さて標題。
白馬村に遅れることほぼ2か月。我が小谷村でも、被災した家屋を集落ごと一緒くたにしての、土木屋さんだけが儲かる素晴らしいシステムでの解体工事がいよいよ始まりました(*・艸・)
多くの家屋が被災した集落近くで昨年お世話になった古民家再生の現場(基礎工事をガッチりやったため被害無)に、香港からお施主様が来日されたのに合わせて打ち合わせをしつつ、上方に目をやると大変お世話になった元助役さんのお宅に重機が入っているのを見かけたので、打ち合わせ終了後にチョイ寄らせてもらいました。
どうしようもないな。良い家なんだけどな。(´-д-)-3
今後解体される隣の土蔵や母屋内部の造作など、何度かお手伝いさせて頂いたときの事など思い出しながらなんとなくぼぉ~っと眺めていると、今は白馬村に住まいを移したお施主さんが母屋との別れを惜しんで、写真を撮りにいらっしゃいました。
こんな事ばっかりだな。どんどん家は無くなり、住人もいなくなる・・・
のに、でもこの集落に至る被災した道路は直すんだよね。必要なことはしなければならないけど、必要のない事や費用対効果の薄い部分は切り捨てていかないといけないんじゃないのかな。
ほぼ15年前の村長選。どうしても出てもらいたい人がいました。出れば間違いなく当選し、村が向かうべき方向はきっと今とは違ったかもしれない。
情熱が足りなかったか。
しかしあるのは今。
みんな15年歳をとって、自分も含めあの頃のように今ある未来を良くしよう、という思いは薄れているように思う。
なるようにしかならない。
こんな気持ちしか出てこない自分が本当に情けないんだけど、そんな今の自分の中でも、子供たちの将来だけには妥協したくない。誤解があるといけないので書いときますが、別に子供たちに自分が思い描いた道を進んでもらいたいわけでは無く、今自分に出来る子供たちの将来への願いを込めた準備を、自分に出来る限りやりたいと思っているだけです。
人間は、いや人類は滅亡するんだ。それが自然なんだと、偉い人が言っていた。ただ、どうせ滅亡するんだからという諦めの上に今を過ごしたい人はそうはいない。
長いスパンでのあきらめではなく、もう少し短い、でも少しだけ先を見ての「今」を積み上げていくしか、無いんだろうな。
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