2012年12月10日
#0919 早12年、一回りとなりました。
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21:53
そういえば裕貴が久しぶりに帰ってくることになったのですっかり忘れてましたが、その裕貴が返ってきていた土曜日は長商野球部保護者会の忘年会でした。
酒を飲まなくなってこういったイベント事は女房の担当となってますが、やはり貴重な裕貴との時間を過ごしたいとよほど長男はカワイイのかどうか知りませんが自宅にいる事を希望したので、ヲレも皆さんとの懇親は深めたいと思うものの酒飲むわけでもなく帰りも大変なので、申し訳内と思いつつも二人欠席で報告を出させていただきました。
んで、花澤さんはどうかと思いきや、女房いわく
「花澤さん行くんだって♪」
モノスゲー大雪降りでしたが無事に大町へと帰れたでしょうか。おそらく楽しくてしょうがなかったであろうその内容、ぜひ今度行き会ったときに聞かせて下さいね!
さて標題。今年とはまったく違う穏やかな日が続いた2000年12月、前月に65歳となったばかりの父は中旬に大きく体調を崩し、21世紀を待つ事無く19日未明に生涯愛され続けてきた母の膝に抱かれて亡くなりました。
法人の変更登記を済ませて代表とはなりましが、厳しい経済状況の中でここまでどうにか社業を続けてこれたのは父が育て上げた優秀な社長代行の事務長がいてくれたからに他なりません。
その事務長が定年による退職をして2年。さらに厳しくなる地域経済に飲み込まれつつもどうにか会社を潰さずに守ることだけ専念して仕事に傾注する中、父が他界して13回忌を迎えることなどすっかり忘れていました。が、母との会話の間からどうにかその年忌を過ぎる事無く思い出し、先週7日の早朝に源長寺にて13回忌法要のお経を上げていただき、塔婆を受け取って墓参してくることが出来ました。
凛とした空気の流れる源長寺の本堂で、御本尊様の前に用意された席に母、姉とともに座り手を合わせて方丈様による読経を聞きながら、12年前の父の他界から葬儀、納骨など一連の事を思い出すと、突然涙が溢れ出しました。
「いま自分は、父さんに許していただけるような毎日を送れているだろうか」
ここに至るまでの努力など、父がいまの私の歳になるまで重ねてきたそれとは比べ物になどなりっこない。病に冒され身体を悪くしておよそ10年、当時の村は好景気に沸いていたとはいえ、そんな中で小土山の災害から口上を再建するために現在とは比べ物にならないほどの負債を抱え、多くの従業員の生活を守り、とても足元にも及ばない私と同じ歳の父を思い、それをいまの私と照らし合わせたとき、あまりの情けなさとあわせ改めて父の偉大さを痛感しました。
ここからあと20年。父が他界するまで重ね上げたその努力に報いるために、少しづつその姿に近づいていけるように、どうにかこの厳しい時代の中で踏ん張っていきたいという思いとともに、せめて子供たちが誇れる父親であれるよう、子供たちに接していきたいという気持ちを新たにしました。
酒を飲まなくなってこういったイベント事は女房の担当となってますが、やはり貴重な裕貴との時間を過ごしたいとよほど長男はカワイイのかどうか知りませんが自宅にいる事を希望したので、ヲレも皆さんとの懇親は深めたいと思うものの酒飲むわけでもなく帰りも大変なので、申し訳内と思いつつも二人欠席で報告を出させていただきました。
んで、花澤さんはどうかと思いきや、女房いわく
「花澤さん行くんだって♪」
モノスゲー大雪降りでしたが無事に大町へと帰れたでしょうか。おそらく楽しくてしょうがなかったであろうその内容、ぜひ今度行き会ったときに聞かせて下さいね!
さて標題。今年とはまったく違う穏やかな日が続いた2000年12月、前月に65歳となったばかりの父は中旬に大きく体調を崩し、21世紀を待つ事無く19日未明に生涯愛され続けてきた母の膝に抱かれて亡くなりました。
法人の変更登記を済ませて代表とはなりましが、厳しい経済状況の中でここまでどうにか社業を続けてこれたのは父が育て上げた優秀な社長代行の事務長がいてくれたからに他なりません。
その事務長が定年による退職をして2年。さらに厳しくなる地域経済に飲み込まれつつもどうにか会社を潰さずに守ることだけ専念して仕事に傾注する中、父が他界して13回忌を迎えることなどすっかり忘れていました。が、母との会話の間からどうにかその年忌を過ぎる事無く思い出し、先週7日の早朝に源長寺にて13回忌法要のお経を上げていただき、塔婆を受け取って墓参してくることが出来ました。
凛とした空気の流れる源長寺の本堂で、御本尊様の前に用意された席に母、姉とともに座り手を合わせて方丈様による読経を聞きながら、12年前の父の他界から葬儀、納骨など一連の事を思い出すと、突然涙が溢れ出しました。
「いま自分は、父さんに許していただけるような毎日を送れているだろうか」
ここに至るまでの努力など、父がいまの私の歳になるまで重ねてきたそれとは比べ物になどなりっこない。病に冒され身体を悪くしておよそ10年、当時の村は好景気に沸いていたとはいえ、そんな中で小土山の災害から口上を再建するために現在とは比べ物にならないほどの負債を抱え、多くの従業員の生活を守り、とても足元にも及ばない私と同じ歳の父を思い、それをいまの私と照らし合わせたとき、あまりの情けなさとあわせ改めて父の偉大さを痛感しました。
ここからあと20年。父が他界するまで重ね上げたその努力に報いるために、少しづつその姿に近づいていけるように、どうにかこの厳しい時代の中で踏ん張っていきたいという思いとともに、せめて子供たちが誇れる父親であれるよう、子供たちに接していきたいという気持ちを新たにしました。
Written by
Morito D-David Nishizawa
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