2010年3月19日
#0167 我幼き頃を振り返るとき。
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19:19
今週の月曜の夕方、小雨振るなかを廣が家から会社まで走ってきたらしく、神妙な顔をして事務所に入ってきました。
「お父さん、ちょっとお話しておきたいことがあるんですけど」
廣が3年生のとき、(旧)四賀村から引っ越してきた友達がいます。私の家の菩提寺の娘さん。昨年亡くなられた方丈様(おじいさん)によく似て、クリっとした目がとってもかわいい女の子です。
途中から引っ越してきたことなどもあるのかどうか、もともと元気がありすぎる廣たち同級生(♂)にからかわれる対象となることが多いのは、たまに学校公開などで様子を見る私にもうすうす感じられるくらいでした。
そういうの、駄目なんだよ。相手の気持ちになって考えてごらん。
そんな話は、その女の子に限らず誰かがいじめを受けたという話を聞くたびに、裕貴でも廣でもしてきたのですが、なかなかその気持ちは伝わりません。
「友達たちがふざけてたのに一緒になって、その女の子に言葉の暴力をしてしまいました」
私たちが子供のころには、毎日のようによくあった事です。そして、それがいじめだという認識はなかった。今考えると、です。
しかし今は違う。それはいじめであり、その女の子の心に傷を負わせる行為です。今は違う、というのは、時代が変わったことを指しているのではありません。今だから思える、その当時私たちがすごしていた中で起こっていたことにより、傷ついていた同級生がいた、ということ。
毎日を過ごす中で、ごく普通に行われていたいじめ。心無い言葉。きっとそのときの同級生も、傷ついていたんだと思うと、とても申し訳なく思うのです。
子供たちの行動によって、時に私は自分の幼少のころを振り返る機会を与えてもらいます。そしてその中の思い出の多くは、私には「過ち」であり「反省」であるのです。
我が子たちが大人になり、私と同じように今を振り返ったときに、せめて私と同じような「反省」ばかりでないように。
そう、強く願って子供たちと接していかなければ。そんな思いをたびたび思うのです。
「お父さん、ちょっとお話しておきたいことがあるんですけど」
廣が3年生のとき、(旧)四賀村から引っ越してきた友達がいます。私の家の菩提寺の娘さん。昨年亡くなられた方丈様(おじいさん)によく似て、クリっとした目がとってもかわいい女の子です。
途中から引っ越してきたことなどもあるのかどうか、もともと元気がありすぎる廣たち同級生(♂)にからかわれる対象となることが多いのは、たまに学校公開などで様子を見る私にもうすうす感じられるくらいでした。
そういうの、駄目なんだよ。相手の気持ちになって考えてごらん。
そんな話は、その女の子に限らず誰かがいじめを受けたという話を聞くたびに、裕貴でも廣でもしてきたのですが、なかなかその気持ちは伝わりません。
「友達たちがふざけてたのに一緒になって、その女の子に言葉の暴力をしてしまいました」
私たちが子供のころには、毎日のようによくあった事です。そして、それがいじめだという認識はなかった。今考えると、です。
しかし今は違う。それはいじめであり、その女の子の心に傷を負わせる行為です。今は違う、というのは、時代が変わったことを指しているのではありません。今だから思える、その当時私たちがすごしていた中で起こっていたことにより、傷ついていた同級生がいた、ということ。
毎日を過ごす中で、ごく普通に行われていたいじめ。心無い言葉。きっとそのときの同級生も、傷ついていたんだと思うと、とても申し訳なく思うのです。
子供たちの行動によって、時に私は自分の幼少のころを振り返る機会を与えてもらいます。そしてその中の思い出の多くは、私には「過ち」であり「反省」であるのです。
我が子たちが大人になり、私と同じように今を振り返ったときに、せめて私と同じような「反省」ばかりでないように。
そう、強く願って子供たちと接していかなければ。そんな思いをたびたび思うのです。
Written by
Morito D-David Nishizawa
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