコかなー。なんたって、ヲレと女房の絆を築いてくれたアントキのイノキだからなー。
年々地区人口が減少する中、今後どのくらいまでこういった行事を継続していけるのかどうか、非常に不安ですが、今年も室川宮司の笛の音に始まった祭事はしめやかに執り行われました。
花見も若干の悶着がありながらも無事完遂。砂防事務所に送り込まれた某国家公務員さんに一本締めで〆て頂き、その後それぞれにまた飲んだりしながら、ヲレ3時半ダウソ、今朝4時24分の起床時間まで爆死という例年通り。
で、本日晴天。ヲレん家のルーツである東山方面へと、双子を連れてこごみ採りに向かうべく軽トラを走らせまして。
車を預かって頂く某所某澤さん宅まえでは、キャワイスなかすみんが路面に落書き♪
チョイ危険と思われるぬかるみを進みながら、こごみの群生地をめざし進みます。
現地到着。一斉に採取に勤しむかと思いきや、ヒナはO型を地味に発揮してガンガり続けるのですが、
自由人マナ、表記上はO型であるものの、ほぼ女房由来のB型炸裂で全く仕事しない。
どうして双子なのにこうも性格が違うかなー。仕方ないか。仕方ないな。
昨年も(時期は5月2日でしたが)採りに行ったときよりも道は荒れ、流され、荒廃はさらに進んでいました。
いつまでここに来る事ができるかなー。松が尾の我が家のルーツ跡にある石臼も、来年あたりに引き取りに行かないともう取りに行くこともできなくなるな。
で、無事帰還。帰り道ではマナ、犬になる。
と思ったら、反対側ではヒナが犬に。
採ってきたこごみからおおまかごみを取って、それぞれに分配準備してから午後はそっちこっちに巡り、ほぼ完了。小学校の担任、工藤先生へ今年も少しばかりのおすそ分けをする事が出来ました。
ほかの中で今回もイチ推しは某設計事務所のSNさん。
昨年お邪魔した際は奥さんの御母堂様が他界された直後で行き会う事が出来ませんでしたが、今年は夫婦そろって居間で昼寝中( *´艸`)
あいかわらず、横っ腹を抱えて散々笑い、これからの仕事へのエネルギーを分けて頂き、帰宅への途につきました。
次はタケノコかなー。なんたって、ヲレと女房の絆を築いてくれたアントキのイノキだからなー。
Written by
Morito D-David Nishizawa
2018年4月20日
#1721 祈りと願いと。そして感謝の旅@2018(最終日っ!)
Posted at
19:14
さていよいよ迎えた最終日。この日はホテルから直近のすき家にて女房は本人イチ推しの「まぜのっけごはん朝食」(340円ニャリソ♪)と、ヲレ定番の「玉かけごはん朝食大盛り」(280円ニャリソ♪)でさっさと済ませ、ヲレ的天橋立コースにセットメヌーだった曹洞宗大本山、永平寺の拝観を行うべく山手側の永平寺町へと向かいました。
凛とした空間。拝観開始の午前8時30分前まで、修行僧の方たちによる清掃が行き届き、これだけの大きな施設ですが床も壁もピッカピカの、大本山としての凄さを体感。
多くの修行僧の方たちと同様に、以前は我が菩提寺である慈眼山源長寺の現方丈、一澄様も修行をされました。
いや、されたはずですムニャムニャorz......
とにかくここもとても来たかったスィートスポット。拝観のコースを一通り巡ってからの出口では、これだけの建物群を守るために必要な、屋根瓦の修繕費に対しての寄付を受け付けておりましたので、非常に申し訳ないのですがたった一口だけ寄付をさせて頂きました。(お返しの方が立派だったような気がするのはヲレだけでしょうか?)
お土産屋さんもまだ時間が早かったせいで名物のゴマ豆腐を購入する事もできずに残念でしたが、ここからまた日本海側に折り返しての、女房的都市伝説「ココ来たらそのカプールが別れる」聖地、東尋坊へ。
「ソコの駐車場に停めてハヨ現場イコーや(# ゚Д゚)ゴルァ!!」
と息巻く女房でしたが、こんなB型一直線の女房を愛してやまないヲレとしてはまだ別れたくないので、直近まで近寄ったにもかかわらずルートを外れて東尋坊を見渡せる漁港に移動しての記念撮影。
見ろ。まるで鬼のよ(略
そのすぐ横、ヲレらの初デートの場所で今回どうしても再訪したかった「芝政ワールド」は、(こんな簡単な道すがらのはずにもかかわらず)クソなナビが使い物にならず気が付いたらすでに10㎞近くヌルー。そこから戻る気にもならず、アン時の初デートの際には
「赤い水着と黒い水着、どっちが良い?」と訊かれ間髪入れずに「赤っ!」と答えたヲレに、
まさに「ごめんなさい(WTRの事が忘れられないの)」と真逆の黒い水着で登場した25年前のあの日をプレイバックする自虐の旅は完結する事が出来ませんでした。
まぁイイよ。別に。愛してるから(ここ大事)
で、さらに北上するとたまたま見かけた三国ボートレース。駐車場にはまさに今日の生活を賭けたボケナスどものギャンブルをちょっとだけ楽しみに来たセレブたちの車両が多く停まっていたので、レース日確定。
初めてギャンブラーの憩いの場に足を踏み入れてみました。
ダメだな。
完全にダメだ。
はっきり言ってクズ。ヲマイらはまっとうな人生を歩めよ。
という事でさらに北上ルート。通りかかりなので自衛隊小松基地に向かい、(キチガイなのに)基地前にて記念撮影(誰もいないけど)(だもんで門番によほどあやしまれつつ)。
この日の夕方までに帰るには、女房の実家に寄るには時間が無さ過ぎたためそっちはヌルーで、とりあえずヲレら的「玉寿司よりも上位ランクイン」な糸庄のもつ煮込みうどん。
凛とした空間。拝観開始の午前8時30分前まで、修行僧の方たちによる清掃が行き届き、これだけの大きな施設ですが床も壁もピッカピカの、大本山としての凄さを体感。
多くの修行僧の方たちと同様に、以前は我が菩提寺である慈眼山源長寺の現方丈、一澄様も修行をされました。
いや、されたはずですムニャムニャorz......
とにかくここもとても来たかったスィートスポット。拝観のコースを一通り巡ってからの出口では、これだけの建物群を守るために必要な、屋根瓦の修繕費に対しての寄付を受け付けておりましたので、非常に申し訳ないのですがたった一口だけ寄付をさせて頂きました。(お返しの方が立派だったような気がするのはヲレだけでしょうか?)
お土産屋さんもまだ時間が早かったせいで名物のゴマ豆腐を購入する事もできずに残念でしたが、ここからまた日本海側に折り返しての、女房的都市伝説「ココ来たらそのカプールが別れる」聖地、東尋坊へ。
「ソコの駐車場に停めてハヨ現場イコーや(# ゚Д゚)ゴルァ!!」
と息巻く女房でしたが、こんなB型一直線の女房を愛してやまないヲレとしてはまだ別れたくないので、直近まで近寄ったにもかかわらずルートを外れて東尋坊を見渡せる漁港に移動しての記念撮影。
見ろ。まるで鬼のよ(略
そのすぐ横、ヲレらの初デートの場所で今回どうしても再訪したかった「芝政ワールド」は、(こんな簡単な道すがらのはずにもかかわらず)
「赤い水着と黒い水着、どっちが良い?」と訊かれ間髪入れずに「赤っ!」と答えたヲレに、
まさに「ごめんなさい
まぁイイよ。別に。愛してるから(ここ大事)
で、さらに北上するとたまたま見かけた三国ボートレース。駐車場にはまさに
初めてギャンブラーの憩いの場に足を踏み入れてみました。
ダメだな。
完全にダメだ。
という事でさらに北上ルート。通りかかりなので自衛隊小松基地に向かい、(キチガイなのに)基地前にて記念撮影(誰もいないけど)(だもんで門番によほどあやしまれつつ)。
この日の夕方までに帰るには、女房の実家に寄るには時間が無さ過ぎたためそっちはヌルーで、とりあえずヲレら的「玉寿司よりも上位ランクイン」な糸庄のもつ煮込みうどん。
激ウマーな最終戦を終え、糸魚川のヌーパーで買い物をし、無事家にたどり着くと車の音を聞きつけた娘たちが飛んで出てきました。
女房にハグ。
ヲレにハグ。
何日も放っておいて、本当にごめんね。でも、娘たちが力を合わせて毎日を過ごしたこの間の日々が、きっと近い将来役に立つと思うよ。
ありがとう。本当にありがとうね。
そして、これからの君ら子供たちの日々がこれまでと同じように平穏で楽しい日々が続くよう、
僕らも願い、祈り、そして感謝の日々をおくるんだ。
また次に、こんな旅が出来る日が来ますように。 そう強く願い、今回の旅は終わりました。
Written by
Morito D-David Nishizawa
2018年4月19日
#1720 祈りと願いと。そして感謝の旅@2018(4日目っ)
Posted at
21:44
この旅4日目の朝は、日の出前のいつも通りにウォーキングへと出かけるためロビーフロアに降りてみましたら、なんとフロントはもぬけの殻で
「いま不在にしています。しばらくお待ちください」
玄関ドアもロックされており、勝手に開けて出かけてる間に㌧でもない事が起こったりしても大変なので、一旦退却。
昨夕の夕日を部屋のお風呂から見れなかった腹いせに、朝日こそ風呂から拝んでやろうと気張って待っていましたが、方向が悪くこの始末。
※見苦しい部分にはモザイクを掛けてあり〼
残念。ヲレらは702号室でした。我が家のクルマのナンバーをみんな701にしてるのに、701号室には案内してもらえなかった。
(701号室の部屋風呂からは日の出が真正面でしたorz......)
で、風呂で時間を潰してっからの午前6時。再びフロントに降りて見ると警備の方が日報を記載している所でしたので、散歩に出かける旨話をしてウォーキングに出ました。
岬から伸びる海抜2メートルの遊歩道を、スロージョグを織り込みながら1時間ほど散歩。
気持ちよくウォーキングを済ませてっからの朝食。
料理を彩る器のそれぞれがとてもステキで(女房談)、
「白い石はコンロで熱してあるので、赤穂の塩を使ったこの海苔を載せ、香ばしくなったところで召し上がってください」
と仲居さんが言っていたのですが・・・
「こんなの全然熱くないよ。ホントに海苔が焼けるの?」
と言って、白い石に自分の指をジュワッとした我が女房。
まさにチャレンジャー。ってか、まず疑って掛かるその生き方を改めたほうが。
で出発。この日の最初の目的地は国宝姫路城。
どのアングルから見ても美しすぎます。
ここでも飛び交う中国語を散々堪能し、次なる目的地は瀬戸内海から日本海側に移動しての、ケーブルカーに乗って、
いくらか中国語が少なくなったこの展望台から、
お約束のポーズで♪
女房からのリクエストは京都再訪でしたが、ヲレたっての希望だった天橋立を敢行させて頂きました。
展望台の横にあったこのアトラクション。
当然ヲレチャレンジさせてもらい、なんと3投中1投目に見事輪を通すという素晴らしさ。宝くじの当選を確信させてもらいましたぉ!
この日は金曜日でしたので、展望レストラン(ガラ空き)からカレーを食べながら素晴らしい景色を眺めさせていただきました。
帰りはリフト。これまた良かった♪
この日は姫路城以外がノープランだったため、宿を取ることをしませんでした。天橋立から日本海側を我が家に向かって移動しながら、行けるところまで行こうという話になったので、まずは舞鶴で海自の基地を見学し、
「いま不在にしています。しばらくお待ちください」
玄関ドアもロックされており、勝手に開けて出かけてる間に㌧でもない事が起こったりしても大変なので、一旦退却。
昨夕の夕日を部屋のお風呂から見れなかった腹いせに、朝日こそ風呂から拝んでやろうと気張って待っていましたが、方向が悪くこの始末。
※見苦しい部分にはモザイクを掛けてあり〼
残念。ヲレらは702号室でした。我が家のクルマのナンバーをみんな701にしてるのに、701号室には案内してもらえなかった。
(701号室の部屋風呂からは日の出が真正面でしたorz......)
で、風呂で時間を潰してっからの午前6時。再びフロントに降りて見ると警備の方が日報を記載している所でしたので、散歩に出かける旨話をしてウォーキングに出ました。
岬から伸びる海抜2メートルの遊歩道を、スロージョグを織り込みながら1時間ほど散歩。
気持ちよくウォーキングを済ませてっからの朝食。
料理を彩る器のそれぞれがとてもステキで(女房談)、
「白い石はコンロで熱してあるので、赤穂の塩を使ったこの海苔を載せ、香ばしくなったところで召し上がってください」
と仲居さんが言っていたのですが・・・
「こんなの全然熱くないよ。ホントに海苔が焼けるの?」
と言って、白い石に自分の指をジュワッとした我が女房。
まさにチャレンジャー。ってか、まず疑って掛かるその生き方を改めたほうが。
で出発。この日の最初の目的地は国宝姫路城。
どのアングルから見ても美しすぎます。
ここでも飛び交う中国語を散々堪能し、次なる目的地は瀬戸内海から日本海側に移動しての、ケーブルカーに乗って、
いくらか中国語が少なくなったこの展望台から、
お約束のポーズで♪
女房からのリクエストは京都再訪でしたが、ヲレたっての希望だった天橋立を敢行させて頂きました。
展望台の横にあったこのアトラクション。
当然ヲレチャレンジさせてもらい、なんと3投中1投目に見事輪を通すという素晴らしさ。宝くじの当選を確信させてもらいましたぉ!
この日は金曜日でしたので、展望レストラン(ガラ空き)からカレーを食べながら素晴らしい景色を眺めさせていただきました。
帰りはリフト。これまた良かった♪
この日は姫路城以外がノープランだったため、宿を取ることをしませんでした。天橋立から日本海側を我が家に向かって移動しながら、行けるところまで行こうという話になったので、まずは舞鶴で海自の基地を見学し、
我が廣やんに想いを馳せつつ、道の駅で4枚目の宝くじを買い、結局福井市まで足を延ばして予約なしの安いビジネスホテルを見つけ、近所のスシローでお持ち帰りを少しだけ買って宿泊出来ました。
長い休日も最後の夜を迎えてしまい、ヲレの轟音いびきと共に最終日へ。
Written by
Morito D-David Nishizawa
2018年4月18日
#1719 祈りと願いと。そして感謝の旅@2018(3日目っ)
Posted at
20:31
ほしゃ3日目~。
例によって4時50分スタートの朝のウォーキング。温泉街をゆっくりと速足で流してみました。
道後温泉本館はまるで千と千尋。
近くの石段はすぐに見つけましたが、散歩の最後に上ったので写真だけは明るい時。
道後温泉北側の坂道をずんずん上り、傾斜地の住宅街を抜けて見晴らしの良い場所まで抜け、そこから歓楽街へと折り返しました。
裕貴御用達のナンチャラ案内所もさすがにこの時間は無人くん。
隣の空き地には、兵どもの夢のあと。
何人もの漢たちが、散々夢みたいな夜を過ごしたんだろうなー。何億ものオタマジャクシたちが、出口のない袋小路に迷い込んだんだろうなー(遠い眼)
でこの日のスケジュールは、しまなみ海道を北上して尾の道に入り、傾斜地にへばりつくように建つ家並みを坂の上まで登って瀬戸内の景観と共に楽しむ予定でした。
が。
がが。
ががが(超久々)。
なんと今治の刑務所に服役中の例のヤシがしまなみ海道を使って逃亡し、向島に潜伏するという大脱走を繰り広げていた真っ最中につき警察による検問が厳しく展開中。
そんな事情によりヲレのアレやらコレやらが見つかって、別件逮捕に進展したらタマんねぇ、という事で急きょルートを変更。
松山観光港からフェリーに乗り、呉港を目指しました。
音戸の瀬戸では速度を落として、なかなか見応えあり。
呉港ではなかなか見る事もないくらいの同型の大型貨物船が2艘、係留されていました。
呉上陸。すぐに見つけた海上自衛隊の呉教育隊。ここで育った自衛官も廣やんの同期となって、日本全国の基地に配属されたんだろうなー。
まずは港にほど近い戦艦大和のミュージアムに。
今の政治が全く学んでない事は明らかです。誰かあのボケナスどもを何とかしてください。
で、一通り観覧した後、隣の海上自衛隊の資料館へ。
我が廣やん、もしかして潜水艦乗りになってたら、今よりももっとヲレらの心中は穏やかではなかったことだろうから、そのありがたさが身に染みると共に頑張っている潜水艦乗りの方々の安全を願いました。
展示されている潜水艦の昼食は「とある金曜日の一日」
やっぱ基本はカレーです♪
ここから広島へ移動。ヲレは中学生の時、父母に連れられて原爆資料館を訪れたことがあり、また女房も同じく中学の時の修学旅行で原爆資料館に来館したことがあるのですが、お互いその時は正直感じるものがあまりなかった。そんな話をし、そのうえで
「今、命の大切さを子供たちに伝えるためにも、もう一度行くべきだよね」
と、この場所を再訪する事を決めました。
お昼前に到着する事が出来た平和記念公園。
手を合わせ、恒久平和を願いました。
そして、奥に見える原爆ドームに。
ここから、世界平和のために私たちがどのように動いて行くのか。それは常に、今を生きている私たちに突きつけられている歴史からの試練だと思います。
再び戻って、原爆資料館に。本館は耐震も含めた改修工事の真っ最中で、公開されている東館を見学しました。
東館はよりビジュアル的展示を強化して、見学する人々の視覚から感性に訴える展示が多かった。素晴らしいです。
多くの外国人観光客の方たちも、原爆が人間、市民に及ぼした悲惨な結果を目の当たりにしていました。有難い事です。
原爆投下からの日時計と、最後の核実験からのタイムカウンター。色々と思うところあります。
ほいで、ここから本日宿泊先となる赤穂市の宿泊施設へと向かうため最短で高速道路にアクセスするために道を急ぐ中、当初からの目的、
「広島で広島風お好み焼き」
かなえるためにとりあえず道中でグーグル先生にお尋ねしましたら、メッサわかりにくい(でも経路の途中で道草最短)のお店を紹介されました。
行ってみるとなかなかの店構え。これは期待できる。
という事で入りまして、YMDヌペツァルとオーソドックスな普通のヤシを2枚お願いしてみました。
出て来たのはナンとビックリ、超ウマーな逸品でした!
ヤバ美味かったので、今度は子供たちを連れて是非きますぉ!と毛頭敵わない約束を心の中で店主と交わし、高速道路に無事スロープイン。
じきに例のSAを見つけまして、
ここでも宝くじを1枚購入(しかも前日2日目にも途中の道の駅で1枚購入済み)。
クルマに乗ろうというタイミングで瀬戸内少年野球団登場。どっかで公式戦でもあったのでしょうか?
ここからは道を急ぎたかったのですが、しかし興味は尽かない例の事件。という事で、とりあえずは尾道のふ頭から対岸の向島に潜む、大脱走中のヤシを監視活動。
見つかるはずもなく、ここからは当初予定通り傾斜地にへばり付く民家郡を眺め、
例のガウディハウスの見学♪ 渡邊さんガンガってますね!
公営駐車場に駐車したのは約1時間。道草にしてはかなり喰いすぎたので、赤穂までは若干制限速度をオーバーした状態で向かいました。
チェックイン予定の時間18時を1時間超え、19時に到着。今回の旅で最高の出費となるお宿にお世話になりました。
本当は18時に到着して、お部屋の露天風呂から瀬戸内海に沈む夕日を眺める予定が完全にくるってしまい、19時到着からすぐさま夕食。達筆すぎて全く読めません。
最後の方では雲丹ごはん。雲丹の嫌いなヲレは当然女房に全額寄付。
部屋に戻り、お風呂を楽しみました♪
例によって4時50分スタートの朝のウォーキング。温泉街をゆっくりと速足で流してみました。
道後温泉本館はまるで千と千尋。
近くの石段はすぐに見つけましたが、散歩の最後に上ったので写真だけは明るい時。
道後温泉北側の坂道をずんずん上り、傾斜地の住宅街を抜けて見晴らしの良い場所まで抜け、そこから歓楽街へと折り返しました。
裕貴御用達のナンチャラ案内所もさすがにこの時間は無人くん。
隣の空き地には、兵どもの夢のあと。
何人もの漢たちが、散々夢みたいな夜を過ごしたんだろうなー。何億ものオタマジャクシたちが、出口のない袋小路に迷い込んだんだろうなー(遠い眼)
でこの日のスケジュールは、しまなみ海道を北上して尾の道に入り、傾斜地にへばりつくように建つ家並みを坂の上まで登って瀬戸内の景観と共に楽しむ予定でした。
が。
がが。
ががが(超久々)。
なんと今治の刑務所に服役中の例のヤシがしまなみ海道を使って逃亡し、向島に潜伏するという大脱走を繰り広げていた真っ最中につき警察による検問が厳しく展開中。
そんな事情によりヲレのアレやらコレやらが見つかって、別件逮捕に進展したらタマんねぇ、という事で急きょルートを変更。
松山観光港からフェリーに乗り、呉港を目指しました。
音戸の瀬戸では速度を落として、なかなか見応えあり。
呉港ではなかなか見る事もないくらいの同型の大型貨物船が2艘、係留されていました。
呉上陸。すぐに見つけた海上自衛隊の呉教育隊。ここで育った自衛官も廣やんの同期となって、日本全国の基地に配属されたんだろうなー。
まずは港にほど近い戦艦大和のミュージアムに。
今の政治が全く学んでない事は明らかです。誰かあのボケナスどもを何とかしてください。
で、一通り観覧した後、隣の海上自衛隊の資料館へ。
我が廣やん、もしかして潜水艦乗りになってたら、今よりももっとヲレらの心中は穏やかではなかったことだろうから、そのありがたさが身に染みると共に頑張っている潜水艦乗りの方々の安全を願いました。
展示されている潜水艦の昼食は「とある金曜日の一日」
やっぱ基本はカレーです♪
ここから広島へ移動。ヲレは中学生の時、父母に連れられて原爆資料館を訪れたことがあり、また女房も同じく中学の時の修学旅行で原爆資料館に来館したことがあるのですが、お互いその時は正直感じるものがあまりなかった。そんな話をし、そのうえで
「今、命の大切さを子供たちに伝えるためにも、もう一度行くべきだよね」
と、この場所を再訪する事を決めました。
お昼前に到着する事が出来た平和記念公園。
手を合わせ、恒久平和を願いました。
そして、奥に見える原爆ドームに。
ここから、世界平和のために私たちがどのように動いて行くのか。それは常に、今を生きている私たちに突きつけられている歴史からの試練だと思います。
再び戻って、原爆資料館に。本館は耐震も含めた改修工事の真っ最中で、公開されている東館を見学しました。
東館はよりビジュアル的展示を強化して、見学する人々の視覚から感性に訴える展示が多かった。素晴らしいです。
多くの外国人観光客の方たちも、原爆が人間、市民に及ぼした悲惨な結果を目の当たりにしていました。有難い事です。
原爆投下からの日時計と、最後の核実験からのタイムカウンター。色々と思うところあります。
ほいで、ここから本日宿泊先となる赤穂市の宿泊施設へと向かうため最短で高速道路にアクセスするために道を急ぐ中、当初からの目的、
「広島で広島風お好み焼き」
かなえるためにとりあえず道中でグーグル先生にお尋ねしましたら、メッサわかりにくい(でも経路の途中で道草最短)のお店を紹介されました。
行ってみるとなかなかの店構え。これは期待できる。
という事で入りまして、YMDヌペツァルとオーソドックスな普通のヤシを2枚お願いしてみました。
出て来たのはナンとビックリ、超ウマーな逸品でした!
ヤバ美味かったので、今度は子供たちを連れて是非きますぉ!と毛頭敵わない約束を心の中で店主と交わし、高速道路に無事スロープイン。
じきに例のSAを見つけまして、
ここでも宝くじを1枚購入(しかも前日2日目にも途中の道の駅で1枚購入済み)。
クルマに乗ろうというタイミングで瀬戸内少年野球団登場。どっかで公式戦でもあったのでしょうか?
ここからは道を急ぎたかったのですが、しかし興味は尽かない例の事件。という事で、とりあえずは尾道のふ頭から対岸の向島に潜む、大脱走中のヤシを監視活動。
見つかるはずもなく、ここからは当初予定通り傾斜地にへばり付く民家郡を眺め、
例のガウディハウスの見学♪ 渡邊さんガンガってますね!
公営駐車場に駐車したのは約1時間。道草にしてはかなり喰いすぎたので、赤穂までは若干制限速度をオーバーした状態で向かいました。
チェックイン予定の時間18時を1時間超え、19時に到着。今回の旅で最高の出費となるお宿にお世話になりました。
本当は18時に到着して、お部屋の露天風呂から瀬戸内海に沈む夕日を眺める予定が完全にくるってしまい、19時到着からすぐさま夕食。達筆すぎて全く読めません。
最後の方では雲丹ごはん。雲丹の嫌いなヲレは当然女房に全額寄付。
部屋に戻り、お風呂を楽しみました♪
この日もかなり走ったのでもうこれでグロッキー。自然換気で十分過ごせたので、ACの雑音に邪魔される事なくとても良く寝る事が出来ました。
3日目終了の鐘の音ゴーソ♪
Written by
Morito D-David Nishizawa
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