2009年12月28日
#0043 指導者、保護者、選手である前に、人として。
Posted at
19:28
それにしても、なんだかブログを引っ越してから多少芸風が変わりましたが(笑)。
時折、アメブロの記事を読み返して見たりするんですが、
下書きのまま放りっぱなしになってる、書きかけの記事が結構あります。ハイ。
今日のエントリーはそんな記事から。
あの時、とても気になっていたけどずっと書けなかったことを、
夏頃に書きかけて、そのままになっていました。
以下。
以前から引っかかってて、ずぅ~っと下書きになってたこと。
もう書きかけたことも忘れかけてましたが(笑)、
記事の整理を少し進める中でたんすの引き出しからぽろっと出てきたので。
某リーグで監督を務める某方の、「あいさつ」に対する考え方です。
以前、なんかの拍子にその某方の考えを降幡さんから聞きました。
「自リーグの選手たちの前では、他リーグの指導者にはあいさつをしない」
その理由は?
「自分からあいさつをすることで、他リーグの指導者のほうが、
上下関係で自分よりも上だ、と選手に思われるから」
なぜでしょう。
なぜ?というのは、
なぜそのような考え方になるのか?
です。私にはまったく理解できません。
わたしは教育者ではありませんが、しかし子供たちが心身ともに健康に育ち、
大人になったときには当たり前なことが当たり前にできるよう、
当たり前な社会を構築する一人の人間として存在できるように願っています。
子供たちを子供たちらしく、人間性豊かに育てる上で必要なことを精一杯、
教えていかなければならないと思っています。
子供たちが野球をするなかで、これはきっちりと身に付けていって欲しいと強く願っている、
最重要な項目でありますので、
そのために野球をさせている、といっても私にとっては過言ではありません。
リトルリーグの基本理念とは。
いや、それ以前に、人間の尊厳とは。
以前にも書きました(アメブロで)。
人は誰でも、「誰からも認められたい」と願い生きています。
誰からも認められず生きてゆくことは、人間本来持っている欲求に対し、
それを拒絶して生きていることになります。
誰からも認められるために、誰でも認めて生きていかなければなりません。
どんなことがあろうと、その人を拒絶したときから、それは正しい人間関係ではないのです。
人と人が出会ったとき、そこに言葉を持つ人間は挨拶を交わします。
挨拶を交わして、お互いを認め合うのです。
少なくとも同じ目的を持って同じ場所に集まる私達リトルリーガーとその関係者達は、
たとえ相手の名前も、どのリーグであるのかを知らなくても、
挨拶だけはするべきです。ここに上下は無く、皆平等であるのですから。
南松ファイターズの横内コーチのブログにも、よく書かれていますね。
おそらく彼も、私と同じ方のことを書いておられるのではないでしょうか。
そんな気がしています。
時折、アメブロの記事を読み返して見たりするんですが、
下書きのまま放りっぱなしになってる、書きかけの記事が結構あります。ハイ。
今日のエントリーはそんな記事から。
あの時、とても気になっていたけどずっと書けなかったことを、
夏頃に書きかけて、そのままになっていました。
以下。
以前から引っかかってて、ずぅ~っと下書きになってたこと。
もう書きかけたことも忘れかけてましたが(笑)、
記事の整理を少し進める中でたんすの引き出しからぽろっと出てきたので。
某リーグで監督を務める某方の、「あいさつ」に対する考え方です。
以前、なんかの拍子にその某方の考えを降幡さんから聞きました。
「自リーグの選手たちの前では、他リーグの指導者にはあいさつをしない」
その理由は?
「自分からあいさつをすることで、他リーグの指導者のほうが、
上下関係で自分よりも上だ、と選手に思われるから」
なぜでしょう。
なぜ?というのは、
なぜそのような考え方になるのか?
です。私にはまったく理解できません。
わたしは教育者ではありませんが、しかし子供たちが心身ともに健康に育ち、
大人になったときには当たり前なことが当たり前にできるよう、
当たり前な社会を構築する一人の人間として存在できるように願っています。
子供たちを子供たちらしく、人間性豊かに育てる上で必要なことを精一杯、
教えていかなければならないと思っています。
子供たちが野球をするなかで、これはきっちりと身に付けていって欲しいと強く願っている、
最重要な項目でありますので、
そのために野球をさせている、といっても私にとっては過言ではありません。
リトルリーグの基本理念とは。
いや、それ以前に、人間の尊厳とは。
以前にも書きました(アメブロで)。
人は誰でも、「誰からも認められたい」と願い生きています。
誰からも認められず生きてゆくことは、人間本来持っている欲求に対し、
それを拒絶して生きていることになります。
誰からも認められるために、誰でも認めて生きていかなければなりません。
どんなことがあろうと、その人を拒絶したときから、それは正しい人間関係ではないのです。
人と人が出会ったとき、そこに言葉を持つ人間は挨拶を交わします。
挨拶を交わして、お互いを認め合うのです。
少なくとも同じ目的を持って同じ場所に集まる私達リトルリーガーとその関係者達は、
たとえ相手の名前も、どのリーグであるのかを知らなくても、
挨拶だけはするべきです。ここに上下は無く、皆平等であるのですから。
南松ファイターズの横内コーチのブログにも、よく書かれていますね。
おそらく彼も、私と同じ方のことを書いておられるのではないでしょうか。
そんな気がしています。
Written by
Morito D-David Nishizawa
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